白雲去来

蜷川正大の日々是口実

神品至宝展へ。

2014-08-16 17:56:51 | インポート

八月十四日(木)曇り時々雨。

七時前なのに、「お父さんお腹がすいた。」と子供に起こされた。朝食はハムエッグにキャベツの千切り添えに頂き物のカップの味噌汁。

午前中に子供と一緒に上野の東京国立博物館にて開催されている「台北国立故宮博物院・神品至宝展」に出かけた。有難いことに大行社の三本菅会長より入場券を頂いたり、一般公開に先立って行われたレセプションに三本菅会長が招待された折に送って頂いた写真入りの四百頁もある解説書「神品至宝」を読んでいたので、事前にレクチャーできたことがとても役に立った。

Photo ※A4版よりも一回り大きく400頁もある豪華な本です。

台北の故宮には何回か訪れたことがあるので、今回展示されている至宝のほとんどを見たことがある。しかし、三本菅会長に頂いた「神品至宝」の本や、六月の二十八日と二十九日の二日間に放送されたNHKスペシャル「シリーズ故宮」を見たことにより、感慨と感動がまた新たになった。

私は、中国の詩や書が好きである。仕事をしていて疲れた時など、傍らに置いてある「唐詩選」や李白、白楽天の詩の本を読む。ほとんど棒読みなのだが、幸い書かれているのは漢字であるから何度も目を通しているうちに何となく意味は分かってくる。後で、その詩の解説を読んで、自分の解釈とどのくらい違うのかと確かめるのも楽しい。

Dcim0081 ※博物館の前で。

NHKの漢詩紀行と言う番組のDVDが出ているそうだが残念ながらレンタル屋には置いていない。いつか手に入れたいと思っている。

博物館に展示されている物は、まさに美味しい所取りで、台北の故宮よりも量は少ないけれども、その分中身が濃かったような気がする。子供に時々解説をしてあげながら、気が付けば三時間もいてしまった。記念に絵葉書を幾枚か買って博物館を後にした。西郷さんに挨拶しようと思ったが、外はあいにくの雨。

急いで、アメ横の新東洋へ。子供と一緒にここの名物の「ロー麺」を食べて、青島ビールを二本飲んで横浜に戻った。

夜は、久しぶりにカメ&アコちゃんたちと待ち合わせて野毛へ。以前から店構えがオシャレで気になっていたお店があったので入ってみた。良かったのは店構えだけで、出てくるものは最低。大好きなカツオを「たたきではなく刺身で」と何度も言ったのに、出てきてものはスーパーでも売らないような物で、おまけに「たたき」。一番おいしかったのは「銀だら」の焼き物についてきた「昆布」。三人で大笑い。ちょっと飲んだだけで一万円。入った私が馬鹿でした。

口直しに「むさし」へ転戦。やっぱりここだよなぁーとオヤジ会話がはずみ、飲んだり食ったりの二時間でした。当然家に帰ってから子供におこられた。


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ハンカチのこと。

2014-08-16 16:54:02 | インポート

八月十三日(水)晴れ。

当たり前のことだが、毎日暑い日が続いている。暦の上では秋となりましたが、厳しい残暑の日が続いています。という手紙の書き出しがぴったりの日々。朝食は、アジの干物に納豆にほうれん草の味噌汁。朝定食の見本のようなメニューだ。

突然で恐縮だが、「手巾」と書いて「ハンカチ」と読める人がどのくらいいるだろうか。ハンカチ (handkerchief) とは、主に身だしなみとして日常的に用いられる、通常は四辺を一にする正方形の布のことで、ハンカチーフの省略形である。とはウイキからのコピペである。ハンカチをハンケチと言うのは東京弁。最近は使われなくなったが、ハンカチタクシーと言うのは「白タク」のことでハンカチドラマと言えば「お涙頂戴」のドラマのことである。今は全く死語となったようだ。

私は、普段着の時はほとんど持ち歩かないが、背広で出かける時は必ず持って行く。しかし、トイレで用を足した後に、最初からハンカチを用意すれば良いのに、手を洗ってから、まだハンカチがズボンにあるのに気が付く。結局はぬれた手でハンカチを取り出すのだが、そそっかしいせいか、いつもこれをやってしまう。

ハンカチと言えば、映画「幸せの黄色いハンカチ」、大田裕美の「木綿のハンカチーフ」、石原裕次郎の「赤いハンカチ」。映画も歌も好きだが、特に裕次郎の「赤いハンカチ」を聞くと中学生の頃と、室外教育と言うもので行った網走の能取岬を思い出す。そう言えば芥川龍之介の短編に「手巾(はんかち)」と言うものがあった。

今日から、愚妻と下の子供が青森に帰郷する。しばらくは上の子供と二人っきりの生活となる。さあ飯でも食うか。


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日航機墜落から29年か・・・。

2014-08-16 16:22:51 | インポート

八月十二日(火)曇り後雨。

朝食は、昨日の塩引きの鮭をほぐしてチャーハンにした。それでも子供たちは「しょっぱい」を連発。豊かな時代に育った子供たちには、この塩引きの鮭でご飯をお変わりして食べた時代のことなど理解できないのであろう。

夏休みということで、子供にせがまれてランドマークで開催されているポケモンのイベントに出かけた。下の子供はもうポケモンという年ではないのだが、上のお姉ちゃんは大学受験を控えているのに未だにポケモンのファンである。ショップには小さい子供や親子連れでにぎわっていた。せがまれて「カメックス」とかいうポケモンのぬいぐるみを買ってあげた。

Dcim0074 ※ピカチュウが沢山いました。

1 ※ピカチュウの隣のポケモンの名前を知りません。

昼食は、野毛で六十年近くも営業しているレストランの「センター・グリル」へ連れて行ってあげた。最近は、ファミレスが全盛で段々こういった町場の洋食屋が消えてしまうのはさみしいことだ。そういう私もここに来るのは久しぶりのこと。ハンバーグライスとオムライスを注文した。

Dcim0009 ※センターグリル。

その後、やはり野毛で六十八年もやっている和菓子の「もみじ」へ行き、ここの名物の「横浜どら焼き」を買ってあげた。

Dcim0077 ※もみじのどら焼き。

今日は、日航機の墜落から二十九年ということをニュースで知った。事故が起きたのは昭和六十年の今日のこと。大阪に向かう日航機がレーダーから消えました。という臨時ニュースのテロップが流れた。その後、生存者を救出する映像や、墜落した機体の映像がとてもショッキングだったことを覚えている。

その事故から三日後の終戦の日に、元楯の会の阿部勉さんや板垣哲雄君らと岐阜の花房東洋先輩を訪ねた。二日後に、突然海に行こう、ということになり当時下田で民宿を経営していた高橋順之助先生の所に泊まった。あれから二十九年が過ぎて、阿部勉さんも板垣君、高橋先生も皆鬼籍に入られてしまった。不謹慎なようで申し訳ないが、日航機の事故のニュースを見ると、あの夏、下田へ行ったことを思い出す。合掌。

4 ※昭和六十年八月十七日。下田に行く途中の「熱海」駅にて。左から、故板垣哲雄君。蜷川。花房東洋先輩。故阿部勉さん。時が過ぎるのではなく、人が過ぎて行く・・・。


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ピロリ菌撃滅作戦。

2014-08-16 15:45:27 | インポート

八月十一日(月)曇り。

朝食は、塩引きの鮭の切り身。みそ汁を作るのが億劫なので、一口サイズのインスタントラーメン。随分と、糠漬けをやっていたが、おしんこは私以外の家族は食べない。この夏場、朝に漬けると夕方にはもう食べごろとなる。何も漬けないと糠床が傷むので、毎日何かを漬ける。

そうなると食べるのが忙しくなって、いや食べなければと言う強迫観念に駆られて、何のために漬けているのか分からなくなってきた。意を決して糠床を処分した。まあ血圧にも影響しそうと勝手に言い訳してのことだが、少々もったいない気持ちになった。

日頃、天下国家を論じているくせに女々しい話で恐縮だが、「男子厨房に入らず」と言うが、私は厨房も閨房にも進んで入る性格です。

ピロリ菌の検査でアウトとなり、今日から一週間ピロリ菌撲滅の薬を朝晩に飲まなければならない。量が多いのでうんざりだが、まっ医者の言うことには逆らえない。その他、血圧や頭の血液をサラサラにする薬など、まるで人体実験をされているような気がする。「お前よ、幾つまで生きるつもりなの」と野村先生に叱られそうだ。

そんな訳で、今日ぐらいは正しい生活に甘んじようと思った次第。

Dcim0108 ※頼むよ。お薬さん。


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