五月十九日(木)晴れ。
本来ならば、第三木曜日は福島から下山する盟友と一緒に、お世話になっている方にご挨拶し、浄財を頂き、意気揚々自宅に戻るのだが、そのお方が第一線から引退し、従って、第三木曜日の楽しみがなくなってしまった。以前、その方から聞いたのだが、「蜷川君。君たちみたいな浪人は、余り長生きすると大変だよ。だって、君たちを応援してくれる人というのは、ほとんどが私のように年上の人だろう。そういった人たちは、当然、君たちより先に引退する。その後の人、つまり二代目、三代目の社長たちは、中々君たちとは付き合わんよ。だんだん支援してくれる人が少なくなって行くのだから、これからは大変だよ」
まったくその通りで、私の周りでも倒産したり、経営が苦しいなどと言って、購読を断られたりするケースが増えている。がんばらなくては・・・。
朝食後から歩いた。毎日、なるべく一時間以上歩こうと努力している。正直言って、毎日同じ場所ばかり歩いていると飽きるので、コースを変えて歩くことにしている。今日などは、一時間半、行けるところまで歩いて、帰りはバスで帰ってきた。こうすると飽きない。また疲れてよく眠れる。当分続けて体の改造に取り組まなければ。
途中の書店で、吉村昭の「海も暮れきる」(講談社文庫)を買った。以前書評で、吉村昭の戦記文学全集を見た様な気がしたので、書店で聞いてみたら、それは吉村昭ではなく城山三郎だった。早速全六巻を注文した。
「海も暮れきる」は、自由律句の俳人、尾崎放哉が晩年に小豆島で過ごしたことを書いたものだ。東京帝大を卒業し、一流の会社に就職したが、その職も妻とも別れて、放浪を続ける。極端な酒乱に肺病持ち。そんな放哉を俳句の同人らが支援する。破天荒な生き様と俳句。
正直言って自由律の俳句は難しい。山頭火や荻原井泉水の句も読んだが、失礼ながら、句よりも、その生き様の方に興味を引かれる。今回の本を読んでいて頭に浮かんだのが長野に住む閑人社の新藤厚のことだ。彼も、様々な葛藤と戦いながら日々酒を飲み、自らを傷つけて荒んで行く。俳人ではないが、そのうちに廃人にならないか心配である。まあ私も人のことを心配している余裕などないが・・・。
珍しく、十時前に寝てしまった。