白雲去来

蜷川正大の日々是口実

おでんで熱燗がいい。

2016-12-20 18:22:11 | 日記
十二月十二日(月)晴れ。

個人的な嗜好からすると、おでんの三大具は「がんもどき」「玉子」「ちくわぶ」であり、ことに「ちくわぶ」はそれだけのおでんでもよかろうと思うほど好物である。とは、私ではなく、作家の浅田次郎先生である。実は、私と浅田先生は、同じ歳である。共通するところは、歳だけで、後は、私など、似ても似つかないことは、言うまでもない。東京の中野区で育った浅田先生は、聞く所によれば「下戸」とのこと。

酒を飲む人と飲まない人では、食べ物の嗜好が異なるのではないか。私のおでんの三大具と言えば「竹輪」「厚揚げ」「糸こんにゃく」かな。いわゆる練り物が好きなので、おでんを作る時は、どうしても練り物が多くなる。私が知らないだけかもしれないが、私のテリトリーの関内には、気の利いた「おでん屋」がない。伊勢佐木町には、有名な「野毛おでん」があるが、カウンターで鍋を前に好きな物を注文する、という私好みの店ではない。その昔、福富町の清正公通りに「好の屋」というお店があったが、移転してしまった。寒くなると、おでんで一杯やりたくなる。そう言えば、関西には「ちくわぶ」が無いそうだ。所変われば品代わるか。

何年か前に、静岡に行った折に、岐阜の細川先生に案内されて、レトロな風情のある青葉横丁に行った。初めて静岡おでんを食べたが、とても美味しかった。また行ってみたいが、おでんを食べに新幹線で往復するのは、いささか贅沢な話で、それっきりになっている。金沢もおでんが有名らしいが、残念ながら、食したことがない。雪の降る街を歩きながら、おでん屋の暖簾をくぐってみたいものだ。

夜は、名前だけ真面目な、蜷川政経懇を、野毛の「弥平」にて開催。鍋が美味しかった。その後、関内に転戦した後に帰宅。

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伊勢佐木町の洋食のお店「コトブキ」。

2016-12-19 10:10:28 | 日記
十二月十一日(日)晴れ。

午前中で学校を終えた子供と待ち合わせて、久しぶりに伊勢佐木町の洋食の「コトブキ」にてランチ。このお店は昭和二十九年の開店である。もちろん、その頃の記憶はないが、初めて行ったのは、中学生の頃。母と一緒で「カツライス」を食べたのを覚えている。当時のお店は、今のお店の裏の方にあった。ライスを注文すると「しじみの味噌汁」が付いてくるのは、昔のままだ。いやメニューも味も、ほとんど変わっていない。必ず注文するのが、「マカロニサラダ」。自家製のマヨネーズのファンである。昔のお店は、レジにこのお店のお母さんが座っていて、とても愛想の良い「たまちゃん」というウェイトレスがいたことを覚えている。

私は、海老フライとマカロニサラダ。子供はハンバーグ。お店は、新しくなったが、入り口のドアのガラス越しから伊勢佐木町を見れば、何となくセピア色に変わるような気がする。

夜は、昨日に続き、忘年会にて東京行き。今年は暖冬なのか、この時期に外に出ても厚手のオーバーを羽織っている人をあまり見かけない。お世話になっている方の主催であるが、山口申先生、犬塚博英議長、丸川仁理事長、大熊雄次氏が、連夜の同席。わいわい飲んでから、二次会は錦糸町の「223」というお店へ。一時間ほどいてお暇した。

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民族革新会議の忘年会。

2016-12-19 09:39:12 | 日記
十二月十日(土)晴れ。

今日は、私が役員の末席を汚している民族革新会議(民革)の忘年会があり東京行き。思えば、初期の民革のメンバーは、大先輩ばかりが加盟していた。初期の人たちで、現役で活躍しているのは、山口申先生のみだ。衛藤豊久、達豊、松本効三、高松正吉、小早川久之、矢代和剣、石川進といった諸先輩は、皆鬼籍に入ってしまった。若い頃、この民革に追いつけと言うことで、虎の会を結成したが、何の運動の成果を見出すこともなく、有名無実、自然消滅になってしまった。

群青の会の大熊雄次氏と御徒町にて待ち合わせた。師走の、それも夕方のアメ横は人で溢れていた。何を買う訳でもないが、商店街の雑踏を歩くのが好きだ。生活感がみなぎり、町や人が「生きている」と言うことを実感する。早めについたので、商店街を冷かす。マグロ、タラバカニ、イクラ。不思議とどのお店でも大体値段が一緒。暮になると、必ずここで買い物をする人たちの映像を見るが、最近は、ほとんどアメ横で買い物をしなくなった。

大熊氏と共に、木場へ。山口会長や犬塚議長を始め、仲の良い同志の方々で盛り上がる。酒も良し、肴も良し、人も良し、歌もありの楽しい酒席となった。大熊氏のお世話で横浜に戻る。

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さようならは、「五つのひらがな」ではなかった。

2016-12-14 09:08:24 | 日記
十二月九日(金)晴れ。

申し訳ないけれど、お隣の国は、退屈しないなぁー。大統領の弾劾が決定し、身内である与党の中からも大量の弾劾賛成者が出るなど、朴大統領は、相撲で言えば、死に体。大統領府の前で騒いでる人たちもエキセントリックで、人のケンカと何とかは、大きいほど面白いを実感させられる。これで次は左翼政権の誕生が色濃くなった。そうすると国民の人気取りのために、「反日」に転じてくるのは、火を見るよりも明らか。そして人気取りのために、十億円もの慰安婦への基金も、反故にされるかもしれない。ポピリズム政党の台頭が世界で話題になっているが、そう言った意味では、韓国も同じだ。

話は全く関係ないが、浅田次郎の本を読んでいたら、「さようなら」と言う言葉は、本来は、接続詞で、いわゆる「バイバイ」という意味では使われていなかったと知って、目からころも、ではなかったウロコだ。「さようなら」と書くと、ピンと来ないが、「左様なら」と書くと、何となく分かってくる。こういう具合に使っていたそうだ。「忙しい一日だったが、左様なら家に帰ってゆっくり休みましょう」とか、「ずいぶんすったもんだしたけれども、左様ならここいらで別れよう」と使っていた。日常生活が忙しくなったり、せちがらくなって、「左様なら」だけが、独り歩きし、「さようなら」となった。歌の文句ではないが、さようならは「五つのひらがな」ではなかったのだ。

鳥肌が立つ。もそうだ。本来は、「寒さや恐怖などによって、皮膚に鳥肌があらわれる。鳥肌立 (だ) つ。怪談に鳥肌が立つ」と使われたのが、最近では、感動を表現するときにも使用されるようになった。つくづく言葉が生き物であることを実感させられる。

夜は、酔狂亭で、月下独酌。

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昨日の敵は、今日の友。

2016-12-14 08:34:30 | 日記
十二月八日(木)晴れ。開戦記念日。

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(フ)メル大日本帝國天皇ハ昭(アキラカ)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ユウシュウ)ニ示ス 朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス。

安部総理の真珠湾訪問が決まったそうだ。オバマ大統領の広島訪問と同一視する向きもあるが、私は違うと思う。確かに、広島、長崎の原爆投下や真珠湾への攻撃は、先の大戦の「象徴的」な出来事かもしれないが、広島・長崎への原爆投下は、ハーグ条約で禁止されている非戦闘員への殺りく行為であり、無辜の民の虐殺でしかない。真珠湾攻撃は、戦艦や飛行機など軍事施設への限定的な攻撃である。何の本かは、忘れたが、以前読んだ本の中に、真珠湾攻撃の際の航空参謀であった源田実氏に、「なぜ石油の貯蔵タンクや公安施設を攻撃しなかったのか」と聞いた所、源田氏は「ゲスの戦法である」と一蹴した、とあった。日本の軍人が、いかに武士道にのっとった戦いをしたのかが分かる。

しかしながら、大東亜戦争から七十五年が過ぎて、安部総理の訪問によって、お互いの国の国民が癒されるのならば、それでいいのではないかと思う。そして、いずれ、日本軍の真珠湾攻撃が「だまし討ち」などではなかったことが証明されるのに違いあるまい。「昨日の敵は、今日の友」か。

夜は、冷蔵庫の一掃セールで、鍋を囲んだ。酒だけは避けられない。

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