白雲去来

蜷川正大の日々是口実

東日本大震災から八年。合掌

2019-03-12 18:32:30 | 日記
三月十一日(月)雨後晴れ。

東日本大震災から八年。日本は地震大国と言うことを改めて実感する。熊本、阪神、大阪北部、北海道の胆振地方と大きな被害を生じさせている。関東地方にも三十年以内に関東大震災規模の地震が起きる可能性は九十パーセントとか。と言うことは、明日、いや今起きても不思議ではない。「備え」と言うが、水や食料を備蓄しても、家が倒壊しては意味がない。我が家は築三十年近い。耐震補強をするならば、新築の賃貸マンションに引っ越した方が安上がりで、安心かもしれない。

大きな地震が来て、助かるか、助からないかはほとんど運に近い。天の怒りが収まるように、更に、地の声が聞こえないように祈るばかりである。しかしながら日本人は辛抱強い。昔から、こういった災害を幾度も経験しても、その被害を、悲しみをいつまでも引きずることはない。桜の花を愛する気持ち。すなわち咲くことよりも、散ることの哀れさに美を見る。正に、日本人の「諦念」の原点のように思えてならない。昨日、同志らと共に、靖国神社に昇殿参拝をした。国家のために殉じた二百五十万柱の英霊が祀られている。皇国をお守りくださいと手を合わせた。

午前中は事務所にて原稿書き。午後から歯医者。帰り道に野毛に出来た「情熱餃子」と言う店で生餃子を四人前買った。一人前五個入っていて二百五十円×四個で千八十円。家族であっという間に平らげた。美味しかった。魚屋で目にした鰹の刺し身、ダメもとで買ったが、これが中々良くて、ロッポウ、シチケンぐらいの物で、思わずニヤリ。

古書店で、大原康男先生の『平成の天皇論』(展転社・平成六年九月刊)が目について、思わず購入した。野村先生と大原先生の対談が掲載されている。その対談の出典は『燃えよ祖国』の平成五年の六・七月号とあり、忘れていた記憶がよみがえってきた。確か事務所の書棚にもあるはずだが、二冊あっても良い。御代替わりも近い。良い機会なので、もう一度読んでみようと思っている。

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東日本大震災風化防止の運動へ。

2019-03-12 11:54:20 | 日記
三月十日(日)晴れ。陸軍記念日。東北大震災から8年。

今日は、色々な意味で日本人にとって忘れられない出来事の多い日である。古くは、明治三十八年の今日、日露戦争の奉天戦において、ロシア軍を駆逐し、その戦に勝利した武勲輝く日である。この激戦にて歩兵第三十四連隊大隊長として指揮を執り、明治三十七年八月三十一日、遼陽の会戦にて戦死した軍神、橘中佐の歌が有名である。「遼陽城頭夜は闌けて 有明月の影すごく 霧立ちこむる高梁の 中なる塹壕声絶えて 目覚めがちなる敵兵の 胆驚かす秋の風」。

また、戦時中、日本の大都市への米軍の空襲は幾度も行われ、特に、昭和二十年三月十日の「東京大空襲」では百万人が罹災したと言われている。今日、三月十日は「東京大空襲」の日でもある。

明日は、八年前の東北大震災の日。ちょうどその震災が起きた時間に、私は札幌にいた。車に乗っていたせいもあり全く揺れを感じず、震災を知ったのは、昼食を兼ねて入った屋台村に備え付けられていたテレビによってであった。押し寄せる津波から必死に逃げて行く車の映像を忘れることが出来ない。ホテルに入り、ニュースにくぎ付けになるが、夜になってやっと家族に連絡が取れて安心したことを覚えている。

その震災を風化させてはならないと、民族派側から声を挙げたのが国粋青年隊で、毎年、3・11に近い日曜日に「東日本大震災風化防止」の街頭活動を震災の翌年から行っている。今年は、私と大熊雄次氏が参加。朝八時に靖国神社に集合とのことで、五時に起きて支度をし、六時四十一分の横須賀線に乗って東京行き。靖国神社には、本日の街頭活動に参加する、多くの団体の街宣車が集い、圧巻である。主催者の国粋青年隊の会長である吉岡亜樹氏に挨拶。十時に靖国神社に昇殿参拝を済ませて、街頭活動に出発する同志らを見送る。

大熊氏と御徒町に行き、私の好きな「へぎそば」で有名な「越後屋」へ。その後横浜に戻り、家族と合流し、壊れたプリンターを買いにヨドバシカメラへ。夕飯の買い物をした後に帰宅。       

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