白雲去来

蜷川正大の日々是口実

小梅のような脳みそでは思うものが書けない。

2012-06-25 12:49:01 | インポート

六月二十二日(金)曇り。

今、あらためて野村先生の本を読んでいる。先生の本の中に書かれている言葉を「野村秋介語録」としてまとめようと思っている。もちろん、私の機関誌にも掲載するが、来年は、野村先生の没後二十年と言う節目の年となるので私なりに、先生の知の遺産を遺しておかなければと、遅まきながら思い立った次第である。

友人で、尊敬する山平重樹さんが、以前双葉社より「新宿ヤクザ伝・阿形充規とその時代」という本を上梓した。普段、民族派の指導者としてお世話になっている阿形先生の半生を綴ったものだが、私の好きな一冊でもある。特に、阿形先生の兄貴分であった福岡幸男氏が、かつて新宿で一世を風靡した伝説の男、三声会の三木恢などを射殺した事件のくだりは、どんな実録映画を見るよりも迫力がある。

福岡氏は、無期懲役で千葉刑務所に服役し、そこで野村先生とお会いする。その後、仮釈放となって出所し焼肉店を開店する。そのお祝いに野村先生の代理で行った。その祝いの席には、錚々たる斯界の重鎮の方々が座っておられ、とても緊張したことを良く覚えている。

その「新宿ヤクザ伝」が今度は、文庫本となって発売されるのだが、何と私にその本の解説の大役を仰せつかった。もとより才能のカケラもないので断れば良かったのだが、つい了承してしまった。依頼されたのは、原稿用紙四枚、二千字程度なのだが、緊張して中々手が付けられずにいた。締切は今月一杯なので、ようやく机に向かった。何とか、書き上げたが、どうも納得できない。もう少し考えて、もう一回書いてみることにした。

夜は、我が酔狂亭で月下独酌。


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久しぶりに「安記」へ。

2012-06-21 23:56:27 | インポート

六月二十一日(木)曇りのち雨。

つい寝過ごしてしまうと、我が家にいるのは私だけ。朝食をとも思ったが、今日は、東京からお世話になっている人たちと十一時に関内駅で待ち合わせてから中華街で食事をする約束をしているので我慢した。

関内駅に着く頃に雨が降ってきた。雨の午後にお気に入りの店で飲むのが好きだ。マリンタワーの一階に「水町」というバーがあって、ここがいい。最近は行っていないので、今度雨が降ったら顔を出してみるつもり。そういえば、木村三浩氏のカラオケのレパートリーにCCRの「雨を見たかい」があるのを思い出した。

十一時過ぎに中華街の「安記」着。まずはビールで乾杯。いつもの「モツ皿」「レバ皿」「焼売」そして「いんげんとイカのニンニク炒め」「生姜の甘酢漬け」とおよそ中華料理には縁遠いような品物を頼んで、後は紹興酒を二本。いい気持になって自宅近くまで送って貰った。

P1000266※最近、この「紅琥珀」という紹興酒に凝っている。余り置いてないのが残念。

酔いを醒ましてから自宅近くの床屋さんに行く。夕食は、子供たちには「豚肉とキャベツ炒め」「きくらげと卵炒め」を作ってやり、私は日本そばに納豆を乗せた「スタミナ蕎麦」を食べた。昼間に飲んだので、夜は酒を抜いた。

ニュースでは、小沢一郎が、「壊し屋」の異名を発揮しそうとのこと。まあ私は、これはポーズで、民主党から出ないような気がします。新党を作っても、選挙をやれば小沢グループの新人議員は総崩れとなるのは火を見るよりも明らか。どっちにしろもう民主党の政権は早く終わってほしい。今度、「誰が総理にふさわしいか」とのアンケートをとってみようかな。


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先生の月命日と愚妻の誕生日。

2012-06-21 23:36:53 | インポート

六月二十日(水)曇り。

時計を見たら九時過ぎ、慌てて着替えてから花屋と酒屋に行った。今日は愚妻の誕生日だ。年齢は軍の機密。仕事に行っている愚妻に直接渡すのは少々恥ずかしいので、テーブルに置いてから家を出た。また、今日は野村先生の月命日。花屋さんにきれいな白菊があったので思わず買った。「福井のカレー」の福井さんからとても美味しそうなアイスケーキが届いた。愚妻と子供たちが大喜び。有難うございます。

P1000375※白菊の白が溢れてとどまらぬ。とは先生の句だ。

Photo※バーボン好きな愚妻に一本。本当はシャンペンにしようかとも思ったが不如意なのでバーボンにした。

午前中に、上野の寛永寺にある清水行之助先生と岸悦郎先生の墓参に出席する予定だったが諸般の事情で間に合わず、車を運転してようやく大行社の会議に間に合った。会議が終了後に六本木で食事会がある。車で来てしまったので、横浜に戻って車を置いて再び東京行き。

仲の良い人たちとの酒席は楽しい。十時過ぎまでいて解散した。


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「幻の娘」が嵐と共にやって来た。

2012-06-21 22:17:08 | インポート

六月十九日(火)台風襲来。

朝から曇り空。何でも夜には台風が直撃するとのこと。正に嵐の前の静けさである。今日は、野村先生の「幻の娘」、泰子さんが宮崎から友人と共に来訪し、中華街で歓迎の一献会を催す。五時に、大熊、隠岐の両氏と待ち合わせて一足早く、定宿の「菜香」へ行き、沖縄行きの最終打ち合わせを行った。どう努力しても、経費が足りない。まあ最終的には三人で負担しようと言うことで一段落。

六時に、泰子さん一行が来訪。少し遅れて野村先生の奥様も到着。全て妙齢のご夫人ばかりで、男性は、野村先生がお気に入りだった熱海の「ローマ風呂」の大野屋に長く勤めておられて、その後テレビ局に入ったと言う方のみ。大野屋時代は野村先生から良くして頂いたとのことだった。少し遅れて、泰子さんの友人のお子さんで明治大学に通う女子大生も到着。

下戸は、宮崎の写真館の奥さんと女子大生だけで、他の方は、紹興酒を鯨飲、爆飲状態。外は台風で大荒れらしいが、店内にいる我々は、順風満帆で宮崎弁を通訳して貰いながら笑いが絶えない。九時前に終了。奥様と女子大生と隠岐氏はここで解散。私たちは、「サリーズバー」へ転戦。

Photo※サリーの店で。私とサリーと泰子さん。

サリーの店で記念写真を撮ったり、カラオケに興じたり十一時近くまで楽しんだ。雨と風が強くなり、再会を約して解散した。


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大日本「ソース党」を自認している。

2012-06-21 10:01:49 | インポート

六月十八日(月)曇り。

朝飯が美味しい。いい歳をして、お腹が空いて目が覚める。おかずは、大体干物とおしんこだ。そのおしんこも「糠漬け」を自宅で作ってから、特に美味しくなった。でも残念ながら「ナス」はミョウバンを使って漬けてもどうしてもいい色が出ない。まだらになったり、茶色になったりして、見た目が良くない。といっても不味いわけではないのだが、やはり見た目が大切だ。

インターネットで、「ナスの漬け方」というものを見て、その通りにやってみても、いい色が出ない。「南部の鉄」でも入れてみるか。糠漬けは、やはりキュウリとキャベツがいい。おしんこだけでご飯を食べることができるが、やはりテーブルがさみしいので魚は必要。汁物は、最近は「しじみ70個分のちから」という物を常備している。何となく肝臓にいいような気がするからだ。

まあ、それに「納豆」や「生卵」、「野菜炒め」といった副食を気分で食べるが、十日に一度くらい、どうしても「ソース」を使うものが無性に食べたくなる。ウインナーがないときは「魚ソ」にする。これは我が家の常備品。私だけしか食べないのでなくなることがない。もちろん「丸善のホモソーセージ」。これに目玉焼き(ターンオーバー)とキャベツの千切りを添える。ソースは、社友の「福井のカレー」のオーナーである福井さんから、送って頂いた名古屋のウースターと、ブルドックの「中濃」を交互に使用している。私は、コロッケもソースだ。さすがに「天ぷら」には、「天つゆ」がないときには醤油をかけるが、ほとんどソースを使う。ちなみに我が家では、愚妻と上の子供が醤油党で私と下の子供がソース党であ。

午後から事務所で仕事。夜は、わが酔狂亭で月下独酌。


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