白雲去来

蜷川正大の日々是口実

魂の句歌集ー「積もらざる雪」。

2014-08-08 16:25:52 | インポート

八月六日(水)晴れ。

昭和二十年の今日は、米軍が広島に原爆を投下し、無辜の民を大量虐殺した日である。米国は、この原爆投下を今をもって正当化しているが、いつの日かその裁きを受けるに違いあるまい。

また今日は、別れた娘の誕生日でもある。ちなみにその子の名付け親は野村先生で「経団連事件」の翌年に生まれた。

道の大先輩でもあり、大アジア主義の研究家として「義の絆・奉祝辛亥革命百周年記念〔大義之結〕・孫文と宮崎滔天」(朝日新聞出版)の著書もある行政調査新聞社社主の松本州弘先生から、「福山辰夫句歌集ー積もらざる雪」(「福山辰夫著・猶興社刊・2000円)をご恵送頂いた。その句歌集の選者が、日頃からお世話になっている藤井厳喜先生ということもあって早速読ませて頂いた。

松本先生の序文で、著者が獄中での日々の中で詠んだ歌や句であることを知り、一層興味深かった。最初の「春の章」の二首目、「『点検』と合図をかける職員の言い回しにてその人を知る」は、獄中経験者にしか分からない歌かも知れない。野村先生の句に「看守にもいい人がいて木の実をくれた」があるのを思い出した。

「不条理をくずしては食みぬ冷奴」の句は、体調管理を言い訳に、酒の肴として毎日食べている冷奴が浮かび、何の感慨もなく食べていることが少し恥ずかしくなった。

福山氏の平成九年の夏の句「刑務所の印が押されし本を手にしばし問いたるわが人生」で浮かぶのは野村先生の「鰯雲 文庫本にも獄書の印」。

更に、「弟に連られ面会に来てくれし父の後姿忘れがたしも」には、野村先生も同じ感慨を持ったのだろう、父上の面会に関しては、「わが愛す父の冬帽 面会室」と「爽やかな父の白シャツ『また来るよ』」。

選者の藤井厳喜先生は、「選者の言葉」として「獄中体験という異常な体験自体が優れた文学を生む訳ではない。戦争体験にしても同様である。どんなに特殊でも、体験は体験に過ぎない。多くの囚われ人は、何らの文学作品も残さず刑期を終えるのだ。その体験を普遍性のある文学に結晶させるのは、作者の才能と研鑚である。その二つが揃って、この句歌集が誕生したのである」と結んでいる。

私も同感である。「多くの囚われ人は、何ら文学作品を残さず刑期を終える」と藤井先生は言うが、文学作品を残す方が、ごく稀なのである。大多数の人たちは、魂の研鑚さえせずに刑務所を後にする。「志」のある人のみが、過酷な獄中生活の中で、流されずに、魂の記録を綴って行くのである。

かつて野村先生は、獄中生活を経て作家となったが四十六歳と言う若さで自裁した見沢知廉氏が千葉刑務所にいた折に、ご母堂に頼まれて書いた「獄中のS君への書簡ー今君に『渾身の悩み』はあるか」(「友よ荒野を走れ」野村秋介著・二十一世紀書院)の中で、こう書いている。

「弓の矢を遠くへ飛ばすためには、その矢を一度、しっかりと後ろへ下げなくてはならない。人は、誰もが遠くへ翔びたいと内心思っている。多分、刑務所を出所する人は、全員がそう念じている出るのだと思います。しかし、大方の人は、すぐ落伍してしまう。獄中時代と言う、折角の、心の習練の場を得ながら、出ることばかり考え、人の悪口に明け暮れし、目先の愚にもつかぬ事柄に囚われて学ぶことをしない。それは弓の矢を引きしぼる営為を怠ったからに他ならないのです」。

大変僭越ではあるが、「積もらざる雪」の著者である福山氏も、きっと弓の矢を渾身の力を込めて引き絞ったに違いあるまい。この句歌集は福山氏のそういった獄中での思いが凝縮されている。だからこそ私のような無学な者であっても、この句歌集の一句、一首が心に響くのである。

句や歌を読むことは人を読むことと同義語であると思う。こういった素晴らしい句歌集をご恵送頂いた松本州弘先生に感謝する次第です。

Photo ※魂の句歌集です。是非、ご一読を。

夜は、名前だけは立派な「蜷川政経懇」を同級生の高杉茂氏が経営する野毛の「弥平」にて開催。その後、有志らと二軒転戦して帰宅。

 


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