一月二十五日(火)晴れ。
明日の大行社の新年総会に向けて、手伝いと取材をかねて今日から出発。車で出かけようとも思ったが、場所は箱根とあって、もし雪でも降られたらチェーンも積んでいないし、心もとないので、電車で行った。
三時過ぎに着。事務局やお手伝いの人たちはすでに到着しており、準備の段取りを行なっていた。新年会も五百人ともなると、席順や名札作りなどでかなりの時間を要する。始まってしまえば二時間ほどなのだが、その準備と段取りが大変なのだ。
夕方になって三本菅会長着。六時から夕食開始。差し入れの「森伊蔵」を堪能しつつ、楽しい食事となった。食後も、しばらくお手伝い。
七時過ぎから、会長のお世話でホテル内の居酒屋へ転戦。石井理事長や清水副会長と共に十時過ぎまで。
部屋に戻り、先日購入した高峰秀子さんの「わたしの渡世日記」の下巻を読んだ。私は、現代の女性の作家で美しい日本語を使って書く人は宮尾登美子さんだと思っていたら、今読んでいる高峰秀子さんもとてもきれいな日本語で文章を書く人だと感激した。小さい頃から女優業で生きてきた彼女は、殆ど学校教育を受けてこなかった。謙遜してはいるが、漢字などは独学で学んだとある。その高峰さんの文章がとても美しいのだ。
小さい頃から様々な役柄を演じているうちに、言葉の美しさや、語彙、文章の起承転結が自然に身についたのだろう。もちろん彼女の不屈の努力もあったことは言うまでもない。とにかく、こういった本との出会いは、とても嬉しい。良い本を手にした時の喜びと言うものは、良い人とめぐり合ったのと同じ感動がある。
その高峰さんの本で知ったのだが、かつて彼女が出演した谷崎潤一郎の代表作ともいえる「細雪」は、昭和十八年の一月から「中央公論」に連載されたが、陸軍省の情報局から「内容が柔弱に流れる」といって連載が中止された。その後、終戦後の昭和二十一年に上巻を発行、二十二年に中巻を、二十三年に下巻が発行されて、四人姉妹の織りなす豪華絢爛たる絵巻物にも似た谷崎文学の代表作は完結をみた。
谷崎は、「細雪」一作に五年の歳月を費やしたわけだ。高峰さんは「一口に五年というけれど、人生五十年といわれる人間のなしえるギリギリの正念場といえる期間は、せいぜい二十年だと私は思う。ことに作家にとっての五年間が、どんなに貴重な時間であるか、は言うまでもない。五十代の後半を『もしかしたら永久に発表できないかも知れない作品』に、黙々と、というより猛然と取り組んでいた谷崎の情熱は、私などには到底理解のできないほど激しいものだったに違いない」。と書いている。
谷崎は、その「細雪」を刊行した翌年の昭和二十四年に、朝日文化賞、文化勲章を受章する。単に、作家の書いた作品を読むのではなく、その作家の努力にも目を向けるものとあらためて思った。本を読むことは、人を読むことと同義語であるということも・・・。
※いい本で、日本の映画史と言っても過言ではありません。