白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ナルトは入れちゃいけねぇよ。

2015-07-07 18:08:36 | 日記
七月二日(木)曇り。

唐突な話で恐縮ですが、初めてラーメンを食べたのはいつの頃か。正確な歳と日にちは覚えていないが、食べたお店だけは覚えている。京急の黄金町駅からガードを背にして霞ヶ丘、藤棚方面に行く大きな交差点のすぐ近くに二軒のラーメン屋が向い合せていた。二軒とも名前は失念したが、右側のお店(福田屋ではなかったか)は、下町のラーメン屋と言う感じで、反対側のお店は中華料理屋という印象だった。

その右側のお店で、母と一緒に食べたのが小学生の低学年の頃だったと記憶している。普通の醤油ラーメンでシナチク、ほうれん草、ナルトに周りの赤いチャーシューが一枚入っていた。確か値段は三十円だった。味噌ラーメンや塩、あるいは家系の豚骨ラーメンなどが人気を博している昨今、ナルトの存在感が薄くなった。私は、ラーメンと言えば醤油味で、ナルトが入っていないと、心の中で「けしからん」といつも思ってしまう。

またまたうろ覚えで恐縮だが、「寅さん」の映画の中で、寅さんが屋台でラーメンを注文する場面がある。その時のセリフというのが「おじさんラーメンくんな。ナルトは入れちゃいけないよ。目が回っちゃうからね」。屋台でラーメンを食べた時など、ナルトを見ると、寅さんのセリフを思い出して、いつかそれを使ってみたいと思っていた。がしかし、ナルト入りのラーメンを見るのが稀になった。昔ながらの、ナルト入りのラーメンを食べると、母と一緒に食べた子供の頃を思い出す。

「冷やし中華」を初めて食べたのは、ラーメン屋の反対側にあった中華料理屋で小学校の六年の時だ。銭湯で会った同じアパートに住む人に、風呂上りに「ラーメン食いに行こう」と言われて入ったのが、そのお店。「マーちゃん(私のことです)ここの冷やし中華は美味しいよ」と、注文された。当時、酸っぱいものが苦手だった私は、残したら悪いと思いながら、無理やり食べた。この時のトラウマか今でも冷やし中華はあまり好きではない。恐らく自分で注文して食べたことは一度も無いのではないか。

かつて黄金町駅から伊勢佐木町商店街に向かう左側に「太田のラーメン」というお店があった。かなりの評判店だったが、いつの間にか別の場所に移転して、いつの間にか無くなった。

いやはや国内では、安保法制や箱根の火山噴火に新幹線での放火自殺。海外ではギリシャ危機に中国の覇権・・・。めまぐるしいなぁー。こんな時にラーメンの昔話しか。我ながらレベルが低いとは思っていますが、私一人がジタバタしても如何ともしがたい。まっとりあえず酒でも飲むか。

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「世界遺産」の登録などやめたら。

2015-07-07 14:08:38 | 日記
七月一日(水)雨。

私の友人である徐裕行さんが、フェイスブックで「世界遺産」についてこう書いている。「日本が強制連行(against theire will)や強制労働(foeced to work)を認めたことで軍艦島が世界遺産に認められたとのことだが、世界遺産って一体なんなのですか?価値のあるもんなんですか?そんなものの登録のために隣国同士が騙したり騙されたり、歴史問題が云々と騒ぎ立てているけど、そこまでして世界遺産に登録しようとする意味がわからん。そんなものに狂奔すること自体やめてしまえばどうですか?」。

様々な考えがあると思うが、今回の「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に関して韓国のクレームについて当然ながら日本人として快くは思はない。しかし、私は徐さんの意見に同感である。「世界遺産」の登録にどのような意味があるのだろうか。最近は単に観光のための「町おこし」のために利用しているようにしか思えないのである。「町おこし」の「権威づけ」あるいは「お墨付き」を得るために外交問題にまで発展してしまうことに何の意味があるのだろうか。

日本人が様々な伝統的、歴史的な「遺産」を大切に思うのであれば、日本独自に「日本遺産」に指定したら良いのではないかと私は思う。そのために国民投票でも行えば、おのずから関心も高まるに違いあるまい。富士山や熊野古道など世界遺産に指定されたことで、訪れる人が増えて、環境に重大な影響を与えているとか。おそらく「軍艦島」も、日本人がどう解釈しようと、「強制連行」の象徴的な「遺産」として位置づけられてしまう可能性が高い。

歴史の価値観とは永遠のものではない。百年の後に、薩長が悪で会津が正しく、会津の精神こそ維新後の日本を良導した。ということにならないと言う保証はない。世界に認められて欲しいものは、歴史的遺産などよりも今を生きる日本人の姿であってほしいものだ。

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さすがに疲れが出た。

2015-07-06 12:04:03 | 日記
六月三十日(火)曇り。

朝食は、伊豆高原から送った「ムロアジ」と「冷奴」に「松茸のお吸い物」。茶碗を一回り小さい物にして、ゆっくり食べた。午後から事務所までウォーキングに出ようと思って、家を出たが、断食の疲れが出たのか、まともに歩けない。ちよっとアブナイと思って引き返した。

仕事も溜まっているので車で事務所に向かう。しばらくパソコンで仕事をしたが、どうも調子が良くないので帰宅。「燃えよ祖国」の段取りを行う。今年は野村先生の二十三回忌となる。何度か特集を組むつもりだが、今回は第一弾として、「群青忌」での講演集をまとめるつもりでいる。また不定期で「憂国奇人伝」を連載させて頂きます。

体調悪く、早めに寝た。

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四日ぶりの酒。

2015-07-06 11:48:42 | 日記
六月二十九日(月)晴れ。断食明け。

六時に起床。予報では「晴れ」ということだったが外を見ると木々が濡れている。七時から四十分ほどの「サイレントウォーク」に行くつもりが霧雨で中止かと思ったら、行きたいと言うリクエストが多く出発。坂は登り坂ばかりなのでちょっときつかったが、折り返し地点の「見晴らし台」に立てば大島が靄に煙っていた。

朝食の後に、お世話になった宿の方々にお礼を言って駅に向かう。十時四十七分の「踊り子」にて横浜へ。自宅に着いたのは二時近く。月曜日なので誰もいなかったが、窓を開け放して旅装を解く。毎年私の体のことを心配して断食に誘ってくれる友人に心から感謝。

夜は、町内の人たちとの月に一度の懇親会。愚妻に代理で行って貰おうかとも思ったが、他に約束もあったので、少々きつかったが出席。さすがに四日ぶりの酒は効いた。ヘロヘロになって帰宅。

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断食三日目。

2015-07-06 11:40:49 | 日記
六月二十八日(日)晴れ。

今日も、起床後に体操。その後治療。正午よりDHCの経営しているホテルの中にあるプールへ行く。泳ぐわけでもないが、プールの中を四十五分ほど歩いた。これが結構きつかった。

プールを出てから、夕方まで駅の近くにあるリサイクルショップをひやかしたり、子供に土産を買ったりして過ごす。三時近くに宿に戻り、お世話になっている方々にお礼手紙を五通書く。その後、持って来た本を読むが空腹で頭に入らず途中でやめた。

プールでの運動で疲れたのか、九時過ぎには寝てしまった。

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