白雲去来

蜷川正大の日々是口実

最高裁の判断は、ごく常識。ザマーミロ。

2011-05-30 23:22:56 | インポート

五月三十日(月)曇りのち晴れ。

 台風一過、午後から良い天気となった。昼までに「実話時報」に原稿を入れて、ウォーキングに出ようかと思ったら、何となく寒気がした。どうしようかと考えていたら近くに住む菊水国防連合の小川和彦氏が来訪して、昨年一緒に訪問した小早川先生宅の写真を持って来て頂いた。その後も、どうも調子が良くないので、布団を敷いて横になった。体は正直なもので、昨夜随分と寝たつもりなのに、目を覚ました時には五時半過ぎていた。

 どうやら体調が戻ったので、パソコンに向って、ブログの更新をしたり、片づけをした。そういえば今日の新聞に、元日本赤軍の丸岡修氏が八王子の医療刑務所で亡くなったという記事があった。先日も、戦旗派の荒岱介氏、そして民族派では小早川久之先生と訃報が続く。と言っても、荒氏も丸岡氏とも一面識はない。しかし、同じ時代に、たとえ思想は違えども、反権力、反体制の運動をして来たという世代的な連帯感のようなものがある。

 興味深かったのは、丸岡氏が死に臨んで裁判で一貫して否定し続けていた、ドバイ事件とダッカ事件の関与を遺書で認め謝罪したことだ。その遺書には、「墓場まで過ちを持ち込むわけにはいかない」と、書いてあったそうだ。裁判で偽証した浴田由紀子や、それを指示した弁護団の責任も大きいだろう。

 入学式などの学校の行事で、国歌を歌う際に起立を強制されたことが、憲法で認められている思想信条の自由を侵されたとかで、裁判に持ち込んだアホがいたが、最高裁で却下された。ザマーミロ。こういった連中は、ある種の意図(反日の)を持って教師となっているから厄介だ。嫌なら、教師を辞めて塾の先生でもやっていればいいのだ。

 国を愛せないような連中が、教師となっていることが非常識で、国歌を歌う際に起立をしないような教師に、こちらが裁判に訴えてクビにしてやりたいと思っている。子供は先生を選べないのだから、こんなアホが担任だったら大変だ。大坂の橋下知事は、起立することを条例で決めようとしているそうだが、これが全国に伝播してゆけば良いと思っている。常識が常識として通用しないのだから嫌になる。

 夜は、町内のジジ・ババたちとの飲み会があったが、体調が悪いので愚妻に代理で行ってもらった。


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小早川久之先生の密葬。

2011-05-30 18:47:19 | インポート

五月二十九日(日)雨。

 台風の影響で、朝から雨脚が強い。沖縄では風速五十五メートルの風が吹いたという。午前中は、原稿書き。どうやらめどがついたので一安心。

 今日は、去る二十五日に亡くなられた小早川久之先生の密葬が久保山の一休庵にて行なわれる。四時半にご葬儀に参列される民族革新会議の山口申、犬塚博英の両先生を横浜駅に迎えに行く。バケツで水をまいたような凄い雨となっている。正に涙雨だ。

 五時前に、一休庵着。菊水国防連合の三田忠充会長や小早川先生の弟である義烈氏などの人たちがお手伝いをしていた。会場に安置されている小早川先生に手を合わせ、ご家族や親族の方たちにご挨拶をする。六時から、通夜式が開始。山口、犬塚の両先生と共に親族の席に座らせて頂き、ご焼香をした。

 終了後に、山口、犬塚の両先生と共に弔いの酒を、前里町の「だんらん亭」にて。小早川先生の思い出話をしながら「白波」をあけた。小早川先生が亡くなられたのは五月の二十五日。この日の夜に、赤坂の乃木神社にて楠公祭が執り行われた。小早川先生が創設した菊水国防隊(その後、菊水国防連合と改称)は、その楠公の精神を受け継ぐことを目的とした団体である。楠木正成は、後醍醐天皇から菊水の家紋を下賜された。菊水国防とは、その楠公の精神を持って国を守るという精神で、小早川先生は団体名に「菊水」の名をとった。

 最後に、小早川先生とお会いしたのは、昨年の七月の二十七日の事。足が悪くなって、外に出るのが大変という小早川先生を気遣って、激励会を催そうと山口申先生の音頭でご自宅に伺った。岡田尚平、犬塚博英の両先生に、小川和彦氏、そして小早川先生と古いお付き合いのS氏に私である。S氏に差し入れて頂いた野田岩の「うなぎ」で一献酌み交わした。早いものでそれから一年。正に、時が過ぎて行くのではなく、人が去って行くということを実感した。

Photo ※昨年七月、小早川先生宅にて。左から、蜷川、山口申、岡田尚平、小早川久之、犬塚博英の諸先生と。


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一日、真面目に原稿書き。

2011-05-30 17:49:35 | インポート

五月二十八(土)曇り。

 季節はずれの台風が近づいているとかで、天気が良くない。今日は、起床後から原稿書きである。夕方までに一段落したら、山口申先生が主催している勉強会へ出席しようかとも思ったが、そんな余裕はなかった。

 月刊の「実話時報」に掲載させて頂いている「回想は逆光の中にあり」の第二十四回である。タイトルは「逝きし人たち」。二十五日に亡くなられた小早川久之先生の事や新勢力社の毛呂清輝先生、そして今月の三日に亡くなった戦旗派の荒岱介氏の事などについて触れさせて頂いた。最も、毛呂先生と荒氏のお二人は引用文のみだが。

 以前、紹介した荒氏の本「監獄ロック・ロウソクの焔を見よ」(彩流社)の中に、府中刑務所でのエピソードが紹介されている。それは昭和五十四年に大東塾の影山先生が自決なされたことを知った時の野村先生のことだ。本を読んで頂くのに限るが、中々感動する文章である。

11050905

 そんな訳で、今日は一日真面目にパソコンに向っていました。


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