白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「アド街ック天国」横浜関内編。

2015-07-06 10:21:02 | 日記
六月二十七日(土)雨のち曇り。

六時起床。七時半より太極拳を模した朝の体操。簡単なものでも普段は朝に体操などしたこともないので、心地良い汗をかく。その後、治療。治療と言っても、真空のカップを背中に当てたり、マッサージをしたりする、まあ体のケアである。

十時過ぎより、宿から伊豆高原の駅まで歩いた。所要時間は三十分。これでは物足りないので駅の周辺を更に一時間の散歩。伊豆高原は、お椀を逆さまにした大室山が有名だが、その周辺は別荘地である。私がお世話になっている宿も、その別荘地の中にある。静かな森の中の別荘地だが、それほど高い所にあるとは思えないが、駅周辺とは三度ほど気温が低いと言う。もうこの歳で逆立ちしても別荘など持つこともないが、もし宝くじでも当たって別荘を買うとしたら山よりも海の近くがいいと思う。

タクシーの運転手さんに聞けば、この伊豆高原はお年寄りにはきついということだった。山の上にあり歩いて出かけるのには無理があり、雑草やメンテナンスが大変。都会から憧れてくる人も多いが、大体二、三年で帰って行くと言っていた。歩いていると蛇に遭遇したり、虫も多いし、そういったことの苦手な人には絶対無理かもしれない。私もその一人です。

午後に、お世話になっている方が一日遅れで到着。何せ時間はたっぷりあるので、修善寺の近くにある吉奈温泉の「東府や」というリゾートホテルまでドライブ。まあ一度は泊まってみたいと思うホテルなのだが、家族向きではない。ここのテラス脇にあるレストランで売っている食パンとブドウパンが有名で、断食でなければ一度は買って帰りたいといつも思う。その昔、ここにあった旅館で「唐人お吉」が泊まっていたということで資料館がある。一部宿泊客ではなくても解放されているので、近くに行きましたら見学だけでも。

宿に戻り、風呂に入ってから部屋でのんびりしてていると、携帯が立て続けに鳴った。知人からのもので、今日放送されたテレビ東京の「アド街ック天国」に私がほんのチョット出演しているので、それを見た人たちからの電話だった。しかし残念なことに、私のいる所では、テレビ東京は映らない。電話は嬉しいのだが、番組を見ていないので、話がかみ合わないのがおかしかった。録画をしてあるので帰ってからゆっくり観ることにします。

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何処へ。いや伊豆へ。

2015-07-03 17:00:01 | 日記
六月二十六日(金)曇りのち雨。

朝食は、昔ながらのナポリタン、ベーコンエッグに玉ねぎを入れたコンソメスープ。
先日、郵便局に行った折に、置いてあった「小豆島の玉ねぎ」というパンフレットに魅せられて通販で買った玉ねぎが昨日届いた。玉ねぎは庶民の優等生で、スライスにして食べても炒め物や煮物、更にはみそ汁に入れてもおいしい。特に、玉ねぎをザクっと切って、牡蠣油で炒めたものなどはご飯のおかずには最高である。春にスーパーで新玉ねぎが並んでいると嬉しくなる。

のんびりとしていられない。今日の午後から、断食の為に伊豆に向かう。新横浜発、三時四十五分の「こだま」にて隠岐康氏と待ち合わせている。二時には支度をして家を出なければならない。その間に、月曜日の支払いのために郵便局や銀行に行く。何とか手当がついた。
学校から帰ってくる子供たちの為に「カレーうどん」を作ってから出かけた。天気予報では夕方から雨になるという。
いつもならば横浜駅から「踊り子」に乗って伊豆に向かうのだが、この時間帯の「踊り子」がなくなった。従って、新幹線で熱海まで行き、そこから伊豆急のローカルで伊豆高原まで行く。熱海から乗った伊豆急の電車が中々良かった。景色が良く見えるようにと進行方向の左側、つまり海側の席がベンチシートになっており、海岸沿いの景色を楽しめるようになっている。

しかしながら、外は雨。車窓を流れる景色の中に、海と山が雨に煙っている。伊豆に「合歓の花」があるかは分からないが、ふと浮かんだのが芭蕉の「象潟や雨に西施が合歓の花」。周りを見渡しても、これから向かう断食の家にも、越王勾踐の愛妾「西施」のような絶世の美女がいる訳もないが、お腹が空いて、合歓の花が雨に打たれてうつむいているような状況にはなりたくないものだ。

五時過ぎに、伊豆高原の宿に着。簡単な体のチェックをしてから部屋に入る。昨年来た時と全く同じ体重である。頑張らなくては。酒を飲まないことに加えて空腹で眠れないのでは体力を消耗するので、睡眠薬を服用して早めに寝た。

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「言論の自由」も所詮金儲けか。

2015-07-02 12:36:42 | 日記
六月二十五日(木)晴れ。

金曜日から陸上の日本選手権が始まるが、国立競技場が解体されてしまい新潟で開催とのこと。いくらなんでも新潟までは足を延ばせない。幸いにもNHKで放送するので三日間、バッチリと録画予約をした。

どこかのアイドルが、歌の中で自民党の批判や反原発の歌を歌い、市が後援するのをやめた、とかのニュースを見た。その中で当事者の十八歳というアイドルの女の子が「言論の自由だから構わない」とかのコメントをしていた。おそらく大した信念や思想などなく(あったらゴメンネ)金儲けの大人たちに操られているのだろうが、政府や体制を批判したりすることの「言論の自由」には、ともすれば「覚悟」も必要であるということを、そのアイドルの鵜匠的存在の大人たちは教えて上げた方が良い。

批判をする自由を口にするならば、自分たちが批判されることのリスクも伴う。自分たちが批判した人や団体には、当然ながら、支持者や盲進的なシンパもいるかもしれない。「暴力はいけない」とは、子供でも分かることだが、批判される側にしてみれば、批判されることを「暴力」と思う人だって当然いる。人を批判することを金(営業)にしていることを、私は決して言論の自由だとは思わない。度量の狭い男だと思われようが、人には、それぞれ守るべきものがあり、それを侮辱されたりしたら、いくら相手が年端もいかない女だろうが、関係ない。
もし彼女たちが、「上等だよ。信念持ってやってんだよ」。という覚悟があれば、それはそれで良い。大したものだと思う。
彼女たちのことを大切に思うのならば、政治の批判を「売り」にするような路線を金の為に歩ませないようにするのが、周りにいる大人たちのつとめではないかと思う。

明日から、断食に行く。自分を律する良い機会と思って毎年行っているが、私の心と体を心配してくれて誘ってくれる友人に感謝。しばらく飲めないので、酔狂亭で月下独酌。

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肴を求めて。

2015-07-01 11:20:54 | 日記
六月二十四日(水)晴れ。

午前中は自宅のパソコンで仕事。機関誌や連載させて頂いている原稿に向かうが、蚤の脳みそ程度の頭では、出るのは文章などではなく、ため息ばかりである。断食が近くなると、「まっどうせ断食に行くのだから、多少はズボラしても良いか」との自身の欲望に負けてしまう。
午後に、友人がランチの「マック」を大量に差し入れしてくれた。これで子供たちの明日の朝食を作る手間が省けたとニンマリする。

夕方、「私の酒の肴を買いに行くのではない。家族の夕食と弁当のおかずを買いに行くのだ」。と自分に言い訳をして、みなとみらいにあるスーパーへ行く。主婦のような話で恐縮だが、スーパーにも好き嫌いがあって、自宅に近いからと言ってもほとんど行かない店もある。理由は、品揃えが悪いからである。肉や魚の質が悪い店には絶対に行かない。まだコンビニの方がましだ。スーパーの中には、よくこんな品物を売るな。と思うような店もあって、そんな店で買うのは、どこの店で買っても同じな生活雑貨ぐらいである。

そう言えば、カツオの季節になってから松原商店街のマグロ屋には最近行っていない。たまにカツオを見かけるが、「そごう」の、いわゆる「デパ地下」の魚屋の物には及ばない。
だから最近は、「そごう」でカツオだけを仕入れて、他の物は別のスーパーで買う。といった状態が続いている。無趣味な私としては、酔狂亭での晩酌こそ、その日の癒しとなる。

頭山満、三上卓、野村秋介の諸先生の書に囲まれて、酔いとともに夜は更けて行くのである。

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私の携帯には「酒探知機」がついている。

2015-07-01 08:20:35 | 日記
六月二十三日(火)晴れ。

六時に、炊飯器から「炊けましたよぉー」の合図の音楽で目が覚める。科学の進歩は大したものだ。六時の設定だが、のんびりしているのか五分遅れている。ささっとかき回して空気を入れてから朝食の支度。皆が出かけて一人になるのが八時。これからが私ののんびりタイム。朝食は、ボロニアソーセージ、赤ウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り添え、トーフの味噌汁。私の好きな「ソース物」である。
午後から事務所へ。運動を兼ねて歩いて行こうかと思ったが、金曜日から、恒例の「断食」に行くので、それを口実に、まっいいか。と車で行った。

午後、携帯に民族派系のT展社のF社長から珍しく電話が入る。つながった瞬間、ぷーんと酒の匂いが。「先輩。Fです」。いいけど酒臭いねぇー。「先輩、電話で分かるんですか」。私の電話には「酒探知機」がついてんだよ。「へぇー。確かに飲んでいますが、これからどうですか」。時計を見れば、まだ午後の一時過ぎだと言うのにF社長は、すでに呂律が怪しい。こんな時間から酒など飲みたくないし。電話から推測するにF社長は、酩酊度、七十五パーセント状態。今から合流しても、舟川孝、三澤浩一の両氏も間に合わないので、私一人では酔ったF社長の介護は無理だ。報復をされないように、丁寧に断ると、「何だ先輩。今日は美人と一緒なんですよ。美人と」。私はF社長の審美眼を全く信じていないので、携帯の向こうのF社長に、深々と最敬礼をして電話を切った。と同時に、携帯の電源も落とした。

F社長の「酔っ払い伝説」は枚挙にいとまがない。それだけで一冊の本が出来るかも知れないのだ。髄分前のことだが、深夜にゴールデン街のH部ママのお店に行くことになり、電話を入れた際、何とH部ママのお店と間違えて、敬愛するH川先生の携帯に電話を入れてしまった。「ママ、F本だけど、これから行くけれど丈夫」。面喰ったのはH川先生だ。民族派の中では、酒乱、淫乱、錯乱三拍子の番付の大関にランクされている男が、夜中に来るという。機動隊を呼ぼうか、保健所に電話しようか。と一瞬迷ったが、意を決して、ガツンと一言「F本さん。あなたの携帯から私の番号を削除してくださいね」。間違えに気づいたF社長、平身低頭したのは言うまでもない。しかし反省しないのがF本社長の大人たる所以。H部ママの店に着くや、「イヤーママの店と間違えて、H川先生に電話しちゃったよー」。と怪気炎を上げていたらしい。

近々、F本社長らのセミドキュメント「憂国奇人・怪人伝」を連載しようと思っています。本人たちの名誉を考えて、T展社のF本社長とすれば、誰も分らないと思うので。しかしF社長の名誉のために言えば、私の尊敬する年少の友の一人で、民族派運動においてもかけがえのない一人です。

夜は、F本社長の呪縛霊から逃げるように、酔狂亭で月下独酌のお祓いの酒。

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