白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ナポリタンはおかず?。

2015-11-24 12:09:44 | 日記
十一月十九日(木)晴れ後雨。

いつも家族に笑わられるのだが、私は、「ナポリタン」は、ご飯のおかずにして食べるのが一番好きである。今朝も、赤ウインナー、目玉焼きにナポリタンとキャベツの千切り、というメニュー。「ナポリタン」と言っても、私が作るものを本場のイタリア人が見たら、ビツクリポンに違いあるまい。玉ねぎと赤ウインナーを入れてスパゲティーを炒めてケチャップで味をつけただけのものだ。

スパゲティーが「パスタ」で、炒めずに茹でたものにソースをからめて食べる、と言うことを知った時は、随分と驚いたものだ。私の若い頃は、スパゲティーは専門店やレストランで食べるのではなく、喫茶店で食べるものだった。まあどうでも良い話ですが。

歳時記によれば、今日は「一茶忌」だそうだ。一茶のつくった句は約二万二千句。で、芭蕉の約千句、蕪村の約三千句に比べ非常に多い。最も多くの俳句を残したのは、正岡子規で約二万四千句であるが、一茶の句は類似句や異形句が多いため、数え方によっては、子規の句数を上回るかもしれない。よく知られている「我と来て遊べや親のない雀」にも、「我と来て遊ぶや親のない雀」と「我と来て遊ぶ親のない雀」の類似句があり、これを1句とするか3句とするかは議論の分かれるところである。

現代の一茶研究で最も権威のある『一茶全集』第1巻(信濃毎日新聞社、一九七九年)には、一茶のほぼ全作品が収録されている。なお、その後の発行された『一茶発句総索引』(信濃毎日新聞社、一九九四年)で、一九八句が新出句として追加されるとともに、『一茶全集』第1巻に久保田兎園等の句が40数句あったと記述されている。一茶の句の発見は、これ以後も続き今日に至る。(「ウイキ」より。)

昼に、友人が来て、中華街の「安記」にて昼食を共にした。車で行ったので、当然飲まず。中華街に行って酒を飲まずに食事だけと言うのも寂しいが、最近胃が痛むことが多いので、休肝日とした。友人を駅に送ってから事務所にて仕事。

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「おでん」の話。

2015-11-24 11:12:11 | 日記
十一月十八日(水)雨。

当たり前だが、この時期は、一雨ごとに寒くなり、反対に春は、一雨ごとに暖かさが増す。寒い時の雨はニガ手だなぁー。家族が出かけた後にのんびりと朝食を食べるのだが、一人分の味噌汁を作るのが面倒なので、ついインスタント物で間に合わせてしまう。「しじみのちから」「松茸のスープ」百均で売っている「チキンラーメン」、マルちゃんの「ホットワンタン」などである。色気も何もないが、まあ無いよりましだ。

今日のような寒い日には、「おでん」が恋しくなる。江ノ島の近くに「おでんセンター」というものがあって、様々なお店が軒を連ねている。昭和四十年代の後半、車の取り締まりが今のようにうるさくない頃には、店がハネた後に、車でオネエさんたちを連れてドライブがてら、「ひげでん」などに出かけたものだ。その「おでんセンター」だが、昔の方がもう少し規模が大きいように記憶している。その他、横浜駅の西口、帷子川沿いにおでん屋が軒を連ねる「おでん屋台」が名物となっているが、関内を「飲み場」としいる私としては、サラリーマンや若者の聖地である「西口」でほとんど飲むことはない。

因みに、住民一人当たりのおでん屋の店数が日本一の地域は金沢市とのこと。一度行ってみたい。我が家でおでんを作ると、ついあれも食べたい、これも食べたいと買い過ぎてしまい、家族から顰蹙を買ってしまう。二日も、三日もおでんの日が続けば文句を言われても仕方がないか。関東と関西では、「おでん種」には多少の違いがあるらしい。関東のおでんでは欠かせない「ちくわぶ」や「すじ」は関西のおでん屋にないそうだ。特に、「ちくわぶ」はその名前はおろか存在さえ知らない人が多いということを知って、意外に思ったことがある。

先日、古書店で見つけた『食味の真髄を探る』(波多野承五郎著・犬養智子編・新人物往来社)の中に、おでんの「すじ」について書いてあった。

「すじ」というのは、東京固有のもので、しかもおでんの材料としてのみ存在しているのであるといってもよいほどのものだ。「すじ」とは、魚の筋だ。それは蒲鉾やハンペンを製するべく、魚の身を削ぎ取ったあとに残った筋や、すりみを裏ごしにかけて残った筋をもって製造した一種の蒲鉾であるのだ。しかし、上等蒲鉾の材料となるべき、虎ギスや沖ギスの摺身から出た筋は、品質がよいから八幡巻の芯に使われる。而して、鮫や黒皮梶木のような大きな魚には、筋が発達しているので、身を取ったあとに、それが残らざるを得ない。日本橋の『神茂』のような大きな蒲鉾屋では毎日、これらの筋を纏めて円筒形のものを造り、荒い簾で包んで蒸しあげる。そして毎朝、魚河岸に運ばれて、おでん屋の手に渡る。小さい蒲鉾屋でも、蒲鉾製造の際に、筋が残るから、これらを纏めて、「すじ」を造りはするが、毎日、一本の「すじ」を製造するほどに、材料が纏りかねることがある。それだから、こういうところの筋は、材料において新鮮味を失うことがないともいえぬ。

これまで、単に「おでん」は「おでん」と深い考えもなく食べていたが、これからは、おでん種の一つ一つにもう少し拘って食べてみようと思っている。

午後から役員の末席を汚している大行社の役員会議に出席するために東京行き。大行社も会長の交代などあり、新執行部体制となった。終了後は、六本木の懇親会に参加し、終了後は岸谷聖一氏と共に横浜に帰った。

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