八月七日(木)晴れ。
午前中は、本やお中元を頂いたお礼の手紙を五通。これもかなり疲れる。一通に便箋三枚として十五枚。一仕事だ。午後から上の子供を連れて伊勢佐木町の有隣堂へ書籍浴に行く。
昨日、読了した百田尚樹氏の「海賊と呼ばれた男」の文庫本、上下巻が平積みで置いてあった。その本の近くには、菅淳一さんの「横浜グラフティー」も平積みであった。恐縮するのは、「横浜グラフティー」の巻末に、協力者として私の名前があったことだ。申し訳ない。
百田氏の本は、日本人に元気と勇気を与えてくれるものだ。もっと早く出光の事実を知っていたら車のガソリンはすべて出光で入れたのに。日本人の必読書であると思った次第。その本の中で知ったのだが、戦時徴用した民間の艦船と民間人の犠牲の多さに驚いてしまった。
「アメリカは日本の工業生産力を削ぐべく、南方から資源を運ぶ輸送船を狙った。その任務を背負ったのは潜水艦で、彼らの最優先標は軍艦ではなく輸送船だった。
聯合艦隊が輸送船を護衛することはほとんどなく、防御手段を持たない速度の遅い輸送船はアメリカの潜水艦に発見されれば、なすすべもなく沈められた。
驚くべきデータがある。財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば大東亜戦争で失われた徴用船は、商船三千五百七十五隻、機帆船二千七十隻、漁船千五百九十五隻、計七千二百四十隻。そして戦没した船員、漁民は六万人以上に上る。彼らの戦死率は約四三バーセントと推察され、これは陸軍軍人の約二Oパーセント、海軍軍人の十六パーセントをはるかに上回る数字である」(本文より)
こういった人たちの犠牲の上に今日の平和がある。ということをあらためて知った次第である。
夜は、そごうの鮮魚店で買った「カツオ」と冷奴で晩酌。つつましく平和で、小市民的な夜が更けて行くのである。