白雲去来

蜷川正大の日々是口実

週に4日は休肝日と、決意した。

2021-04-09 17:55:37 | 日記

4月7日(水)晴れ。

再びコロナが猛威を振るっている。大阪や東京のコロナの罹患者の数が大変なことになっている。しかし飲食店の営業時間を短縮しただけで果たして、コロナが下火になるのだろうか。オリンピックの聖火ランナーを見ようとする人たちの「密」が問題になっているが、それならばなぜ朝の通勤時の満員電車の「密」を問題にしないのか不思議でならない。外にいてマスクをしていて多少人が集まったからと言って、そんなに危険ならば学校や職場だって危ないではないか。

人との接触を減らし、飲食店の時短でコロナが防げることが出来るのならば、それに越したことはないが、そんなに甘くはないだろう。国民の命がかかっているのだから、法整備してロックダウンをできるようにしたら良いのではないか。まっ素人考えですみませんが。

思うことあって酒を、いや家呑みを控えている。趣味らしい趣味がないので酒を完全にやめてしまうと、日々に潤いがなくなる。禁酒、断酒をするのではなく、なるべく休肝日を長くとり、飲む日と飲まない日のケジメを付けようと思った次第。何といっても、元来の酒好き、自宅で好きな映画でも見ながら飲んでいると、気が付けば四合瓶が空になっていて慌てる。それでなくとも、古希のお祝いにと、社友や友人から極上の焼酎などがどっさり届いている。まさに猫に鰹節。しかし古希を迎えたこともあり、これではいけないと遅まきながら決意した。

岐阜の花房東洋先輩も禁酒しいる(らしい)と話していた。犬塚博英先輩は、家では飲まないという。両先輩に倣って、飲む必要のない時は、我慢しようと決めた。もちろんいつまで続くのかは分からないが、休肝日も今日で3日目。頑張るぞっと。市川の盟友や、エレファント柏市(誰だか分かったら大したものだ)に笑われそうだなぁー。

 


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巨星落つ。

2021-04-09 11:31:05 | 日記

4月6日(火)曇り。

午後に、犬塚博英先輩より電話が入り、四宮正貴先生の突然の死を知らされる。えっ!と言葉が続かなかった。最近は心臓を悪くなされて闘病中と聞いていたので、心臓の病かと思ったら脳虚血疾患とのこと。死亡時間は4日の午後、携帯の発信履歴の推測で午後1時から6時までの間。享年74歳。コロナ禍の中、斎場では、ご遺体との対面もならず、生花を受ける余地もないとのことです。

四宮先生と初めてお会いしたのは、間違いでなければ、昭和の49年頃で、場所は新宿の炉端焼き「勇舟」だったと思う。オーナーの高橋さんが民族派学生運動のOBであったため、お店は、若手活動家の梁山泊のようになっていた。連れていって頂いたのは、故阿部勉さん。以後、四宮先生とは、様々な会合や運動でご一緒させて頂いた。特に平成4年3月、野村先生と一緒にフィリピンを旅したことが忘れ難い。まだ私が大悲会の会長をしている時、周年の宴席で四宮先生が「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌った。それを聞いた野村先生が、非常に感激して、「四宮君、君はモンテンルパに行ったことがあるか」。「いいえありません」。「では、連れて行ってあげよう」。ということで、先生の写真集の撮影に便乗して、平成4年の3月にフィリピンへ渡った。激戦地のコレヒドールや日本の軍人が収容され、死刑の執行が行われたモンテンルパ刑務所を訪れた。慰霊碑の前で四宮先生が、「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌ったが、四宮先生も我々も皆、感極まって涙した。もう29年も前の事だ。忘れ難い旅だった。一緒に行った、野村先生、古谷喜久男さん、そして四宮先生までもが亡くなられてしまった。人も時も去って行く・・・。

いずれ「お別れ会」を催したいと犬塚先輩からのメールにあった。合掌。※写真は、モンテンルパ刑務所の刑場の慰霊碑の前で。左から、蜷川、古谷喜久男氏、新藤厚氏、四宮正貴先生、野村先生、ヒロ山口氏。


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