八月二十一日(木)晴れ。
友人から毎年頂く日記帳に、三食の食事のメニューや一日の出来事をメモ程度に書いているのだが、二日もズボラをすると、一昨日の夕食は何を食べたのか思い出せない時がままある。
痴呆症の始まりなのか、それとも単なる物忘れなのか、歳なりに悩むのだが、先日テレビでその違いを聞いてほっとした。昨日何を食べたのか思い出せないのは、単なる、物忘れで、食べたことの記憶がないのは痴呆症。そうかまだ大丈夫だ。
群青の会の大熊雄次氏よりメールが入り、蒼龍会の小島石根会長が亡くなられたとのこと。蒼龍会は、国粋会の会長だった森田政治先生が結成し初代会長を務めた団体で、小島会長は第二代会長であった。
森田政治先生と言えば、拳銃密輸容疑で逮捕され獄中にいる時に野村先生と短い時間であったが千葉刑務所の病舎で共に過ごしている。その森田会長との出会いを、野村先生は昭和四十一年十二月七日の「獄中日記」にこう記している。
「今日、日本国粋会の森田政治さんが我が病舎へ入病してくることとになった。勿論入病することは判っていたのだが、同室の幸運に恵まれるとは夢にも思って見なかった。それも隣床にありて深く語り合う天機を得たことは何と言っても我が喜びではあった。我が知る渡世人の中で、一応の頭目と今日まで語り合う機会も多くありしが、森田政治さんの様な真なる意味の侠客と語り合う機会には恵まれていなかった。いや、真なる意味で侠客の存在すら疑っていたものだ。「仁義とは慈悲だ」「人生とは誠意だ」という言葉を、このご仁の口から聞いた時、矢張りこの人に逢って良かった、と心から思った。「人生は友達の良否によってその価値が左右される」「誠意は尽くした人から帰ってくるものに非ず、至誠は通天である」というこの人の言葉に、我は久しぶりに酔った。矢張り人物はいるものだ。沁々と思う。勿論、この人はやくざだ。だが単にやくざと言って片付けられない人間の重さを感じさせられるのは、この人の今日までの人間修行のたまものに他あるまい。人いずれの道を進もうとも、極めれば必ず通ずるのだ。その道が剣であれ禅であれ事業であれ学問であれ任侠であれだ。それを初めて自分はこの人から教えられた。これが我が、森田政治との出会いである。」
野村先生が、「河野邸焼き討ち事件」にて十二年の獄中生活を終えて、戦線復帰した際に蒲田の蓮沼という所でスナック「山河」を開店した。そのお店で森田先生と二度ほどお会いしたことがある。もちろん野村先生のお供をしてだ。
森田先生の後を継いだ小島会長が主宰していた蒼龍会の勉強会には幾度か出席したことがある。また過日亡くなられた森洋先輩も出席していた「日本を糺す会」の常連の参加者でもあった。ご冥福を。
※平成十九年十一月二十九日、熱海で行われた「日本を糺す会」にて。左、故小島石根会長。右、故松崎忠男会長(平成二十四年十一月一日没)