白雲去来

蜷川正大の日々是口実

機関誌を発送。

2021-11-02 18:12:07 | 日記

10月22日(金)雨。

いやはや寒かった。ニュースによると「師走並みの寒さ」とのこと。二人の子供がテレワークで家に居る。とりあえず皆で一緒に朝食。メニューは、メンチカツ、目玉焼き、キャベツの千切り添え、永谷園のマツタケのスープ。昼は、あんかけラーメン。夜は、寒いので、豚肉と野菜の鍋。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

子供たちが、テレワークで家に居るので、私は事務所へ。機関誌をガァーっと印刷して夕方に発送(第271号)。機関誌を発送すると、ホッとする。自分にご褒美として、後輩から頂いた焼酎の封を切ろうかと思ったが、ぐっと堪えて「黒霧島」にした。機関誌の有料購読者の皆さんのおかげで事務所が支えられている。感謝しております。


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昔は「国際反戦デー」だった。

2021-11-02 18:00:01 | 日記

10月21日(木)晴れ。

70年代、私が、民族派の運動に入った頃には、左翼運動が全盛期で、今日は、ベトナム戦争に反対する「国際反戦デー」として、労働組合や学生組織などが、大がかりな反米、反日運動を展開した。その「国際反戦デー」とは、一九六六年十月二十一日に日本労働組合総評議会(総評・現連合)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。

三島由紀夫先生の創設した「楯の会」は、この「国際反戦デー」の日に、新左翼の激しい暴動を鎮圧するには、警察力では抑えきれず、自衛隊の治安出動を期待した。三島由紀夫は、その時に楯の会も斬り込み隊として先んじて加勢し、それに乗じた自衛隊国軍化・憲法九条改正を超法規的に認めさせて実現する計画を構想し始めた。それが、自衛隊の治安出動は実現せず、機動隊によって新左翼の暴動は鎮圧された。このことをきっかけに、市ヶ谷台の自決につながって行く。来月の二十五日は、その三島由紀夫と共に自決した森田必勝両烈士のご命日で、関係者により「憂国忌」あるいは「野分祭」という追悼集会が毎年行われている。
 
後輩から、高価な焼酎をドドっと頂いた。年末年始の楽しみに取っておくつもり。感謝・合掌。
 

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