白雲去来

蜷川正大の日々是口実

同じ県民として恥ずかしい。

2013-01-14 12:58:48 | インポート

一月十二日(土)晴れ。

円安の効果?で、ガソリンの値段が上がっていると言うニュースを見た。しかしながら、これはおかしなことだ。一時、円は一ドル七十円台になったことがあった。しかし、ガソリンの値段は、安くならなかった。かつて一ドルが百二十円の頃よりも、今の方がガソリンが高い。投機的な物とは分かっているが、何か、外国の言いなりで高い物を買わされているような気がしてならない。そして政治の無策にも腹が立つ。

そして、情けないのは、東日本大震災で生じたがれきの問題で、神奈川県が、岩手県の魚網を埋め立てる計画の県営最終処分場(横須賀市芦名)の地元住民で作る大楠連合町内会は、十一日、県に魚網受け入れ案の撤回を求め、交渉の終了を通告する文書を県と横須賀市に通告した。

恥ずかしい話ではないか。同じ日本人が、震災で苦労しているのに、こんなことすら協力できない。放射能の影響が怖いと言うのが理由だそうだが、横須賀港には米軍の原潜や原子力空母などがしょっちゅう寄港している。そこの住民はレントゲン検査を受けたことがないのか。何が「絆」だよ。全く情けない。我が家の裏にでも埋めて、その上に住宅を建てたらいいのに。

夜は、お世話になっている、社友の「虎の門浪人」さんのお世話で、中華街の「菜香」での食事会にご招待された。その後、サリーズバーに転戦。虎の門さんたちが帰った後は、サリーパパと二軒転戦して帰宅。


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中華街が喪服姿の人で溢れていた。

2013-01-14 11:59:18 | インポート

一月十一日(金)晴れ。

 今日は、六時から中華街の広東会館にて、先日亡くなられた鄭さんの通夜式が行われる。午後から事務所に行き細々とした用事を済ませてから自宅に戻り着替えをして友人たちとの待ち合わせの場所へ。合流した年若い友人に、「知っているように鄭さんは中国人で、しかも大変有名な人だから、中国式のお葬式となる。礼儀作法を知っているか」。と言うと、当然「知りません」。

 では教えてあげよう。映画などで見たことがあると思うが、中国の正式な作法は、「三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)と言って、ひざまづいて、頭を地面につけることを三回繰り返すのだから、大変だよ」。と言ったら、「えっ本当ですか。大変ですねェー。」と真剣な顔をするから、可哀そうになり、「嘘だよ」とネタばらししたら、一緒にいる人たちは大笑い。鄭さんも、笑ってくれたものに違いあるまい。

通夜式が始まる十五分ほど前に着いたのだが、参列者の多さには驚いた。サリーファミリーや関内のお店の人たち、鄭さんが総料理長をしていたロイヤルパーク・ホテルの人たちなど、知った顔もあったが、当然のようにほとんどが知らない人たちばかり。六時の開式には、すごい人の列が出来ていた。やっとご焼香の番となって会場に入れば、花に囲まれて、グラスを片手に持った鄭さんの写真が祭壇にあった。生前のご厚誼を感謝してお別れをした。

P1000490

通夜式を終えてから友人らと、中華街を歩いて「安記」へ向かったが、中華街では、大勢の喪服の人と方たちとすれ違った。皆、鄭さんの葬儀に来た人たちなのだろう。正に、「棺を蓋(おお)いて事定まる」 。あらためて、鄭さんとのご厚誼に感謝した次第。

その後、サリーズバーで、サリーファミリーと合流。鄭さんを偲んで献杯。友人らと、更に一軒転戦して帰宅。


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築地の料亭「小すが」。

2013-01-12 16:05:59 | インポート

一月十日(木)晴れ。

 久しぶりに、飲みに行くだけのために東京行き。(こういう用事が一番嬉しい)築地にある連合艦隊司令長官であった山本五十六大将の縁の料亭「小すが」へ新年会を兼ねて、お世話になっている方にご招待された。

 その「小すが」と山本五十六大将との縁は、月刊「文藝春秋」の特集「激動の90年・歴史を動かした90人」の中に、「料亭・小すが女将、丹羽政子」のインタビュー記事として掲載されている。

 「小すが」の女将の母である丹羽ミチさんは、「小須賀」という名前で芸者となり、昭和十三年に料亭「和光」を開店した。ミチさんと山本大将は芸者時代からの付き合いで、「和光」も贔屓にしていた。その「和光」の看板を書いたのも山本大将であった。

 

Dscf5335※山本五十六書の「和光」の看板。

Dscf5334※看板が日に焼けたというと、裏にも書いてくれたそうだ。「和」の崩し方が分かる。

 現在の女将である丹羽政子さんのお孫さんである順子さんが、「文藝春秋」に書いた山本大将からの手紙の写しを見せて頂いた。その手紙は、昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃から帰り、広島の呉の軍港に停泊中の「長門」で書いたものであり、その証拠に封筒の裏には「長門」とあった。

 緒戦の勝利に湧く日本人にこう警告している。「いまに東京に爆弾の雨が降ると、もうおしまいでしょう。そうなるとさすがの和光も落ち着いて商売も出来なくなりますから、その時は、その時になどとという呑気でなく、考えておくことですね。(こんなことを人に言っては困るが)」

 昭和十七年の一月に、山本大将は、この時点で日本の敗戦を予測していたのかもしれない。英米派といわれた井上成美や米内光政らとその「和光」に良く来ていたともいう。

 女将の政子さんに代わって、現在料亭を取し切っている順子さんが、山本大将の他の書についても丁寧に解説をして頂いた。嬉しくなってつい酒が勧む。

 その後は、新橋の一流の芸子さんが正月らしい踊りを披露して頂き。とても贅沢な正月となった。

Dscf5341_2※艶やかな芸者さんの舞。

 また、特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎中将が自決なされたのちに、ご夫人が親しい方たちに形見分けとして、大西中将の辞世の句「これでよし百万年の仮寝かな」をプリントした風呂敷も見せて頂きとても感激をした。正月の築地の海風に吹かれながら「小すが」を後にした。こんなビッグな正月のプレゼントをして頂いたI氏に感謝。

Dscf5332※大西中将の辞世がプリントされた風呂敷を順子さんに見せて頂いた。

 

 


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維新公論会議のご案内

2013-01-12 12:53:20 | インポート

維新公論会議のご案内

平成25年「維新公論会議」新春フォーラム

【 時 】平成25年1月19日(土)正午~午後5時
【 所 】乃木神社社務所2階「尚武館」
    東京都港区赤坂8―11―27 地下鉄千代田線「乃木坂」下車直        
【会費】5千円

■基調講演
「尖閣戦争待望論―迫り来る日中軍事衝突の予想図」
             宮崎正弘先生(評論家)
「憲法改正への見取り図」
        大原康男先生「(國學院大学教授)

■基調講演を受けてパネル・ディスカッション
「迫り来る国難にどう備えるかー危機を転じて『維新回天』の神機とする為に
        小田内陽太(現代日本主義研究会代表)
        槇 泰智(政経調査会代表)
        丸川 仁(大行社本部長)
        横山孝平(國の子評論社社主)
     座長 犬塚博英

※新春でもあり、開会に先立ち正式参拝、お祓いを受けます。正午までに会場で受付を済ませて下さい。昼食弁当を用意しています。講演の合間に適宜に休憩を取ります。
※準備の都合上、出席のご連絡をメールで頂ければ幸いです。

kuninoko@gmail.com(國の子評論・横山孝平宛)

維新公論会議 主 宰 犬塚博英(代表世話人)
世話人 山浦嘉久 四宮正貴 近藤勢一 蜷川正大


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歳月は加齢と共に・・・。

2013-01-11 12:41:27 | インポート

一月九日(水)晴れ。

 朝、愚妻が子供の朝食や弁当の支度をしている時に、「水が出ない」という。風呂場や水回りを調べてみても異常がない。ひょっとしてこの寒さで水道管が凍結したのかも・・・。そんな馬鹿な。横浜に住んで長いことになるが、そんなことなど一度もなかった。大体、いくら寒いと言っても零度を下回ることはほとんどない。


最初は、それでもチョロチョロ出ていたのだが、七時半ごろには完全に断水してしまった。まあ、我が家は例の東北沖震災の時の教訓から、風呂の水は、次に入れるまで捨てないでおく。一番困るのがトイレの水であるからだ。その他、二十リットルのタンクに五個ほど常時水をためてある。これもトイレ用。飲料水も、必ず二リットルのペットボトルを六本入りのケースで五箱を常備してあるので一週間程度は大丈夫だ。


大きな地震が来ても、自宅さえ倒壊しなければ、一時キャンプに凝っていたことがあるので、テントに寝袋、ランタン、BBQセット、炭などは当然ある。一週間も我慢すれば、全国の社友からの支援も仰げる。何が断水ぐらいとのんびり構えていた。この歳になって不便を楽しむ心の余裕もある。しかしお陰様で八時半頃には復旧した。(翌日の新聞によれば給水地の給水バルブが故障したとのこと)


歳を取るにつれて一年の過ぎるのが早く感じる。と思っているのは私だけではあるまい。以前からそう思っていたら、週刊朝日に内館牧子さんが連載している「暖簾にひじ鉄」というコラムに、ナルホドということが書いてあった。それは、「一年は、そ人の年齢の時速で過ぎるから」ということ。


例えば、十八歳なら時速十八キロで一年が過ぎる。五十三歳なら時速五十三キロで、七十五歳なら時速七十五キロ。二歳の子供は時速二キロということになる。同じ一年なのにだ。一週間や一年があっと言う間に過ぎて行くということは、加齢と共に時速がアップしていることの証左なのかもしれない。


私は、時速六十二キロか・・・。どおりで早く感じるはずだ。日々を大切に過ごさなければ。


夜は、酔狂亭で月下独酌。先日、愛福楼で食べた「牡蠣のオイスター炒め」が美味しかったので、見よう見真似で作ってみた。まず、大粒の牡蠣を買ってきて、塩で揉んでヌルをとり、牛乳に二十分ほど漬けておく。牡蠣を取り出してもう一度洗い、水けを取る。片栗粉をつけて、さっと油で揚げる。付け合せは長ネギのぶつ切りともやし。フライパンに千切りの生姜とニンニクを炒めて、香りを付けてから、強火でさっと炒める。味付けは紹興酒少々とオイスターソース。仕上げにごま油を少々。まあ自分で言うのも何ですが、こりゃあお金を取れる。


最近は、閨房には、入らないが厨房には良く入る。(分かるかなぁー)。


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