一月六日(木)晴れ。
考えててみたら、今年はお墓参りには行ったが、初詣を済ませていない。例年ならば、皇居から靖国神社へと回るのだが、愚妻の手首の骨折のお陰で、主夫の仕事をせねばならず、神様、仏様に手を合わせていない。
子供達を家において、愚妻と二人で浅草寺へ出かけた。もちろんナビゲーターは浅草に会社のある隠岐康氏。一時の待ち合わせだったが、早目に家を出たので「アメ横」の雑踏の中に身を置いた。スカジャンのお店を経営している大熊雄次氏にご挨拶と思ったが、まだ出勤前とのこと。上野駅から地下鉄で浅草へ。正月の賑わいは一段落をしたとは言え、凄い人でである。雷門で隠岐氏と待ち合わせて、まずは浅草神社へ。その後浅草寺へお参り。
※正月らしくていいですネェー。
本当は、「駒形」で、「どぜう」と思ったのだが、愚妻が、田舎者で「丸」が食べられないので、浅草では知られた焼肉屋「本とさや」という店に連れて行って頂いたが、この店が噂にたがわず、美味いのなんのって、もう参りました。
※いやぁー美味かったナァー。でも本当は、「駒形」へ行きたかった。
その後、浅草寺周辺を散歩したが、この辺に来たのは二十五年ぶりの事。亡くなった板垣哲雄君と、古着の着物や角袖などを買いに来たついでに一杯やったものだ。当時の面影はあるものの、随分ときれいになって様変わりしていた。屋台村のような所でも一杯やったが、これがひどいところで、プラスチックのコップに発泡スチロールの器、よくそんなものに料理を入れて金を取るかとあきれてしまった。そういった安易さが街や飲み屋をだめにして行くのだろう。
浅草縁の芸能人の手形がある浅草公会堂へ行ったが、昨年亡くなられた高峰秀子さんと歌舞伎の中村富十郎さんの手形の上に追悼の花があった。合掌。
その後、日本でも有名なカウンター・バーの「ねも」へ。愚妻がはしゃぎすぎて隠岐氏が辟易していた。大熊氏を誘って一杯と思ったが、隠岐氏にお礼を言って横浜に戻った。まだ飲み足りないと言う愚妻と一緒にサリーの店へ。一時間ほどで、ようやくなだめて帰宅。マイッタ、マイッタ。愚妻だけ大破・轟沈。