三月五日(火)晴れ。
朝食をとらずに、正午に、愚妻と上の子供を連れて、関内駅のすぐ近く、大通公園脇の、うどん屋「おおぎ」へ行った。先日、友人に連れて行って貰い、ここのうどんを気に入って、今回で三度目である。二人は「辛みそうどん」「味噌煮込みうどん」と私は「天ぷらうどん」。「定食」にすると、ご飯と生卵が付く。お会計の時に、他のテーブルを見たら、今日は暖かったせいなのか、ほとんどの人が「ざるうどん」を食べていた。
食後に、有隣堂に行くと、店の前で古書のワゴンセールをやっており、『のり平のパ-ッといきましょう』(三木のり平・小田豊二聞き書き・小学館)が目についたので購入。千円だった。三木のり平と言えば、単に喜劇役者として、森繁との共演の「社長シリーズ」ぐらいか知らなかったが、彼が、喜劇役者として、更に優れた喜劇演出家であったことを知ったのは、最近のことである。人について書かれた物が好きである。家で過ごす楽しみがまた増えた。
私の友人が、洋光台と言う所に住む彼の叔母が馴染みにしているお店に連れて行って貰った所、同年代のマスター氏と話がはずみ、出身高校を聞くと、横浜高校とのこと。それでは「蜷川を知っているか」と聞くと、「良く知っている」と言うことになった。広い横浜で、さらに横浜高校の出身者など、幾ら同世代とはいえ、何百人もいる中で、私を知っている人と会うと言うことは、まさに奇跡に近い。マスターが私を知っていたのは、何と陸上部の一級先輩だったこと。先月のことである。そこで友人と日にちを調整して、そのお店に行った。高校以来、約五十年ぶりだったが顔を見てすぐに先輩と分かった。
その先輩が、以前経営していた小料理屋で、私は参加しなかったが陸上部のOB会をした時の写真が店の隅に飾ってあった。どれも懐かしい人たちばかりである。皆さん、お元気でいるようだが、監督であった植木先生は、数年前に亡くなられた。主だった方々の現況を聞きながら、想い出話を肴に飲んでいる中で、良くして頂いた先輩と仲良くしていた同期の二人に連絡を取って頂き、電話をして貰った。懐かしさの中に、一瞬、高校生の頃の顔が甦ったが、電話の声に、当然ながら五十年の時間の隔たりが伝わってきた。二人のその後の生活や、何処で何をしていたのかを全く知らない。ただ懐かしさのなかで、唐突に電話をしたことが、とても軽率だったと少し後悔をした。
をそれでも、料理も美味しく、先輩も変わらず接してくれて楽しい酒だった。この店に連れて来てくれた友人氏に感謝しつつ、店を後にした。
朝食をとらずに、正午に、愚妻と上の子供を連れて、関内駅のすぐ近く、大通公園脇の、うどん屋「おおぎ」へ行った。先日、友人に連れて行って貰い、ここのうどんを気に入って、今回で三度目である。二人は「辛みそうどん」「味噌煮込みうどん」と私は「天ぷらうどん」。「定食」にすると、ご飯と生卵が付く。お会計の時に、他のテーブルを見たら、今日は暖かったせいなのか、ほとんどの人が「ざるうどん」を食べていた。
食後に、有隣堂に行くと、店の前で古書のワゴンセールをやっており、『のり平のパ-ッといきましょう』(三木のり平・小田豊二聞き書き・小学館)が目についたので購入。千円だった。三木のり平と言えば、単に喜劇役者として、森繁との共演の「社長シリーズ」ぐらいか知らなかったが、彼が、喜劇役者として、更に優れた喜劇演出家であったことを知ったのは、最近のことである。人について書かれた物が好きである。家で過ごす楽しみがまた増えた。
私の友人が、洋光台と言う所に住む彼の叔母が馴染みにしているお店に連れて行って貰った所、同年代のマスター氏と話がはずみ、出身高校を聞くと、横浜高校とのこと。それでは「蜷川を知っているか」と聞くと、「良く知っている」と言うことになった。広い横浜で、さらに横浜高校の出身者など、幾ら同世代とはいえ、何百人もいる中で、私を知っている人と会うと言うことは、まさに奇跡に近い。マスターが私を知っていたのは、何と陸上部の一級先輩だったこと。先月のことである。そこで友人と日にちを調整して、そのお店に行った。高校以来、約五十年ぶりだったが顔を見てすぐに先輩と分かった。
その先輩が、以前経営していた小料理屋で、私は参加しなかったが陸上部のOB会をした時の写真が店の隅に飾ってあった。どれも懐かしい人たちばかりである。皆さん、お元気でいるようだが、監督であった植木先生は、数年前に亡くなられた。主だった方々の現況を聞きながら、想い出話を肴に飲んでいる中で、良くして頂いた先輩と仲良くしていた同期の二人に連絡を取って頂き、電話をして貰った。懐かしさの中に、一瞬、高校生の頃の顔が甦ったが、電話の声に、当然ながら五十年の時間の隔たりが伝わってきた。二人のその後の生活や、何処で何をしていたのかを全く知らない。ただ懐かしさのなかで、唐突に電話をしたことが、とても軽率だったと少し後悔をした。
をそれでも、料理も美味しく、先輩も変わらず接してくれて楽しい酒だった。この店に連れて来てくれた友人氏に感謝しつつ、店を後にした。