白雲去来

蜷川正大の日々是口実

連ドラ「カーネーション」は反日ドラマか。

2012-02-28 23:37:36 | インポート

二月二十八日(火)晴れ。

 寒いと思ったら、天気予報では東京や横浜でも夜半から雪になると言っていた。今日は、午前中に某月刊誌の編集長と会って仕事の打ち合わせをする。昼食を久しぶりに中華街でとるつもりなので朝食を抜いた。

 

 NHKの朝の連ドラの「カーネーション」を見ていると言ったら、社友の隠岐康氏も見ていると言っていた。面白いドラマなのだが、視聴率が二十%をこえているということに甘えて、NHKの反日の素顔が見え隠れする。今日の回もそうだった、濱田まりが演じている(保岡玉枝)美容院の女性が入院をしているところに、主人公の小原糸子が見舞いに来る。そこでの会話がこうだ。玉枝の息子が戦死するのだが、テレビで戦争の場面を見ていた玉枝が、息子が戦地で死んだ時のことを、「あの子は、戦地でひどい目に遭ったと思っていたら、あの子がやったんだ」とつぶやく。

 

 早い話、日本軍が中国大陸でさも悪いことをした、と視聴者に刷り込んでいるのだ。腐れNHKの考えそうなことだが、税金と国民からの料金で放送している国営のテレビがこれだ。こんなプロデューサーが平気でいられることが納得いかない。今に見ていろと思うのは私だけか・・・。

 

 十一時に編集者氏と待ち合わせて、中華街の「安記」にて昼食ののちに事務所へ行き打ち合わせ。その後自宅に戻り、仕事。夜は、町内の親しい人たちとの月に一度の飲み会。今回は、同期生で二年前に亡くなった「清水苑」のマスター、永山悠基氏の三回忌を兼ねて集まった。彼を偲んで思い出話に花が咲いた。

旅の思い出絵葉書。

07h84※平成八年に上の娘と一緒に旅した際に泊まったアジアン・ワールド・ホテル。

08h205※平成二十年から三回、大行社の皆さんとの「日台友好訪台団」にて泊まったホテル・サントス。

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告別式に出席。

2012-02-28 17:38:25 | インポート

二月二十七日(月)晴れ。

 

 サルでもできる反省を、なぜ人間の私ができないのかと、自らをののしりつつ、九時にヘロヘロになってやっとの思いで起きた。誰か家族でもいれば、風呂でも入れて貰って酒を抜くのだが、この時間では家にいるのは私一人であるから仕方がない。コーヒーを二杯飲んで意識をはっきりさせてから東京へ向かう。

 

 今日は、お世話になっている、民族革新会議の山口申先生の奥様が亡くなり、その告別式が正午より行われる。昨日の通夜に行かなければならなかったのだが、、松本君の「入籍の祝い」と重なったため、今日の告別式への出席となった。十一時半に、大熊雄次、隠岐康の両氏と待ち合わせ。偶然に鈴木邦男さんと一緒になる。揃って告別式の行われる会場に行き、まず山口先生にお悔やみを述べた。

 

P1000284※告別式に参加された、民族派では横綱級の酒乱、ではない酒豪の先輩方。四人が揃えばもうほとんど無敵だ。思えばこの方々とも長いお付き合いをさせて頂いている。一緒にいるとなぜか心が和む。

 

 終了後に、大熊、隠岐の両氏と共に上野へ。ようやく胃が動き出したので、昼食をとる。「大昌館」という焼肉屋へ行ったが、さすがに勢いだけで肉はほとんど受け付けずに、キムチとナムルで「マッコリ」を軽く飲み、隠岐氏のリクエストで、アメ横の「新東洋」という台湾料理の店に行く。ここは大熊氏に紹介されてから、アメ横に行くと必ず顔を出す。名物の「ロー麺」と「蒸し鶏」はお約束。

P1000285※新東洋の名物「ロー麺」。サンマー麺の汁なしといった感じか。量が多いのでつまみにするならば三人で一人前で十分。

 

 食後にそれぞれに別れて、私は横浜へ。御徒町の駅前で「舟和」の芋ようかんを買って帰るのもお約束。自宅についてから、のんびりと風呂に入って早めに寝た。


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二・二六事件から七十六年。

2012-02-28 17:06:20 | インポート

二月二十六日(日)曇り。

 二・二六事件から七十六年の日。こう書くとずいぶん昔の出来事のように感じるが、昭和十一年は、私の生まれるわずか十五年前でしかない。私の母が十代の頃で、ちょうど事件の日に渋谷にいたらしい。兵隊が大挙して行進しているのを見て、尋常ならざるものを感じたと話していた。

 

 私が、初めて二・二六事件関係の本を読んだのは、立野信之の「叛乱」であった。以後、随分と関係の本を読んだ。印象に残っているのは、末松太平の「私の昭和史」と大蔵栄一の「二・二六事件への挽歌」だろうか。やはり当事者の回顧録は生々しく、迫力がある。

 

 以前、新橋に、事件に関係した水上源一氏の娘さんがお店をやっていて、友人に連れて行って貰ったことがあった。その方からお話を聞いているうちに、本でしか知らなかった二・二六事件が、いきなり現実のことのように思えて、妙に興奮したことを覚えている。私がまだ二十代の頃だった。

 

 二二六の今年は獄のほそ霙

 

 とは、先生の句である。千葉の獄中で降る霙を見て、先生も、昭和維新の断行を叫んで刑場の露と消えて行った青年将校の人たちへ思いを馳せたに違いあるまい。

 

 今日は、午後四時より、社友の松本佳展君と小枝ちゃんの「入籍を祝う会」があり愚妻と共に出席。会場はもとより、料理も、集まった人たちも素晴らしく、久しぶりに楽しい酒席だった。特に、遠路から細川嘉彦先生や群青の会の大熊雄次氏、そしてサリーファミリーの人たちが参集して、大いに盛り上がった。二次会のカラオケを途中で抜け出して、藤棚の「一休寿司」から「愛福楼」に転戦。

 

 また、今日は、東京マラソンに、弊社社友の隠岐康氏が参加している。夕方に四時間九分で見事完走したとの報告があった。何年もマラソンに挑戦している若い古沢俊一君よりも良い記録だというのだから驚く。ゴルフでいえば、アマチュアのシングルプレイヤー並みの記録であるから見事である。


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