白雲去来

蜷川正大の日々是口実

街のサンドイッチマンを知らない。

2023-08-06 16:57:05 | 日記

8月2日(水)晴れ。

朝食は、TKGに「つた金」の焼きのり、清風楼のシウマイ、キャベツの味噌汁。昼は、ハムトースト一枚とアイスコーヒー。夜は、「かんたん酢」を使って、わかめときゅうりとカニカマの酢の物、蒸し鶏、チヂミ、キュウリのナムル。お供は「三岳」。今日も酔狂亭にて独酌。

私が好きなテレビ番組に、武田鉄矢が司会の「昭和は輝いていた」というものがある。4日に放映されたのが「実話を元にした昭和歌謡」の第三段である。その中で紹介されたのが、鶴田浩二の昭和28年のヒット曲の「街のサンドイッチマン」にまつわる話に「昭和は遠くなった」ことを実感した。歌詞には実在したモデルがおり、そのモデルとは、連合艦隊司令長官などを歴任した元帝国海軍軍人で海軍大将であった高橋三吉の息子の高橋健二と言われている。高橋三吉元海軍大将は日米開戦の二年前の昭和14年に予備役に編入されたが、終戦後、なぜかGHQから「A戦犯」の指定を受け逮捕された。息子の健二は、その煽りを受けて自らも勤務先を解雇されたために生活が困窮し、サンドイッチマンの仕事で日銭を稼がねばならなくなった悲哀を歌詞にしている。

私が、そのことを知ったのは大人になってからであるが、テレビの「懐かしのメロディー」などを聞いていて好きな歌の一つである。なぜ「昭和が遠くなった」と感じたのか。それはゲストで落語家の立川志らく氏が、『広辞苑』から、本当の意味でのサンドイッチマンが消え、サンドイッチマンと言えば、現在活躍している「二人組のお笑いコンビ」と書かれている。と話したことを聞いて、驚き、「昭和は遠くなった」と感じたのである。

本来の意味のサンドイッチマンとは、、広告宣伝手法の一つで、人の胴の前面と背中の両方に宣伝用の看板(サンドイッチ・ボード)を取り付け、町中にたたずみ、あるいは歩行する広告手法、およびその看板を取り付けられた人のことをいう。人間広告塔の携帯の一つ。(ウイキ)。私が小学生の頃までは、伊勢佐木町通りに、キャバレーの宣伝をする彼らの姿をよく見かけた。ある意味では繁華街の風物詩でもあった。パソコンで「サンドイッチマン画像」とやると、お笑いコンビの画像以外出てこない。ああ鶴田浩二が泣いている。


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筆不精になった。

2023-08-06 16:25:48 | 日記

8月1日(火)曇り後雨。

朝食は、メンチカツにキャベツの千切り添え、ウェイパーを使った卵スープ。昼は、ハムトースト一枚。夜は、ミスジ肉をたっぷりのスライスマッシュルームを添えて食す。他は、さつま揚げ、大根と人参のシリシリサラダ、オリーブオイルと醤油のドレッシング。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

南の彼方にある台風の影響なのか、みるみるうちに暗くなり雷鳴と共に雨が降って来た。野村先生の句集『銀河蒼茫』の夏の句に「雷雨激し 一切合財過去にして」と言うものがある。しばらく雨の音を聴いていた。

最近は、余り手紙を書かなくなった。以前は、手紙を書くという事が苦ではなく、相手を思いながら5本ある万年筆を選んで書いていた。それがなぜ不精になったのか・・・。それはパソコンのやりすぎで、右手が腱鞘炎のようになってしまったからだ。万年筆を持つと手に力が入らず、それでなくとも悪筆なのに、更に字が汚くなった。以来、手紙は、パソコンで書くようになっている。何だか、安易で相手に申し訳ないような気がしてならない。機関誌を送ると、必ず様々な絵葉書にお礼と感想を書いて送って頂く『宗教問題』の小川寛大さん。放浪の旅に出ると旅先から、これまたきれいな絵葉書を送ってくれる杉山茂雄君。最近は、船乗りになって寄港先から近況を書いて送ってくる。鎌倉で和紙専門の「社頭」というお店をやっていた高木ノンコさんにお願いして作って頂いた「蜷川用箋」も減らないし、一門の後輩から還暦のお祝いとして頂いたモンブランの万年筆も、随分とキャップを取っていない。猛省する次第です。整形外科に行こうと思っている。


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