8月11日(金)晴れ。
8日ぶりの更新。平身低頭です。4日から昨日まで、何をしていたかと言えば、ほとんど特別なことはしていなくて、朝起きて、機関誌の編集をして、暗くなれば飲んで・・・。という典型的な浪人の生活をしていました。唯一、仕事らしいと言えば機関誌の編集と事務所の片づけ。
以前のブログにも書きましたが弊社の機関誌『燃えよ祖国』の平成5(1993)年1月号の特集が「私の人生を決めた、この一冊」というもので、各界19名の方々に原稿を頂いた。異色なのは当時、東京拘置所で公判中の3人の方から原稿を寄せて頂いたことだ。まず、連合赤軍事件の植垣康博氏、いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義氏、そして「山中湖連続殺人事件」で死刑が確定していた元警察官の澤地和夫氏。澤地氏は、1939年、岡山県生まれ。1958年、警視庁に入り、大森署勤務を経て機動隊に所属。デモの規制や首相官邸、国会警備、各国大使館等の警備にあたる。1980年、22年間勤めた警視庁を退官し、新宿西口で居酒屋を経営するが1982年に閉店、多額の借金を背負う。1984年10月、借金返済ため宝石ブローカーと金融業者とを相次いで殺害し、11月23日、強盗殺人罪で逮捕される。1987年10月の一審、1989年3月の二審とも死刑判決を受ける。1993年7月、当時の後藤田法相による、3年ぶり3人の死刑執行に抗議して上告を取り下げ、みずから死刑を確定させる。2000年9月、人権派の弁護士の協力を得て再審を請求。2003年3月、第一次再審請求棄却。同年4月、東京高裁に即時抗告の申し立をする。2008年12月16日、がんの延命治療をやめ死去。(澤地氏の本のプロフィール)
澤地氏が獄中から上梓した『殺意の時』(彩流社)に事件のことが詳しく描かれている。澤地氏の「人生の一冊」は、「私の人生を狂わせた一冊」としてドストエフスキーの『罪と罰』について書いている。次号の機関誌に掲載するつもり。※「私の人生を決めた、この一冊」が掲載された当時の機関誌。