11月4日(木)晴れ。
山平重樹さんが徳間文庫から上梓した『撃攘ー「東海のドン」平井一家八代目・河澄政照の激烈生涯』。この本の解説を書いたのが先輩の花房東洋氏。その解説文の全文を私の機関誌「燃えよ祖国」の第271号に掲載させて頂いた。山平さんの本とは全く関係がないが、野村先生が師と仰いだ人のお一人に、かつて新勢力社を主宰していた毛呂清輝先生がいる。その機関誌『新勢力』の「創刊20週年記念号」(昭和50年発行)の毛呂先生のエッセー「風塵雑記」の中に、三島由紀夫先生が亡くなられた当時、民族派の学生青年に良く読まれたのが、三島先生が自決になされた5年後に、やはり自裁した村上一郎(1920(大正9年・9月24日)~ 1975(昭和50年・3月29日は、日本の文芸評論家、歌人、小説家)である。日本浪漫派に共感し、彼の『北一輝論』は三島由紀夫が絶賛した。
「風塵雑記」の中に、「三月末、橘孝三郎氏の一周忌で水戸へ行く準備をしながら、フト朝刊を見ると村上一郎氏が日本刀で頸動脈をかき切って自殺した記事が出ていたので驚いた。村上氏は橘塾長と親しかったのでなんとなく因縁めいたものを感じた」という一文があり興味深く読んだ。そして、「村上一郎に『撃攘』という歌集のあることは知っていたが探してまで読む気になれなかった。が、ある日『撃攘』を探し求めて読んだ」。その歌集の中に三島先生を追悼して詠んだ歌が二十六首あるそうで、毛呂先生は五首紹介している。
「撃攘」とは、敵を撃ち払うことである。山平さんの同名の本と、内容は全く関係はないが、激する心を持った男たちを表現するにふさわしいタイトルだとしみじみ思った次第である。
夕方より歯医者。ランドマークタワーの書店で保坂正康の『「檄文」の日本近代史』(朝日新聞出版)という本を買ったが、目次を見た時に、なぜか「五・一五事件」と「経団連事件」の際の檄文が掲載されていないのでコノヤロウと思って買うのをためらったが、まあ資料用にと嫌々購入した。夜は休肝日とした。