白雲去来

蜷川正大の日々是口実

旅のことなど。

2014-05-24 11:07:30 | インポート

五月十八日(日)晴れ。

昨日、台湾の阿尾博政氏や安倍英樹氏のことなどに触れて書いていたら、なんとなく台湾が懐かしくなった。台湾へはこれまで四度行っている。初めて行ったのは十八年前。個人的な旅行であったがそれなりに楽しかった。平成の十八年からは三年続けて訪れた。皆、台北ばかりなので次に行くときは台南などを旅してみたいと思っている。

200810 ※平成18年10月、台北にて。後ろの海鮮レストランで食事をしたが、食器が皆ウエッジウッドだった。左から安倍氏、隠岐氏と。

行ってみたい、もう一度訪れてみたいと思う国と場所がある。「行ってみたい」と思うのはタヒチ。ボラボラ島の水上コテージに泊まるのが夢だ。アジアならばベトナムかな。そして「もう一度訪れてみたい」と思うのは、イタリア、特にシチリア島とパリとスペインのトレド。あっモロツコもだ。アジアでは上海。「美は一度限り」という言葉があるが、最初の旅の感動を再確認する旅もきっといいものだと思う。野村先生の記憶を記録しながら先生と歩いた国の街を再び旅してみたい。

上海は、盟友のお世話で万博の時に行ったがとても感動した。万博ではなく街並みに。俗に「デジャブ」という言葉がある。それまでに一度も経験したことがないのに、かつて経験したことがあるように感ずることの仏語。漢字では「既視感(きしかん)」あるいは「既視体験」と言う。

それを強烈に感じたのが上海だった。上海中心部を流れる黄浦江と蘇州河の合流点から南の金陵路付近までの中山東一路沿いの黄浦江西岸は、外灘(英語名:Bund(バンド))と呼ばれ、租界時代の上海の中心地であった。ここには当時の建築物が多く残っている。と観光案内では知っていたが、歩いて見ると不思議にどこに何があり、何があった、ということが頭に入っている。自分でも、はっと驚くことがしばしばあった。

もし次に訪れることがあるならば、現在は上海大厦と呼ばれているブロードウェイマンションと上海最大のマフィアであった杜月笙の家をホテルにした東湖賓館に泊まってみたい。そこで「上海物語」でも書いてみるか。

202901 ※ガーデンブリッジとブロードウェイマンション。

ここで現実に戻って、日曜日だと言うのに(まあ毎日が日曜日みたいなものだが)事務所にて機関誌の印刷を行った。そして遅れていた人たちに発送して一日が終わった。夜は、カツオを求めてスーパーを三軒廻ったが空振り。仕方なく、冷蔵庫の在庫整理で独酌。


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台湾の戦後秘史。

2014-05-24 09:47:36 | インポート

五月十七日(土)晴れ。

午前中は近くの医者で定期検診。血をたっぷりとられて、二十七日に胃カメラと決まった。六年ほど前に胃を患ってから、ほぼ毎年胃カメラでチェックしているが、何回やってもこの検査は憂鬱である。血圧と糖の検査は良好。後は肝機能か・・・。これは無理だな。毎日の酒のせいだけではなく、世相のせいにもしておこう。

 

そう言えば、14日付の「産経抄」に懐かしい方の名前があった。台湾でお世話になった阿尾博政氏である。大行社の主催で行った「日台友好青年団」の宴席で、台湾在住の安倍英樹さんからご紹介された方だ。(安倍さんの人生も波瀾万丈で、その生き様は、先年講談社α文庫から出版された「ケンカ番長放浪記」に詳しい)。まず「埋もれかけた戦後の絆」と題された「産経抄」をご一読願いたい。

06231 ※是非ご一読を。

「埋もれかけた戦後の絆」

「戦後、台湾の陸軍で『上将』(大将)の位についた日本人がいる。日本陸軍の元少将、富田直亮(なおすけ)(1899~1979年)だ。その没後35年に合わせて初の法要が先日、台北郊外の寺院で営まれた。陸上自衛隊出身で富田の元秘書、台北在住の阿尾博政氏(83)らが、「埋もれかけた日台の絆を語り伝えたい」と準備したのだ。富田を台湾に招いたのは国共内戦で中国大陸を失った蒋介石。49年から20年間、日本軍元将校83人をひそかに軍事顧問とし、台湾軍将校を再教育。軍の動員体制などを整えた。赤(共産)軍に対抗する意味で団長の富田の現地名は『白鴻亮』とされ、顧問団は『白団』と呼ばれた。存在は87年の戒厳令解除後になって明るみに出た。『軍事面での貢献が強調されがちだが、多数の工場を開設して退役軍人の力を台湾の経済建設につなげたのも、白団の功績だった』と阿尾氏は証言する。法要には富田の次男で米ニューヨーク在住の重亮(しげあき)氏(77)ら団員の遺族や在留邦人ら約40人が集い、阿尾氏を会長に白団顕彰会も設立された。日本統治時代とは対照的に、戦後のこうした交流は台北の軍事博物館などでも一切触れられていない。僧侶の読経の中、日台の関係の深さ、複雑さを思った。(吉村剛史)」。

Cimg4730 ※台北にて。阿尾博政氏。撮影・蜷川。

阿尾氏は、自身の過去を語った本を上梓されている。興味のある方はご一読願いたい。

51sao6zcqdl_ss400_1 ※講談社刊。 

私は、この本を読んで川島芳子や一部にどうも納得の行かない部分があったが、まあそれは阿尾氏の記憶違いか見解の相違としておこう。台湾には、上記の「白団」を指揮した富田の他に戦後、宮崎県延岡市の沿岸から極秘裡に台湾へ渡り、中国名「林保源」として湯恩伯の第五軍管区司令官顧問、中将に任命された根本博がいる。

国民政府が台湾へ移り、中華人民共和国成立後、最初の本格的な戦い。すなわち本土から数㎞しか離れていない金門島における古寧頭の戦いを指揮、上陸してきた中国人民解放軍を破り、同島を死守した根本博元陸軍中将。その根本のことを書いた本が、ドキュメンタリーのヒットメーカーである門田隆将氏の、「この命、義に捧ぐ」(集英社)である。実は、門田氏が、その本の取材で台湾に行くときに、阿尾氏や安倍氏を紹介させて頂いた。台湾の戦後秘史を学ぶ上に富田、根本両氏のことは避けて通れない。

この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~

 

夜は酔狂亭で月と影とで三人となって寂酌。


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