白雲去来

蜷川正大の日々是口実

錆びたナイフ。

2020-07-05 11:49:44 | 日記
六月二十五日(木)雨のち曇り。

私が子供の頃の銀幕のスターと言えば、石原裕次郎に中村錦之助だった。もっとも小学生だっので刺激の強い日活映画を見るようになったのは、小学校の高学年になってから。裕ちゃん、小林旭、エースの錠など。特に横浜が舞台になった映画も多く、『赤いハンカチ』には山下公園前のホテル・ニューグランドや、今はなくなってしまった野毛山遊園地などが出てきて懐かしい。

裕ちゃんの歌を初めて覚えたのは『錆びたナイフ』である。同名の映画は昭和33年(1958)1958に公開され、その主題歌は184万枚ものヒットとなった。マンボズボンという細身のズボンにアロハシャツ、サングラスをしてズボンの後ろのポケットに両手を入れて、肩を怒らせて歩く。「裕ちゃん」スタイルが流行ったものだ。当時は、そのスタイルを、「マンボズボンに色メガネ」と言って不良の代名詞だった。

「錆びたナイフ」の歌の一番は「砂山の砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた ジャックナイフが 出て来たよ どこのどいつが 埋(うず)めたか 胸にじんとくる 小島の秋だ」。(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六)

この歌詞は意外なことに、石川啄木の短歌を再構成したものと言われている。それは「いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘りてありしに」。これに続く十首の短歌が一連のドラマを構成している。作詞者が錆びたピストルを、錆びたナイフと言い換えたそうだ。ちなみに映画の原作は、裕ちゃんの兄の慎太郎氏である。



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本にカバーをしない人。

2020-07-05 11:03:38 | 日記
六月二十四日(水)曇り。

稀に電車の中などで、本にカバーもせずに読んでいる人を見ると、なんだか嫌な気持ちになる。それが難しそうな本だとなおさらだ。本人はそんな気がないのかも知れないが、「俺はこんな本を読んているんたぞ」といった気負いのようなものを感じて、嫌だなぁー。と思ってしまうのである。さらに言えば、下着姿で外を歩いているのと同じ感覚。

最近は、書店で買うのとアマゾンなどで買うのと半々ぐらいである。書店では、ブックカバーをしてくれるが、ネットで取り寄せた本はカバーがないので、自分で作ることにしている。そこて利用するのが、頂き物の包装紙である。いつもまとめて四、五冊買うので、書店の物でも、同じ包装紙だと何の本か分からなくなるので、お中元やお歳暮で頂いた物の包装紙でカバーを作っている。今一番お気に入りの物は、『週刊文春』の平松洋子さんのコラム「この味」の中に紹介されていた『いきな言葉、野暮な言葉』(中村喜春著・草思社)。ちょうど「東京ばな奈」の包装紙があったのて、それをカバーにしている。何かそれだけで本が二倍楽しく思えるから不思議だ。

そういえば、向田邦子さんのエッセイに『カバーガール』と言うものがあった。彼女は、本を買うと、カバーや本の帯などをすべてはがしてゴミ箱にポイしてしまうそうだ。夜、その丸めて捨てたカバーが、ゴミ箱の中でガザ、ガサと音がして驚いた。と言うような内容だったと思う。

夜は、自宅近くの「浜一寿司」にて、友人と「蜜」なる一献会。

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