白雲去来

蜷川正大の日々是口実

仕事が溜まっていた。

2015-04-22 15:11:30 | 日記
四月十四日(火)曇り。

目を覚ませば当然ながら我が家である。楽しかった旅も帰ってくれば即厳しい現実が待っている。朝食は、大好きな「サバの文化干し」に「新玉ねぎのサラダ」、「蜆の味噌汁」。あーあ日本が一番。と思いつつも、また行きたいなぁー、とため息が出る。朝食の後に、旅行鞄の片づけをしてから事務所へ。

わずか四日ばかり留守をしていたにもかかわらず、郵便受けがパンパンとなっていた。機関誌の印刷もやらなければならないし、ヒェーっと言う感じである。事務所に六時過ぎまでいて仕事をしたが片付かなかった。七時前に帰宅し、久しぶりに「黒霧島」にて晩酌。

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台北から帰国。

2015-04-22 09:21:12 | 日記
四月十三日(月)曇り。台湾から帰国。

帰国日になってやっと雨が上がった。ツイテいない。三日間も同じメニューでの朝食。次に来ることがあったならもう少し台北の町を調べて、こんな無味乾燥な朝食をパスしようと思っている。

飛行機の都合で帰国の際のフライトは、現地時間の十六時四十五分。羽田着は二十時五十分。私の趣味としては帰国の時は朝食を済ませたならさっさと飛行機に乗りたい。幾らフライトまで余裕があると言っても何か落ち着かないのだ。チェックアウトを済ませて、ホテルに荷物を預けてから一度も行く機会のなかったった九份まで行ってみようかと思い台北の駅に向かうが、何せ電車に乗るのは初めてのことで、どうも勝手が分からない。何とか切符を買う所までたどり着いたが、丁度良い時間の電車が無く結局、近くの「台北101」へ行くことにした。

高い所が苦手であるし、以前も行ったことがあるので気がすすまなかったが、愚妻は初めてで、それも高い所が好きときている。地下鉄に乗って十分程度で着いた。地下鉄に乗って知ったのだが台湾ではプラットホームのことを「月台」と書く。何かロマンチックでいいな、と思った。

101では、中国人の団体客と一緒になり、帰りのエレベーターでは四十分も並ばされた。昼食はホテルの近くにあるワンタン屋にて。あいにくこのお店にはビールしかない。飛行機の時間までまだ余裕があるが、昼間から飲める店を知らない。結局「三越」の上にある中華料理屋で飲茶を肴に紹興酒を一本空けた。ちなみにここの中華料理は、台湾で食べた中華の中では一番まともな味だった。

二時半にホテルからピックアップされて空港に向かう。チェックインを済ませて飛行機に乗るが、機内に久しぶりに日本の新聞があったので、一部取ろうと思ったら、「すみません。これはファーストクラスのお客様用です」だとさ。悪かったなぁーネェちゃんよ。と言ってやろうと思ったが、ロト六でも当たったらチャーター便で来るぞと心に誓って、粛々とエコノミーの席に着いた。後は爆睡。気が付けば羽田。日本も雨だった。四日ぶりに我が家へ。子供たちの顔を見たら安心した。まあいい旅でした。

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台湾最後の夜のディナーは残念。

2015-04-18 12:18:45 | 日記
四月十二日(日)曇り。台湾にて。

晴れていてくれよ。と祈るような思いで部屋の遮光カーテンを開ければ、台北は花曇り。大行社の方々のほとんどが今日帰国とのこと。私は愚妻が初めての台湾ということもあって、今日は一日観光ツアーのお付き合いである。観光はあらかじめ日本で予約をしておいた。

朝食後に、JTBの小型バスが迎えに来る。同行は日本人ばかり四組八名。コースは、龍山寺→中山祈念堂(蒋介石の祈念堂)→漢方薬のお店の並ぶ迪化街→圓山飯店(グランドホテル)にて飲茶の昼食→忠烈祠(衛兵の交代式を見学)→故宮博物院→中国茶の体験→免税店。というコースである。日本円で一人四千五百円。
正直言って私はこの観光コースを来るたびに巡っている。一緒に来る人の何人かが初めての人がいるので、お付き合いするからである。
何度も来ているからとツアーを断っても、一人で台北の町で時間をつぶすほどこの町を知らなすぎる。まあ何度来ても何か新しい発見があるのに違いあるまい。と自分に言い聞かせて参加。

ホテルで、ツアーガイドから「パスポートを持って来て下さい」。とし言われたが、パスポートを持って人の多い観光地を歩くのは嫌だと断った。免税店で買い物をする際に必要なことは分かるが、そんな所で買い物をする気もないので断った。こういったツアーの面倒くさいのは、免税店や土産屋に連れて行かれることだ。台湾の土産物屋には何度も連れて行かれたが、正直言って横浜の中華街で売っているような物ばかり。まして台湾に五回も来ていれば今更土産物でもない。旅行会社の都合も分からないではないが、これが無ければもっと楽しいのだが。

しかし観光ツアーは、楽しかった。ガイドの解説もなかなか良くてまあ四千五百円では安いかなと思った次第。故宮は何度来ても感動する。有名な「白菜」や「豚肉の角煮」などとも再会できて感激した。夜は、何処のお店で食事をと迷った。いつも団体で来るので個人的に店を知らない。来る前にもっと調べておけば良かったと思っても後の祭り。以前「HANA」という鉄板焼きのお店に行ったことがあったのを思い出してガイドに聞けば、コックが変わって良くないとの返事。代わりに「京都」というお店を紹介されて台湾最後の夜のディナーの場所にした。ところが大外れ。肉はアメリカンビーフで美味しくないし、コックも「京都」と言う店の名前の割には日本語が全く駄目で、調理の仕方も雑。地元の料理にすれば良かったと猛省した。

食後は、また士林の夜市を冷かしてからホテルに戻った。

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蒋介石総統の銅像前での記念式。

2015-04-18 11:38:19 | 日記
四月十一日(土)雨。台北にて。

目を覚まし遮光カーテンを開ければ、残念ながら今日も雨。「渭城の朝雨軽塵をうるおす 客舎青青柳色新たなり」と王維の詩を口ずさむが、目の前が台北の駅では情感が浮かばない。ホテルのでのビッフェスタイルの朝食。可もなく不可もない。昨日、見つけたホテルの裏のワンタンの専門店に行こうかとも思ったが、折角の「朝食券」が無駄になるのであきらめて昨日と同じメニューの朝食で済ます。

食後に着替えをして今日の蒋介石総統の銅像での記念式典に行く集合場所となる華国大飯店(インペリアルホテル)に向かう。十五分ほどで着。大行社の同志の方々と合流。チャーターした大型バスに乗り一路、桃園県の虎頭山と言う所にある大行社がもう二十五年も前に建立した蒋介石総統の銅像のある公園に向かう。一時間ほどで到着。雨が止まないので簡単な儀礼を済ませた後に、三本菅会長が献花。その後、集合写真を撮る。この場所に来るのは四回目か。今回は公園の入り口に、関係者の名前を刻んだ副碑を新たに作り、その建立記念のために訪れた。

二時過ぎに解散してホテルに戻る。少し遅い昼食は台北に来た観光客が一度は訪れると言う飲茶で有名な鼎泰豊にて。大行社の北海道総本部長の谷口壽美雄氏らと合流。酒をたしなまない谷口氏らを前に、愚妻と紹興酒を一本空けてしまった。その後、買い物をしてから、夕食の会場となっている「三井」という日本料理屋に向かう。

六時半より、地元の方々を招き歓迎の夕食会。指名によりご挨拶をさせて頂く。二時間ほどの食事会で二日ぶりの焼酎に酔う。九時前にホテルに帰り、早めに寝る。

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借問す酒屋は何れの処にか有る。

2015-04-16 09:33:44 | 日記
四月十日(金)曇り。台湾へ。

朝食は、サラサラサラッとお茶漬け。お茶漬けと言えば「永谷園」の物が有名だが、私は群青の会の大熊雄次氏から頂いた「大佐和」の「のり茶漬」を知って以来、これ一筋のファンとなった。何しろこのお茶漬けはびっくり箱のようなのだ。外装からは想像もできないような大量のきざみ海苔がどどっと出てくる。正に「おおっ!」という感じなのだ。海外に行く友人などには餞別でこの「大佐和」のお茶漬けを送ることにしている。軽いし、がさばらないし、びっくりするし、ウケること間違いない。ちなみに注文は、東京都文京区湯島3-36-5。(株)大佐和老舗、注文電話は03-3839-6882。五個入りのワンパックで確か四百円だと思いました。この大佐和が関内駅の地下街に支店があることを知った時は、嬉しくて早速買いに行きました。

今回の旅行は、大行社が台湾の桃園県は虎頭山に建立した蒋介石総統の銅像の二十五周年記念行事として「副碑」を建てたことの報告会である。その副碑には私の名前も刻まれており、恐縮の至りである。

四年前に私の還暦のお祝いをさせて頂いた折に、社友の皆さんから「ロクに仕事もしない、飲んべのぐうたら親父を長い間支えたご褒美」として愚妻に十万円もの旅行券を頂いた。それを使用する機会が無かったので、今回の台湾行きに愚妻を同道した。二人きりで旅をするなど二十年ぶりである。愚妻は台湾は初めてなのでJTBのパックツアーに申し込んだ。商品名は「現地係員がご案内する・マイセレクト台北自遊自在四日間」というもの。羽田発、それも金曜日の午後便ということで少々高かったが女房孝行であるから仕方がない。当然ながら少し足が出た。ホテルは台北の駅前の「シーザー・パーク」。昔は「ヒルトンホテル」だった。

羽田を一時半発の全日空便。新しくなった羽田の国際線ロビー来るのは初めてのこと。出発まで時間があったので寿司屋に入ったが、何と回転寿司だった。私は回転寿司が大嫌いなのだが、回っていないので騙された。一路平安を祈念する旅の出鼻をくじかれたが仕方がない。飛行機は順調に現地時間の三時四十五分に松山空港着。この松山と言う地名は、台湾を日本が統治した際に、四国の松山市の人たちが入植、開拓したことから、その名前が付いたとガイドから教わった。空港には何とベンツが迎えに来ていた。二人だけなのであちこち寄らずにホテルに直行。残念ながら台北は春雨に煙っていた。

部屋は、早割特典でジュニアスウィート。目の前には台北の駅舎が。道行く人の傘を見ていると、頭に浮かんだのが杜牧の「清明」。清明の時節雨紛紛 路上の行人魂を断たんと欲す 借問す酒屋は何れの処にか有る 牧童遥かに指さす杏花村。五日前は「清明」。中国では先祖のお墓参りをする。観光地図を見ながら、「借問す酒屋は何れの処にか有る」と探せば、有名な士林夜市は台北の駅から電車に乗って十五分程度だ。特典で電車の台湾版スイカが付いているので夜市に出かけた。いやはやすごい人出である。こういう市場の雑踏が大好きな私は、楽しくて仕方がない。地下の屋台村?に入って、あちこちの店で食べて飲んで。それでも二人で三千円もかからない。三時間ほど遊んでから、台北に戻り、ホテルの近くで足裏のマッサージ。その後、爆睡。

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