八月三日(日)晴れ。
八月の十三日から横浜の高島屋の八階ギャラリーで「ヨコハマ・グラフティー・ザ・ゴールデン・カップスの時代展」という催しが行われる。若い人たちにはゴールデン・カップスと言ってもピンとこない人たちが多いに違いない。
ザ・ゴールデン・カップスは1966年12月、横浜でデイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズである。「愛しのジザベル」、「長い髪の少女」、「銀色のグラス」などのヒット曲は一度は聞いたことがあるに違いない。その高島屋の催しに先駆けてのプレパーティーが元町のナイトクラブ、クリフサイドにて行われた。私は、プロデューサーの一人である元ナポレオン党の小金丸峰夫さんからチケットを頂いて出席した。
このクリフサイドは、昭和二十一年オープンの老舗である。今でこそイベントのある時ぐらいしか足を運ばないが、その昔は大人の社交場として連日賑わいを見せていた。二階に寿司屋があったことなど、知る人はもう少なくなった。また古い話で恐縮だが、「上海帰りのリル」という映画のラストはクリフのすぐ横のトンネルの所で主人公が拳銃で撃たれる、と言うシーンがある。クリフの入口には、旧ナポレオン党の関係者の皆さんが乗ってきた、ムスタングなどの六十年代を象徴するアメ車がずらりと並んで、古き良き時代のヨコハマにタイムスリップ。
入口で、峰夫さんに挨拶して席に着くと、何と私の席はナポレオン党の関係者席。周りは先輩ばかりで気が引ける。ファンでもあるミステリー作家の山崎洋子先生にご挨拶できたのが嬉しかった。
まずは、横浜出身で亡くなられたミュージシャンの方々に黙とう。ディブ平尾、柳ジョージ、ジョー山中といった人たちの顔が浮かぶ。キャシー中島さんや峰夫さん、そして六十年代にBEBESを結成してボーカルを担当していたチー坊さんも皆さんに挨拶。チー坊さんはクレイジー・ケンバンドに影響を与えた人だ。その昔、ステージでAKGの四角いマイクでジミヘンやクリーム、フリート・ウット・マックなどの曲を歌っていたのを思い出す。メンバーには陳信輝やルイズルイス加部、柳ジョージなども加わっていた伝説のブルースバンドである。BEBESはその後「パワーハウス」と名前を換えてメジャーデビューする。
会場には、お友達に大勢お会いした。サリーご夫妻は勿論、盟友の岡崎一郎氏の弟さん、浅野忠信さんのお母さんのジュンコさんや・・・。書ききれないので以下省略。
神奈川新聞にこのイベントが載っていたので、紹介します。
1960年代の横浜・本牧の若者文化を振り返る展覧会「ヨコハマ グラフィティ ザ・ゴールデン・カップスの時代展」(13~25日、横浜高島屋)を記念したプレパーティーが3日、横浜・元町のダンスホールで行われ、当時の音楽やダンスが再現された。当時の本牧は米軍関係者の住宅などが立ち並び、最新のアメリカ文化に憧れる若者が集まった。64年には本場のR&B音楽を聴かせるクラブとして「ゴールデンカップ」がオープン。グループサウンズ「ザ・ゴールデン・カップス」はその専属バンドだった。パーティーでは、同バンドのメンバーだったエディ藩さんらが往年のヒット曲などを演奏。聴衆も次々にフロアに出て踊り、会場は熱気に包まれた。10代のころ同クラブに通っていたという同展のプロデューサーでタレントのキャシー中島さんは「同世代には懐かしく、若者には憧れとなる場にしたい」と来場を呼び掛けた。
何と、このイベントは、高島屋さんなどのご厚意で全て無料である。更に、このイベントを記念して発売された「横浜グラフティー」(菅淳一著・幻冬舎刊・1500+税)やグラビア「フェンスの中のアメリカ」、ハンカチタオル、八月十三日からの高島屋のイベントの入場券二十枚がプレゼントされた。
終了後は、ジュンコちゃんの車に同乗させて頂き、打ち上げ会場となったYCCへ。一時間ほどいてお暇した。