一月四日(火)晴れ。
年始めの原稿を入稿して、やっとお穏やかな日を迎えている。犬塚博英民族革新会議議長から新年会に誘われていたが、さすがに正月の四日から外に酒を飲みに行く気にもなれず(本当は家族の監視が厳しいので)自宅でおとなしくしていた。犬塚議長スミマセン。
夜は、我が家で一杯飲みながらBS2の「墨攻」を見た。このあたりの中国の歴史が好きだ。酔っ払ったついでに、YouTubeで「上海」関係の歌を延々聞いていた。いつかまた上海に行きたい。次に泊まるのは上海大厦か和平飯店にしたいと思っている。不覚にもパソコンの前でしばし寝てしまった。
実は、今日(5日)の何気なく見ていた「ニュース23」で立花隆氏が出演しており、日本を良くするためのキーワードとして「王殺し」という事を書いていた。教養もなく不勉強なので、その刺激的な「王殺し」の意味がわかからずパソコンで検索してみた。
王殺し(おうごろし、英語:regicide)とは、政治的・宗教的理由によって王を殺害すること。英語、フランス語などの "regicide" はラテン語の「王(REX)」と「殺害(CIDE)」の合成語が由来。古代においては宗教的意味をもって王を殺害する習慣があったとする説がある。これは、王が本来人間の身でありながら、宇宙の秩序を司る存在として君臨していたことに由来し、そのための能力を失った王は殺害して新たな王を擁立して秩序を回復させるという点にあった。ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』の中でローマの逃亡奴隷の祭司長である「森の王」の殺害を取り上げている。
市民革命の時代には、「王殺し」が革命派によって旧体制との決別の意味で用いられた。清教徒革命ではチャールズ1世が斬首され、逆に王政復古後には革命の指導者であったオリバー・クロムウェルの遺体が晒し者にされた。これに対してフランスのブルボン朝ではアンリ4世暗殺犯やルイ15世暗殺未遂犯に対して残虐な方法での処刑を行って見せしめとした。それでも、フランス革命によってルイ16世の処刑は避けられなかった。そこで、ナポレオン1世は自己の制定した刑法に弑逆罪 (Le régicide) を設けて死刑を唯一の罰則とした。フランス復古王政はこれを逆手にとってルイ16世処刑の投票に賛成した国民公会議員を「王殺し」と認定した。アメリカ独立戦争の際、国王であるジョージ3世は遥か遠いロンドンにいたため、代わりに王を模った絵などを焼いたと言われている。
市民革命後も君主制を採用した国民国家の中には、王殺しは国家に打撃を与える重大な犯罪として大逆罪などの形で法制化している例がある。(ウィキペディア)
立花が言った「王殺し」とは、菅直人の事なのか、それとも口にするのも畏れ多い方の事なのか、無学な私には分からぬが、もし間違って、私の危惧するような比喩であったならば、公共の電波を使って不敬なことを言い放ったことの責任は取らなければなるまい。
この立花隆という男、本当かどうかは知らぬが、何か問題があって民族派から抗議を受けると、戦前の愛郷塾の橘孝三郎先生の血筋を楯に、うまく立ち回るという噂がある。民主党の「事業仕分け」を批判したことでも有名だが、テレビは教養のある人間だけが見ているわけではない。「王殺し」という言葉の重みを、軽々しく言い放ったことの説明はすべきであろう。