一月十二日(水)晴れ。
寒い一日だった。今日は、夜七時より、名前だけは真面目な「蜷川政経懇話会」が、曙町の一本裏、大通り公園横の炉端焼き「花笠」にて開催する。私の子供が小さい頃に、このお店に連れて行き、「炉端焼き」って何を焼くの。と聞かれたので、「焼き鳥は『鳥』を焼くから焼き鳥屋さん。炉端焼きは『ロバ』を焼くからロバタ焼き」と説明したら、可哀想だ、と大泣きされて困ったことがあった。
炉端焼きの「花笠」は、元は若葉町にあった。その若葉町のお店の斜め前に、「玉乃屋」という朝までやっている小料理屋があって、良く通った。そこで包丁を振るっていたのが、現在の花笠の板長さんだ。
その後、花笠は現在の場所に移った。経営者の保君のご母堂がお店を取り仕切っていたが、確か、野村先生の自決の翌年に、亡くなられ、「峰の灸」で有名な円海山の墓地に眠っている。花笠は都合三十五年営業したそうだ。その花笠が、今月一杯で三十五年の歴史に幕を閉じる。
その昔は、炉端焼きは庶民の店だった。安価で、客の前で焼いたり調理した物を、柄の長いしゃもじに載せて客に出す。そんな店が昔は随分とあって、「炉端焼きブーム」があったくらいだ。しかし、長引く不況の結果、庶民のお店は値下げ競争が続き、とうとう、「立ち飲み」が庶民の主流となった。昔は、炉端焼きは大衆に愛されたが、今では、高級の部類に入るお店になってしまったことが、客足が遠のいてしまった原因ではないだろうか。
店の前に佇めば、過ぎし日の出来事が甦ってくる。考えて見れば、遊びを覚えた若い頃から花笠に通ったわけだ。そう言えば、見沢知廉氏と初めて会ったのも若葉町時代の花笠だった。そんな感傷に浸っているうちに、酒友が到着。思い出話に花が咲き飲んだビールが五万本。こんな歌があった。
その後、後輩と関内に転戦。明日早いので、十一時過ぎに帰宅。