白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ネットニュースに驚いた。

2021-04-05 12:23:55 | 日記

4月3日(土)晴れ。

ネットのニュースで、こんな記事があった。それは、「国語に関する世論調査」(文化庁・平成 25 年度)によると、全国の16歳以上の男女の約48%が、「1カ月に本を1冊も読まない」と回答している。というものでちょっと驚いた。

私が、単に楽しみとしてではなく、たしなみとして読書をするきっかけとなった一冊の本がある。それは、元慶応義塾の塾長の小泉信三が書いた『読書論』(岩波新書)である。もし、その本に出会わなければ、私の読書に対する姿勢や意欲というものは、恐らく養われなかったに違いない。赤く引いた傍線だらけのその本は、今でも私の大切な教科書である。遅まきながら学を志した二十歳のころの初心を思い出し、昨今の怠惰な自分を反省する良い材料ともなっている。

その『読書論』の中で、当時私が最も感動したのが江戸中期の蘭医の杉田玄白等が有名な「解体新書」を翻訳した時のエピソードである。それは『読書論』の「第三章・語学力」の中に書かれたもので、この一文に触れたことによって「格闘して学ぶ」という読書に対する姿勢というものを理解するようになった。少々長くなるが引用させて頂く。

「『蘭学事始』に記される杉田玄白らの蘭文解剖書解読の話は、後の学者を力づける。彼のみずから記すところによれば、明和八年(一七七一年)三月三日杉田玄白が前野良沢、中川淳庵らと共に千住骨ケ原の刑場に死刑囚の屍体の『腑分け』を見て、オランダ解剖書の精密に驚き、帰路『ターフル・アナトミア』の翻訳を思い立ったとき、彼はまだアルファベットをすら知らなかった。翌日杉田、中川は良沢の家に相会した。そのとき先ず、「彼『ターフル・アナトミア』の書にうち向ひしに、誠に艫舵なき船の大海に乗出せしが如く、茫洋として寄べきなく、只あきれにあきれて居たる迄なり』と記された一説は、後に福沢諭吉をして感泣せしめたことを以て、またその他にもなおたびたび引用されることによって人に知られていることと思う」。小泉信三は書く。

パソコンやスマホの普及でどんどん若い人が活字から離れて行く。電車に乗っても本を読んでいる人がほとんどいない。時代の流れ・・・と言ってはあまりにも寂しい。

 

 


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