三月三日(日)雨。経団連事件から42年。
朝は、コロッケ、メンチカツにキャベツの千切り添え、目玉焼き、ほうれん草の味噌汁。昼は、サッポロ一番の塩ラーメンを使って、野菜たっぷりのタンメンを家族で食した。夜は、スキヤキにブリの刺身。
四十二年前の今日。私は二十六歳だった。昼過ぎに何気なくテレビを見ていたら、臨時ニュースで、「経団連会館に右翼が籠城」とのテロップが。すぐに野村先生たちだと直感した。年末から、経団連に突入した人たちが相次いで横浜を訪れた。「香港に留学」「海外へ行く」。その都度ささやかな送別の宴を持った。何か、自分だけが、家にいてテレビを見ていることが情けなかった。その事件の頃に読んだのが城山三郎の『一歩の距離』という本だった。
一歩の距離をためらったことが、一歩どころか、何歩も先に行き、大きな借りとなり、自分を苦しめた。若かったこともあっただろう。「いつかこの借りを返さなければ、胸のつかえが取れない」と思いながら十年の時が過ぎた。経団連事件は、私のこれまでの人生で、何度かあったターニングポイントの一つでもある。
平成九年の二月に、経団連事件の二十周年を記念して、現在の『燃えよ祖国』の前身、『大悲ジャーナル』の通巻五十八号、五十九号の二回で経団連事件の特集を行った。五十九号では、弁護団の冒頭陳述と最終弁論、東京地裁の判決文、決起した四人の最終弁論を掲載した。残念ながら、五十八号がどうしても見つからない。誰かに貸した記憶はあるが、手元になく困っている。何とか復刻版を出したいと思っている。
朝は、コロッケ、メンチカツにキャベツの千切り添え、目玉焼き、ほうれん草の味噌汁。昼は、サッポロ一番の塩ラーメンを使って、野菜たっぷりのタンメンを家族で食した。夜は、スキヤキにブリの刺身。
四十二年前の今日。私は二十六歳だった。昼過ぎに何気なくテレビを見ていたら、臨時ニュースで、「経団連会館に右翼が籠城」とのテロップが。すぐに野村先生たちだと直感した。年末から、経団連に突入した人たちが相次いで横浜を訪れた。「香港に留学」「海外へ行く」。その都度ささやかな送別の宴を持った。何か、自分だけが、家にいてテレビを見ていることが情けなかった。その事件の頃に読んだのが城山三郎の『一歩の距離』という本だった。
一歩の距離をためらったことが、一歩どころか、何歩も先に行き、大きな借りとなり、自分を苦しめた。若かったこともあっただろう。「いつかこの借りを返さなければ、胸のつかえが取れない」と思いながら十年の時が過ぎた。経団連事件は、私のこれまでの人生で、何度かあったターニングポイントの一つでもある。
平成九年の二月に、経団連事件の二十周年を記念して、現在の『燃えよ祖国』の前身、『大悲ジャーナル』の通巻五十八号、五十九号の二回で経団連事件の特集を行った。五十九号では、弁護団の冒頭陳述と最終弁論、東京地裁の判決文、決起した四人の最終弁論を掲載した。残念ながら、五十八号がどうしても見つからない。誰かに貸した記憶はあるが、手元になく困っている。何とか復刻版を出したいと思っている。