五月五日(月)雨後曇り。子供の日。
雨が降っていて、こいのぼりも手持無沙汰のようだ。子供の日か・・・。私は、仕事柄?か「子供の日」と言うと、汨羅(べきら)の淵に身を投げた中国は戦国時代の政治家・詩人である屈原を思い出す。屈原は秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して汨羅の淵に入水自殺をした。
五・一五事件の指導者であった三上卓が作詞した「青年日本の歌・昭和維新の歌」も、その屈原の故事から始まる。「汨羅の淵に波騒ぎ」と。
屈原の強烈な愛国の情から出た詩は楚の詩を集めた「楚辞」の中で代表とされ、その中でも代表作とされる「離騒」は後世の愛国の士から愛された。やはり「青年日本の歌」の十番には、「やめよ離騒(りそう)の一悲曲 悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ われらが剣(つるぎ)今こそは 廓清(かくせい)の血に躍るかな」と歌われている。
国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行く。そして、その風習は、病気や災厄を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われている。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本に伝わった。
子供の日に食べる柏餅は、柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があるので、これを「子供が産まれるまで親は死なない」=「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、「柏の葉」=「子孫繁栄」との意味を持つそうだ。また、「菖蒲湯」は、「菖蒲」が「尚武」に言葉をかけて、武芸を尊ぶという意味合いがある。
午後から家族で、横浜駅の西口へ。愚妻と下の子供は、なんとか言う画家の展覧会に、私と上の子供は、「そごう」へ。暮に頂いたYシャツの仕立券をうっかりと忘れていたので、作りに行った。データーを見たら最後に作ったのは二年前とのこと。測り直してもらったら、「痩せましたねぇー」と三度も言われた。ウエストなどは十センチも細くなっていた。当時作ったYシャツは当然ながらぶかぶかである。もう少し努力しなければ。
子供のお付き合いで、ロフトや紀伊国屋書店で暇つぶしをしてから、愚妻らと合流して帰宅。
※こんなのをやっていました。