一月十九日(水)晴れ。
知り合いの記者の方から「AERA」の一月二十四日号が送られてきた。興味深かったのは、高野山の池口惠観先生の特集記事と、「ネット右翼・リアル右翼『愛国の作法』」である。
後者の特集は、國の子評論の横山孝平氏や木村三浩氏、針谷大輔氏、大日本一誠会の渡辺会長などがコメントを寄せている。まあ早い話、先ごろ話題の、右派市民運動グループの「言葉の汚さ」について皆さん指摘なされている。この記事を読んだ時に、真っ先に頭に浮かんだのが、「AERA」が送られてくる直前に届いた、槇泰智さんの「政経通信」である。失礼ながら、「AERA」の記事は、その政経通信をたたき台にして書かれたものではないかのような、感じがしてしまう。もちろん締め切りや、書く方の矜持がそれを許さないだろうが、グッド・タイミングなのだ。
槇さんは、元一水会の方で、現在は、いわゆる右派系市民団体の方々と行動を共にしているが、「言うべきことは言う」という、運動のスタイルは昔から変らない。私は、戦線を共有することは余りないが、槇さんや西村修平さんとは、多少のお付き合いがあり、個人的には好きな人たちである。
特に、今回の槇さんの機関誌の論文は、ある意味タイムリーで、「AERA」の記事と一緒に読むととても参考になる。槇泰智で検索すると、彼のブログに行けますので、是非、政経通信を読んで頂きたい。
詰まる所、人間は、高尚な理論などにひかれずに、要は「好きか、嫌いか」だと思う。嫌な奴が、どんなに高尚な理論を唱えても、賛同する気にはなれないのは、私だけではあるまい。まあ私などは、単純だから、富士山の頂上を目指すのに、静岡側から登るか、山梨側から登るかの差であって、余り目くじら立てるようなことではないと思っている。敵は他にいるのだから。まあ、「それが大事」という人は、頑張ってやって下さい。
夜は、我が酔狂亭で月下独酌。気がつけば、テーブルで寝ていた。