白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「ビンタ法」を制定せよ!

2009-03-20 12:11:00 | インポート

三月十九日(木) 晴れ。

 いやはや五月のゴールデンウィークの頃を思わせる良い天気である。今日は、上の娘の卒業式だが、午前中から、お世話になっている方にご挨拶をするために東京行き。その車中、私の隣の席に大柄な女が座った。何と、その女は、手鏡を出して化粧をし始めたではないか。それでなくとも花粉症で鼻がムズムズしている。その私の隣で、パタパタとやるものだから、呼吸困難になった。化粧なんてしても、しなくても対して変わらないほどのブスだから、人前で化粧することが恥ずかしいこと、という意識がない。加えて、安い機械で音楽を聞いているものだから、例のカシャカシャ音が耳につく。このときに思ったのだが、「ビンタ法」というものを制定して、こういったマナーの守れない者には、「一発ビンタを食らわせても良い」、ということにする。そして研修を受けた「マナー隊員」を電車や公共の建物の中などに派遣する。特に、電車の中で化粧をしたり、電話をかけたりする者には、堂々とビンタを食らわす。もし逆らったら、刑務所に行かせて矯正させる。本当に、今朝は、あのブスのせいで頭に来た。

 それでも、公私共にご指導を賜っている方に、様々な話をお聞きし、嫌な気分が吹っ飛んだ。感謝しつつ、一時間ほどで横浜に戻る。

 午後は、来客多し。出掛けに、友人が、誕生日プレゼントとして万年筆を届けてくれた。四時過ぎに、御徒町の小料理屋で、「週刊実話」の下村勝二編集長の「還暦と、定年」を祝う会が行われ出席。到着した時には、すでに宴席は満員。山平重樹、木村三浩、二木啓孝の諸氏と同席。僭越ながら乾杯の音頭をとらせて頂いた。

 下村編集長とは、亡くなられた野村先生のご紹介でお会いしてから、個人的に随分とお世話になった。定年で退職とは寂しい限りであるが、まだまだ六十歳。どうかこれからも頑張って頂きたい。

 八時に、木村三浩氏と一緒に帰路へ。

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戦線復帰の宴。

2009-03-20 11:26:37 | インポート

三月十八日(水)晴れ。

 良い天気である。午前中は、自宅で仕事。遅れ遅れの機関誌の編集作業を行う。午後一番で大行社の幹部会に出席するために東京行き。電車の時間があったので、駅で立ち食い蕎麦を食べた。私は、牛丼やスパゲティーなどよりも、立ち食い蕎麦のファンである。以前は、JR蒲田駅にある蕎麦屋(うどんも)が好きだったが、最近では、わざわざ食べに行くことはなくなった。掛蕎麦にちくわ天とコロッケをトッピングして食べる。まあ駅以外では食べないが・・・。

 一時半に、駐健保会館にて行われた幹部会に出席し、「大吼」の春号の内容を発表し、販売拡大を同志諸兄にお願いする。

 終了後は、浜松町の中華料理屋にて、一月の十三日に戦線復帰した木川智君の激励会が行われた。平成十六年の十一月一日、「北朝鮮と通じ同胞を裏切る大手ゼネコン十社を討ち、魂なき繁栄、虚妄の平和、戦後ポツダム体制の象徴たる財界中枢に激す」として大成建設の本社内を銃撃し、囹圄の身であった大行社・時局対策実行委員会、副委員長で、当時、國學院大學に在籍していた木川智君が、本年一月十三日に戦線に復帰した。

 私事で恐縮だが、その木川君が戦線復帰した日というのは、今から二十二年前、「サラリーマンが一生かかっても都心では一坪の土地さえ手に入れることの出来ない状況を招いた」として、某大手不動産会社の会長宅を襲撃・占拠したのが、やはり一月十三日であった。単なる偶然と言えば、それまでだが、同志として何か運命的なものを感じてならない。木川君は、人間性はもちろん、運動家として文章も演説も図抜けていて、将来、大行社はもとより日本の民族派を代表するような存在となるに違いあるまい。

 その後、大行社の皆さんと、六本木に転戦。内川横浜支部長らに送って頂き帰宅。


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