白雲去来

蜷川正大の日々是口実

尾崎放哉を読んでいます。

2011-05-20 21:12:10 | インポート

五月十九日(木)晴れ。

 本来ならば、第三木曜日は福島から下山する盟友と一緒に、お世話になっている方にご挨拶し、浄財を頂き、意気揚々自宅に戻るのだが、そのお方が第一線から引退し、従って、第三木曜日の楽しみがなくなってしまった。以前、その方から聞いたのだが、「蜷川君。君たちみたいな浪人は、余り長生きすると大変だよ。だって、君たちを応援してくれる人というのは、ほとんどが私のように年上の人だろう。そういった人たちは、当然、君たちより先に引退する。その後の人、つまり二代目、三代目の社長たちは、中々君たちとは付き合わんよ。だんだん支援してくれる人が少なくなって行くのだから、これからは大変だよ」

 まったくその通りで、私の周りでも倒産したり、経営が苦しいなどと言って、購読を断られたりするケースが増えている。がんばらなくては・・・。

 朝食後から歩いた。毎日、なるべく一時間以上歩こうと努力している。正直言って、毎日同じ場所ばかり歩いていると飽きるので、コースを変えて歩くことにしている。今日などは、一時間半、行けるところまで歩いて、帰りはバスで帰ってきた。こうすると飽きない。また疲れてよく眠れる。当分続けて体の改造に取り組まなければ。

 途中の書店で、吉村昭の「海も暮れきる」(講談社文庫)を買った。以前書評で、吉村昭の戦記文学全集を見た様な気がしたので、書店で聞いてみたら、それは吉村昭ではなく城山三郎だった。早速全六巻を注文した。

 「海も暮れきる」は、自由律句の俳人、尾崎放哉が晩年に小豆島で過ごしたことを書いたものだ。東京帝大を卒業し、一流の会社に就職したが、その職も妻とも別れて、放浪を続ける。極端な酒乱に肺病持ち。そんな放哉を俳句の同人らが支援する。破天荒な生き様と俳句。

 正直言って自由律の俳句は難しい。山頭火や荻原井泉水の句も読んだが、失礼ながら、句よりも、その生き様の方に興味を引かれる。今回の本を読んでいて頭に浮かんだのが長野に住む閑人社の新藤厚のことだ。彼も、様々な葛藤と戦いながら日々酒を飲み、自らを傷つけて荒んで行く。俳人ではないが、そのうちに廃人にならないか心配である。まあ私も人のことを心配している余裕などないが・・・。

 珍しく、十時前に寝てしまった。


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「週刊A」の記者氏と飲んだ。

2011-05-20 20:31:52 | インポート

五月十八日(水)晴れ。

午後から東京行き。田町の某会館にて大行社の幹部会議が開催され出席。相談役として挨拶を述べさせて頂いた。全国から参集する大行社の同志の皆さんの熱い議論には、いつも勉強をさせられる。四時近くまで。その後、帰宅。

 夜は、「週刊A」の辣腕記者さんと待ち合わせて、関内の「写楽」へ。途中から社友の古谷喜久男氏が合流。原発問題、民主党政権、そして今回の震災についての話などしながら二時間ほど。その後、三人でサリーの店へ。

 お客さんも少なかったので、サリーと古谷氏と共に野毛に転戦。まずは都橋という所にある「ひろみ」ママの経営するお店へ。ひろみママといっても女性ではなく、おとこの人である。ここに三十分程いてから我々の共通の友人の経営するお店へ。店の名前は忘れたが、まあ盛り上がって二時近くまで。ここで解散。

 飲んではいけないのに、つい調子に乗って二時まで飲んでしまった。猛省。


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