白雲去来

蜷川正大の日々是口実

こんな良い鰹を一人で食べて寝る。

2014-08-13 16:26:58 | インポート

八月十日(日)晴れ。

台風が西国で暴れまわっている。沖縄や高知など、いわゆる台風の通り道に住む人たちは大変だと思う。何しろ毎年必ずやってくるのだから。台風が来ても屋根が飛ばされないように、瓦を葺いた。しかし地震などの時にはその瓦の重さが仇となって家がつぶれてしまうこともある。それでも家がつぶれるくらいの地震は年に何度も来ないが、台風の来ない年はほとんどない。日本人が我慢強いのが、何となく分かるような気がする。

札幌の社友のFBを見ると、盟友が来札とのこと。高濱虚子の句に、「三日月を見よといふなり蝦夷の旅」というものがある。そう言えば、しばらく札幌を訪れていない。雪の降る前に札幌の社友や同志らに会いに行くか。

私は、家族が見向きもしない物で好きな物がかなりある。年代の相違と言ってしまえばそれまでだが、常に買い置きしてある丸善の魚ニソ、マルシンのハンバーグ、赤ウインナー、ボロニア・ソーセージなど、私以外には誰も食べない。独り占めが出来るので、それはそれで嬉しいのだが、まあ食の好みと言うものはいかんともしがたいか。

それと、どんなに美味しいと言われるパンより、「焼きそばパン」が大好物である。これも家族は食さない。金のない若い頃は、この焼きそばパンをつまみに一杯やったものだ。これがとてもビールに合うから不思議だ。私にとってパンは食事ではなく、あくまでおやつの部類に入る。パンなんか、いくら食べても満腹感を味わえない。てやんでぇー、べらぼーめ。という感じになるのである。

最後は、かつお。これも家族は食べない。かえって嬉しくなる。尾崎放哉の句に「こんな良い月を一人で見て寝る」と言うものがあるが、わたくしにしてみれば「こんなに良い鰹を一人で食べて寝る」である。といっても最近は控えめにしていますが。


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酒杯に天下の影を映しての一献会。

2014-08-13 15:24:42 | インポート

八月九日(土)曇り後雨。

長崎への原爆投下の日。米国への抗議をする前に「日本人の反省」を言う人がいることのアホさ加減。それはやはり米国の占領軍に押し付けられた現在の日本国憲法を「誇るべきもの」と言う人たちに共通した自虐史観といえる。今日の追悼式で長崎市長が総理の列席する前で「集団的自衛権」の見直しを言うことの非常識。おめぇ何様。と私は思うが、拍手喝采する人もいる。

福島瑞穂やソウリ、ソウリの馬鹿ねェちゃん、橋下市長が敢えて名前を呼ばずに共産党と言った(バカ受けした)連中が時折口にする「我々国民は」の中に、まさかこの私や、我が家の家族は入っちゃいめぇーな。一緒にしないでくれよ。頼むから。

若い頃は、今日は「反ソデー」で、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、満州や樺太に侵略し、日本人同胞を虐殺したソ連に対して、街頭に出てその悪逆非道ぶりを訴えて運動した。ソ連大使館の近くで抗議行動をしたことなどが、今は懐かしい思い出である。

午前中に伊勢原へお墓参り。東名高速はさほど混んではいなかった。途中のJA伊勢原で仏花を買ってお寺へ。まずご住職にご挨拶をして先生のお墓に詣でた。後二ケ月もすると群青忌である。あれから二十一年か・・・。早いものだ。お墓の名刺入れを見ると劇団再生の高木尋士さんと劇団再生に在籍している女優の、あべあゆみさんの名刺や大山伸氏、そして大行社の芦川慶さんの名刺があった。有難うございます。野村一門を代表いたしまして心から感謝を申し上げます。

夜は、後輩の鈴木斉君のご尊父が逝去なされ、その通夜式が溝口のお寺で行われるので出席。統一戦線義勇軍の針谷議長や友人らにご挨拶して帰路へ。途中、無頼派の憂国の志士である松本洋三氏から連絡が入り、新横浜で新進気鋭の論客I・O氏と酒杯に天下の影を映して一献酌み交わしているので、是非とのこと。松本氏とも飲みたかったし、若手の論客として注目度が高いI氏ともお会いしたかったので参戦した。

もちろん談論風発、侃々諤々、喧々囂々、丁々発止で、久しぶりに「赤兎馬」と人に酔った。別れ難しということで関内へ転戦。馴染みの店で、今度は高歌放吟。楽しい酒席となった。松本氏の豪胆とI氏の繊細に酔った夜だった。


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