白雲去来

蜷川正大の日々是口実

右と左と死刑囚の「私の一冊」。

2023-08-04 16:39:38 | 日記

7月31日(月)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、サバの文化干し、稲庭うどん。夜は、タコとキムチの和え物、大根おろしにシラス、カツオの刺身。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

パソコンの中に保存してある私が編集した過去の機関誌を整理していたら、「私の一冊」として様々な方に原稿を頂いたものが出てきた。その人たちの殆どが鬼籍に入られているが、良くこれだけの方々が原稿を寄せてくれたと、今更ながら驚いている。野村先生の物もあるので、多分平成四年頃の物ではないかと思っている。敬称を略して紹介してみたい。まず、作家の安部譲二、元楯の会の阿部勉、その阿部氏と共に一水会を創設した犬塚博英、元連合赤軍の植垣康博、元明治大学教授の栗本慎一郎、死刑囚の澤地和夫、曹洞宗の僧侶である田中清元、野村秋介の菩提寺の住職の塚越慈徳、発明家のドクター中松、民族派の重鎮の中村武彦、同じく北上清五郎、経団連事件の主任弁護士の成田健治、野村秋介、民族派の指導者であった松本効三、山浦嘉久、若島征四郎、四宮正貴、鈴木邦男。そして「ロス疑惑」の三浦和義。

当時、植垣康博、澤地和夫、三浦和義の三氏は東京拘置所に在監中で、私が親しくしていたこともあり、獄中から原稿を寄せてくれた。澤地氏には自らが引き起こした事件を赤裸々に綴った『殺意の時』(彩流社)がある。2008年12月に東京拘置所に在監中に病気により死去した。三浦和義氏は、サイパン島に旅行中にアメリカの司法当局により拘束され、やはり2008年10月にロス市警の留置所において死亡したが、その死はいまだ謎となっている。植垣氏は、出所してから静岡県の浜松市で「スナック・バロン」を経営する傍ら『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)を上梓するなど積極的にマスコミに登場し「連合赤軍」のことなどを語っていた。私も、三浦、植垣両氏と月刊誌で対談した経験がある。植垣氏は、体調を崩し、現在入院、療養中と聞く。

原稿を寄せて頂いた19名の中で、ご健在なのは7氏のみである。時が過ぎて行くというよりも、人が去って行く、という思いを強くする。その方々の「一冊」がどのような本なのか、随時紹介して行きたいと思っている。


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