白雲去来

蜷川正大の日々是口実

偶感

2011-01-25 10:07:56 | インポート

一月二十四日(月)晴れ。

 まだ一月かよ。と思うときがある。正月気分もとっくに抜けたのに、まだ一月が終わらない。一年のうちで、一月が一番長く感じてならない。

 

 実は、今年の三月で、還暦を迎える。本当は昨年還暦を迎えた人と同級生なのだが、早生まれと言うことで、今年が還暦。野村先生より長生きしていることに、多少の後ろめたさはあるが、これも天命と言うこと。

 

 誰でもそうだろうが、若い頃は、自分が還暦となるなんて、また還暦の自分など想像できなかった。十代の後半から、「青春」が始まり、二十五を過ぎた頃から、大人としての自覚が芽生える。以後、三十代、四十代、五十代・・・。何時の時代が自分にとって良い時代であったかなどと振り返ってみても、ただダラダラと生きてきただけに、どれもこれも同じで、「私」という個人が、ただ馬齢を重ねてきただけだ。

 

 野村先生は、「昇る朝日と、落日の夕日とどちらが速く感じるかといえば、確実に夕日のほうだ。落日は、まるでゴォーッと音を立てて沈み行くように思えるときがある。人は、幾つで死んでも、死ぬ一年前は等しく『晩年』である。ゆえに、『どれほど生きた』かではなく、『どう生きた』かが大切なのである。五十を過ぎた人間は、皆、落日の夕日と同じ、終焉に向って、静かだが、徐々に勢いを増して沈んで行く。」

 

 と話していた。私も、順調に行けば、現役でいられるのは後十年ほどである。そのわずか十年の間に、何が出来るかと言うことを考えると、うーんあんまり変わらネェかなぁー。まあ言えることは、残された十年ほどしかない時間に、「嫌な奴とは会わずに生きる」ことが、健康の秘訣だと思っている。今年は、それを実践するつもり。

 

 今日は、ひねもす机に向かっていた。機関誌用に「上海にて」という、少々長い原稿を書いている。わざわざお金と時間を使って、連れて行ってくれた人に、せめてもの恩返しである。もとより文才のカケラもないが、まじめに書いてみたいと思っている。

 

 八時過ぎに、風呂に入ってから、独酌。


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