白雲去来

蜷川正大の日々是口実

まだ正月ボケをしています。

2017-01-12 10:17:48 | 日記
一月七日(土)晴れ。

正月も一週間が過ぎて、世の中は、仕事モードに戻っていると言うのに、ぼけ老人の一歩手前の私と言えば、頭の中は、まだ松の内。生々しい仕事の話などを相談されると、正直言ってイラっとする。歳と共に年々、フットワークが悪くなり、何をしても集中できない。下を向くとめまいがするし、上を向くと、そのまま倒れそうになる。今年、幾つになるのか、などと考えるのも恐ろしい。有難いことは、朝食が美味しいことと、元気に酒が飲めることだ。

それでも仕事をしなければ生きていけないので、資料整理や原稿書きには、原付のバイク並みの脳みそを駆使して、何とか頑張っている。適度に本も読んでいるし、それなりに勉強はしている。そうでなければ、お天道様に申し訳ない。

三時近くまで、事務所にて機関誌の編集。事務所も、読んだ本や資料が山積みで、ほとんど「ゴミ屋敷」状態。片づけたいのだが、片づけてしまうと、今度は、何処に何をしまったのか分からなくなってしまのうのだから始末が悪い。

今年は、イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ大統領の就任、韓国の朴政権の迷走・・・。予測不能な出来事が多くなる。これまでの常識や方程式では全く、対処が及ばないだろう。戦後の私たちが、経験をしたことのないような年のスタート。お手柔らかにして頂きたいものだ。

夜は、遅まきながら沖縄小旅行の「安着祝い」を行った。最後は、藤棚の「一休」にて。

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今は亡き人の・・・。

2017-01-11 13:41:38 | 日記
一月六日(金)晴れ。

野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』の「冬の句」の中に、「いまは亡き悲願の人の悲願を継ぐ」というものがある。先生が千葉時代において「今は亡き悲願の人」と言うのは、昭和四十六年の十月に亡くなられた三上卓先生のことであろう。

野村先生は、旅に出ると、良く絵葉書を書いて送ってくれた。一緒に、海外に出ている時も、事務所の人たちにマメに絵葉書きを送った。
それを見ていたせいもあって、私も旅に出ると、家族や友人に良く絵葉書を書いた。しかし、三泊四日程度の小旅行だと、子供たちに宛てた葉書よりも私の方が先に家に着いてしまい、手紙を出したことの意味がなくなってしまう。それでも、飛行機の中の無聊を紛らわせるために、葉書を書いていると、「ああ旅に出たんだなぁー」という感慨が湧いてきて旅も楽しくなる。

後輩で、大陸浪人の杉山茂雄君も海外に出ると、必ず葉書を送ってくれる。絵葉書が好きな私としては、彼からの葉書をまとめておいて、たまに読み返す事がある。手紙を書いている時は、相手のことを思って書いているので、一枚の葉書の中に、出す人の思いがこもっているような気がする。

今は亡き人の悲願…と言うほどではないが、旅先で葉書や手紙を書くことを教えてくれたのは、野村先生である。

夜は、頂き物の酒を懐に抱いて、酔狂亭で月下独酌。

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めんどくさい国だ。

2017-01-11 13:18:52 | 日記
一月五日(木)晴れ。

朝食は、サバの文化干し、船納豆、出汁をしっかりとった大根の味噌汁。いくら旅で贅沢?をしてもやっぱり家が一番いい。干物に納豆に味噌汁。日本人だなぁー。昨夜は旅の疲れが、心地良い睡眠薬となってぐっすり眠れた。

また韓国が騒いでいる。釜山の領事館前に慰安婦像を設置して、昨年の日韓合意を否定するような行為をしても、死に体の朴政権は何もできない。北の指令で日韓の分断を目的とする勢力の後押しもあるのだろうが、国と国との約束事を平気で反故にしようとする。そういった行為が、国際社会からどのような目で見られるのかと言うことを、全く理解していない。産経の黒田勝弘さんが「慰安婦問題は、対日問題というよりも、反政府運動とする、韓国の国内問題となっている」と分析した。そうであっても、政権が変わるたびに、政権を変えようとするたびに、必ず持ち出されるのが、竹島と、今回の慰安婦問題である。

日本は、心から謝罪しろ。と言うが、一体これまで歴代の総理や、昭和天皇に至るまでどれほどの謝罪を行って来たのか。是非、ウイキペディアの「日本の戦争謝罪発言一覧」を検索してみて下さい。私は、今回の安部総理の決断は、すごくまっとうなものだと思う。個人的には、この時期に韓国に観光に行く人たちの気がしれない。日本人は、一切韓国旅行をしない。という無言の抗議こそ、彼の国に対する一番の薬になると思うのだが。

夜は、スーパーに行くと、冷凍のカツオがあった。まあこの時期仕方がないか。酔狂亭にて、月下独酌。

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沖縄から羽田へ。

2017-01-10 13:28:51 | 日記
一月四日(水)晴れ。沖縄から羽田。

七時に起床。すぐに朝食。ムーンビーチホテルのバイキングは、可もなく不可もない。海を眺めながらテラスで朝食。私たちの部屋は、カーテンを開けると、何の景色も見えない。修学旅行の団体さんが使うような部屋だが、ベッドが二つに畳があって布団が二つ。四人には丁度良い。そうそうトイレも二つあって使い勝手が良い。ロケーションが悪くったって、今の時期、どうせ酔っぱらって寝るだけなので、景色などどうでも良い。

今日のスケジュールは、ホテルを出てから万座毛を見学。ここにも何度も来ている。初めて来たのは、昭和五十七年の七月のことだ。犬塚博英先輩や昨年の春に亡くなられた、当時沖縄の護国神社に奉職していた大野康孝氏などのお世話で、沖縄の祖国復帰十周年を記念して結成された民族派の学生青年有志沖縄戦跡慰霊巡拝団の一員として訪れた。もう三十五年も前のことだ。以来、沖縄に来る度にここにきている。しかし人が多いのには驚いた。ガイドさん曰く、秋の修学旅行シーズンになると、全国の学生に加えて中国人の団体が列をなし、写真どころではないとのこと。

その後、「パイン園」へ。まるで子供だましだが、まあ旅行会社のお土産所、という感じだった。その昔、別の場所のパイン園に行った時、初めてだと言う後輩たちに、「パインが木に生っていて、頭にぶつかるとケガをするので、なるべく帽子をかぶったり、タオルを巻いていた方がいいよ」と言ったら、本気にして、きょろきょろしていたのを見て大笑い。そう言う私も、初めてパインが生っているのを見た時は、へぇー。

次は、古宇利島と言う所に向かう。ガイドブックには「橋と海の絶景」とある。確かに美しい景色だが、この橋を架けるのにどれ程のお金が使われたのだろう。これも沖縄振興の一環かもしれない。多分。

最後は、美ら海水族館へ向かった。ここは初めて。大水槽に泳ぐ、ジンベエザメを見て、感動した。昼は、近くのホテルにてランチ。四時に、撤収して那覇空港に向かうが、バスで約二時間は少々きつかった。空港は、帰省客や観光客で一杯。どこのお店も満員で、やっと座れた。今回の旅は、ガイドさんの気配りがとても良く、感心した。このガイドさんがいて、楽しい旅となったと言っても過言ではない。沖縄に来ると、淋しく思うのは、盟友が、あることで沖縄を離れていることだ。家には、彼が書いて送ってくれた達磨大師の絵があり、毎朝手を合わしている。いつの日か、笑って沖縄で共に飲めることを祈って那覇を後にした。自宅に着いたのは、深夜十二時。旅装を解かぬままにすぐに着替えて布団に入った。今回の旅行をお世話頂いた、カメ&アコちゃんに感謝。

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はての浜は小雨に煙っていた。

2017-01-10 12:53:03 | 日記
一月三日(火)曇り。久米島から那覇へ。

七時に起床。朝食はホテルのバイキング。ツアーなのであまり文句も言えないが、そんなに好き嫌いが激しい方ではないが、ほとんど食べるものが無かった。まあ仕方がないか。午前中は、今回の目玉ツアー(オプション)の、久米島の東にある東洋一の「砂浜だけの島」である「はての浜」へ渡った。しかしながら、生憎の小雨。船から島に降りる時に、海に入らなければならないと言うことで、軽装で行ったのだが、寒くて参った。船でカッパを借りたが、折角、ここまで来て雨か・・・。太陽の下であったならどれほど、美しいのだろうか。かつて行ったサイパン島のマニャガハ島を思い出した。

帰りは、グラスボートに乗って、美しいサンゴや、そこに集まる魚、そしてモズクの養殖棚などを見ながら港に戻った。昼食は、私たちの泊まったホテルの近く、イーフビーチという浜の前にあるホテルにて昼食。ここは元全日空の経営するホテルだったとか。私たちの泊まっているホテルは、JAL系であったが、両方とも経営から撤退したそうだ。目の前の海を見ながらのランチは、中々良かった。昼食後は、久米島空港に行き、那覇へ。

ここでわれわれは、ツアーを離脱して、空港に迎えに来てもらった、元野村先生の秘書の金城薫氏の車で国際通りへ。残念ながら、行きたかった公設市場は五日まで休みとのこと。仕方がないので、新しく出来たと言う国際通りの屋台村に入って昼飲み。子供たちは、国際通りで買い物。五時過ぎに今夜の宿となる恩納村のムーンビーチホテルへ向かう。金城氏とお孫さんとはここで別れた。このホテルに泊まるのは三度目のこと。最初に来たのは、もう二十五年も前だ。懐かしかったが、リニューアルされたのか、古いと言う感じはしなかった。

すぐに夕食。その後ホテルの敷地内にある居酒屋に転戦。がぁーっと飲んで、部屋に戻った。

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