白雲去来

蜷川正大の日々是口実

残雪のこの道明日もゆかむとす

2018-01-27 13:01:03 | 日記
一月二十四日(水)晴れ。

先日の大雪もすっかり、その気配を消したが、陽当たりの悪い路地の隅や、家の壁にまるで身を寄せ合うようにして、ひっそりと残っている。自宅の近所の公園の前の道路に、一日中陽の当たらない道路があり、そこに五メートル程氷の状態となって残っているから危なくて仕方がない。公園の管理者などが気を利かして溶かしてくれないものだろうか。

野村先生の獄中句『銀河蒼茫』の中に、「残雪のこの道明日もゆかむとす」がある。維新の道は、残雪の道のように、歩き難く、厳しいものだ。

事務所の棚を整理していたら亡くなられた毛呂清輝先生が発行していた『新勢力』の「創刊二十周年号」があった。昭和五十年の五月のものだ。その記念号に野村先生の句、二十句が掲載されている。二十の句のうちに『銀河蒼茫』に掲載されていない句が一つあった。「雪となりはるかな銅鑼が夜を深む」である。先生の辞世の句は、「惜別の銅鑼は濃霧の奥で鳴る」。先生にとって、銅鑼の音は、どんな心象風景だったのだろう。

夜は、久しぶりに東京行き。アメ横で大熊雄次氏と待ち合わせた。アメ横も、暮のニュースを見ると、カニやマグロといった海産物のお店が多いように思えるが、大熊氏いわく、「暮になると、スニーカーを打っているお店が、海産物を売る店に早変わりする」とのこと。ナルホド。大熊氏の地元の箕輪にある鮨屋「丸長」にて、共通の友人氏と一献。珍しく一軒のみで解散。いい夜だった。

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雪が、ただの汚れたかたまりになっている。

2018-01-26 10:50:16 | 日記
一月二十三日(火)晴れ。

昨日の雪から一転、良い天気となった。近所の人たちが、雪かきをしている。朝食前に、子供たちと一緒に自宅前の雪をどけた。たかがこの程度の雪を片づけるのにも、一苦労なのに、雪国の人たちは、毎年、雪と格闘しながら生活をしている。横浜などにいると、たまにの雪は、何か神様からのプレゼントのように思うこともあるが、そんなことを雪国の人に言ったら怒られそうだ。

朝食は、大根と鶏肉の煮物。暮に頂いた「茅の舎」の出汁を使ってコトコトと煮た。清風楼の焼売、イワシの丸干し。昼は、カップ麺の天ぷらそば。夜は、友人と、自宅近所の「浜一寿司」にて一献。

夕方には、幹線道路にはすっかりと雪が無くなり、車の通行が可能になっている。これでまた雪が降れば、白い雪の上へまた雪が重なりそれがいつの間に周りの音を遮断するくらいの深さまで達し、山頭火が詠んだ「雪へ雪ふるしずけさにをる」となるのだが。ほとんどの雪が解けて、道路のわきに片づけられ、泥に汚れた雪を見ると、ちょっと可哀そうな気になる。真っ白で、純真無垢なイメージの雪が、捨てられ汚れて、溶けて消えて行く。私たちは、そんなことがあったことも忘れて、当たり前のように、同じ道を歩いてゆく。「雪、雪、雪の一人」も山頭火である。

七時前に愚妻が合流。九時前に解散。帰宅。

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激しき雪

2018-01-26 10:07:23 | 日記
一月二十二日(月)雪。

天気予報では、午後から雪になると言う。それも平地でも積雪の可能性が大と言うこと。我が家は、高台にあるので、雪が積もると全く動けなくなる。車も、数年に一度の雪のためにチェーンやスタッドレスを用意する気にもなれない。こんな時は、籠城を決め込むことが得策と、早々と事務所(事務所も高台にあり雪の日は行けない)に行き、郵便物やメールのチェックをしてから、籠城のための食料品の買い出し。

予報通りに、二時ごろから雪となった。子供の頃、積もるような雪が降ると、なぜか母が、「ニ・二六事件を思い出すネェー」というのが口癖だった。その頃は、二・二六事件がどんな事件なのかは知らなかったが、横浜にたまに降る雪と、母の言う「事件」というのが相俟って、何か妖しいものを連想させた。二・二六事件に関する映画を見たのは、昭和三十七年公開の東映映画の「脱出」だった。青年将校に襲撃された首相官邸から、岡田首相が、文字通り脱出する映画なのだが、主演の高倉健や江原慎二郎の軍人姿がとても良く、ドキドキしながら見たのを良く覚えている。私は、小学校の五年生だった。

夕方頃には、それまでの舞うような雪から、一転、「激しき雪」となった。子供たちや愚妻が帰ることが出来るのか少々不安になり、ラインを入れる。大学も交通の乱れが予想できるのだからもっと早く授業を打ち切れば良いのに、結局、四時過ぎに「帰る」との連絡。上の子供も、家の手前の坂でバスが立ち往生し、歩くハメに。愚妻も同じ。下の子供は、保土ヶ谷駅から自宅まで歩いて帰ってきた。日本の将来を担う子供を教育する大学の教授が、大雪で帰宅困難になることも予想できない何んて、頭は良いのかもしれないが、人間的には、アホであることがうかがい知れる。と言っては失礼だろうか。

皆が揃ってから、当然鍋を囲んだ。かなり激しい勢いで雪が降っている。ふと、「これより、妖雪を払い、ご聖断を仰ぎ、昭和維新を断行する」との決起部隊の青年将校、栗原安秀中尉の声が聞こえたような気がした。

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西部氏の訃報。

2018-01-25 14:37:19 | 日記
一月二十一日(日)晴れ。

保守の論客と知られている西部邁氏死亡のニュースが入った。何でも多摩川に入水したらしい。西部氏とは生前に二度ほどお会いしたことがある。いつ、どこでと言うことは失念してしまったが、亡くなられた正気塾の若島征四郎先生が主催した講演会での直会の席。次は、やはり勉強会で、確か宮崎学さんの主催だったと思う。まあ縁と言うほどでもなく、多分、西部さんの方は私のことなど、覚えていないだろう。読んだ本ですぐに頭に浮かぶのは『国民の道徳』ぐらいか。合掌。

私には、いわゆる「保守」と言う人たちがどんな思想を持っているのか良く分からない。また日本の何を「保守」しようとしているのかもだ。単に左翼嫌いの保守の人たちには国体観や尊皇の志が感じられないし、何をもって日本を思うのか、無教養な私には理解できない。まあ尊皇の志をもって祖国に尽くそうと思う人たちを、単に「保守」などとは呼ばないわな。

別段、毎日こんなことを考えて生きている訳ではない。つつましく、ちよっと恥ずかしく、ちょっとだけ酔って、世間を斜に眺めて生きているので、あまり大きいことは言えない。そんな私の朝食は、もやしのあんかけ炒め、豆腐のソテー、ワタリガニの味噌汁。昼は、子供に作ったチキンライス、夜は、「やきまる」で、焼肉。お供は「黒霧島」。

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食べ物に季節感がなくなった。

2018-01-23 15:23:25 | 日記
一月二十日(土)晴れ。

家族揃っての朝食。千葉産の秋刀魚の干物、アジの干物、白菜のおしんこ、なめこと豆腐の味噌汁。なめこは、小さいのではなく、大きいのを見るとつい買ってしまう。サンマやアジから季節感が失せて久しい。野菜も季節の「露地物」よりもハウス栽培の物が一年中出回っているので、野菜にも季節感がなくなった。その昔は、八百屋さんに、まだ緑色したミカンや、栗が並ぶと、もう秋かと思ったものだが、ハウス栽培や輸入、冷蔵、冷凍の技術が発達してからは、食べたいと思えば、いつでも食べることが出来る。

昼は、下の子供と待ち合わせて、横浜駅西口のヨドバシカメラで買い物ついでに、地下にある「万豚記」とかいう中華屋さんにて「マーボー豆腐定食」。可もなく不可もなし。ヨドバシカメラにて、『燃えよ祖国』の読者プレゼントに使用するDVDと布のケースを購入。その後、「シマチュウ」とかいう量販店でステンレスの組み立て棚を買った。子供の部屋と、事務所のプリンター用にであるが、思っていたよりも二倍ぐらいの値段で、正月早々、痛い出費となった。

夜は、たまには家族で焼肉とでも思ったが、昼間の買い物の時のボディブローが効いているので、家にある「やきまる」という焼き台を使っての焼肉屋気分を味わった。ミスジ、カルビ、ロース・・・。我が家の焼肉の時のコードネームは、02983。オニクヤサンである。お供は「極ゼロ」を一本飲んでから、「黒霧島」へ。極めて小市民的な一日が終わる。

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