七月十六日(火)雨。
山頭火の句に「しんじつよい雨が降るいちじくの実も」というものがある。『山頭火の秀句』(上田都史著・潮文社)のその句の解説には、「イチジクと雨はつきものである。梅雨の湿度の多い中で、一雨ごとにイチジクの実は育っていくように思える」。そう言えば、私が子供の頃には、街中には随分とイチジクの木があった。しかし最近は、ほとんど見かけない。遊びに行った時など、イチジクの実が熟れているのを見つけると、取って食べたものだ。サクランボやビワや柿に野イチゴなど、どこにあって、どこにある物が美味しいかを知っていて、季節のおやつ代わりにしていた。
メロンに似た黄色いマクワウリと言うものがあって、メロンなど食べたことのない子供の頃は、良くそれを食べた。タライに水を入れた中で冷やして食べるのだが、アパートの庭にスイカやブドウを冷やしておいても誰も取る者はいなかった。貧しかったが、アパートに住んでいる人のすべての顔が分かり、人情が厚かったような気がする。夏の風物詩であった、金魚売りや風鈴売りを見かけなくなってどのくらい経つのだろうか。当たり前の話だが、どんどん昭和が遠ざかって行く。
夜は、月に一度の仲良しさんたちとの飲み会を本牧でスナックを始めた友達の店で行った。思い出話に花が咲き飲んだビールが五万本。という歌があった。その後関内に転戦してから帰宅。
山頭火の句に「しんじつよい雨が降るいちじくの実も」というものがある。『山頭火の秀句』(上田都史著・潮文社)のその句の解説には、「イチジクと雨はつきものである。梅雨の湿度の多い中で、一雨ごとにイチジクの実は育っていくように思える」。そう言えば、私が子供の頃には、街中には随分とイチジクの木があった。しかし最近は、ほとんど見かけない。遊びに行った時など、イチジクの実が熟れているのを見つけると、取って食べたものだ。サクランボやビワや柿に野イチゴなど、どこにあって、どこにある物が美味しいかを知っていて、季節のおやつ代わりにしていた。
メロンに似た黄色いマクワウリと言うものがあって、メロンなど食べたことのない子供の頃は、良くそれを食べた。タライに水を入れた中で冷やして食べるのだが、アパートの庭にスイカやブドウを冷やしておいても誰も取る者はいなかった。貧しかったが、アパートに住んでいる人のすべての顔が分かり、人情が厚かったような気がする。夏の風物詩であった、金魚売りや風鈴売りを見かけなくなってどのくらい経つのだろうか。当たり前の話だが、どんどん昭和が遠ざかって行く。
夜は、月に一度の仲良しさんたちとの飲み会を本牧でスナックを始めた友達の店で行った。思い出話に花が咲き飲んだビールが五万本。という歌があった。その後関内に転戦してから帰宅。