六月二十五日(木)雨のち曇り。
私が子供の頃の銀幕のスターと言えば、石原裕次郎に中村錦之助だった。もっとも小学生だっので刺激の強い日活映画を見るようになったのは、小学校の高学年になってから。裕ちゃん、小林旭、エースの錠など。特に横浜が舞台になった映画も多く、『赤いハンカチ』には山下公園前のホテル・ニューグランドや、今はなくなってしまった野毛山遊園地などが出てきて懐かしい。
裕ちゃんの歌を初めて覚えたのは『錆びたナイフ』である。同名の映画は昭和33年(1958)1958に公開され、その主題歌は184万枚ものヒットとなった。マンボズボンという細身のズボンにアロハシャツ、サングラスをしてズボンの後ろのポケットに両手を入れて、肩を怒らせて歩く。「裕ちゃん」スタイルが流行ったものだ。当時は、そのスタイルを、「マンボズボンに色メガネ」と言って不良の代名詞だった。
「錆びたナイフ」の歌の一番は「砂山の砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた ジャックナイフが 出て来たよ どこのどいつが 埋(うず)めたか 胸にじんとくる 小島の秋だ」。(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六)
この歌詞は意外なことに、石川啄木の短歌を再構成したものと言われている。それは「いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘りてありしに」。これに続く十首の短歌が一連のドラマを構成している。作詞者が錆びたピストルを、錆びたナイフと言い換えたそうだ。ちなみに映画の原作は、裕ちゃんの兄の慎太郎氏である。
私が子供の頃の銀幕のスターと言えば、石原裕次郎に中村錦之助だった。もっとも小学生だっので刺激の強い日活映画を見るようになったのは、小学校の高学年になってから。裕ちゃん、小林旭、エースの錠など。特に横浜が舞台になった映画も多く、『赤いハンカチ』には山下公園前のホテル・ニューグランドや、今はなくなってしまった野毛山遊園地などが出てきて懐かしい。
裕ちゃんの歌を初めて覚えたのは『錆びたナイフ』である。同名の映画は昭和33年(1958)1958に公開され、その主題歌は184万枚ものヒットとなった。マンボズボンという細身のズボンにアロハシャツ、サングラスをしてズボンの後ろのポケットに両手を入れて、肩を怒らせて歩く。「裕ちゃん」スタイルが流行ったものだ。当時は、そのスタイルを、「マンボズボンに色メガネ」と言って不良の代名詞だった。
「錆びたナイフ」の歌の一番は「砂山の砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた ジャックナイフが 出て来たよ どこのどいつが 埋(うず)めたか 胸にじんとくる 小島の秋だ」。(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六)
この歌詞は意外なことに、石川啄木の短歌を再構成したものと言われている。それは「いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘りてありしに」。これに続く十首の短歌が一連のドラマを構成している。作詞者が錆びたピストルを、錆びたナイフと言い換えたそうだ。ちなみに映画の原作は、裕ちゃんの兄の慎太郎氏である。