白雲去来

蜷川正大の日々是口実

わが顔は酒にくずれつ。

2019-11-17 09:40:46 | 日記
十一月十四日(木)晴れ。

秋晴れの日が続いている。目が覚めて、雨戸を開けると天気が良いだけで、何か良いことがありそうな気がする。そんな朝の食事は、紅鮭、湯豆腐。ちなみに私は、湯豆腐には、出汁に使う昆布と豆腐以外に余計な物を一切入れない。豆腐に余計な味が付くのが嫌だからである。もちろん豆腐は絹。みじん切りにした沢山のネギ、削り節の中に醤油を入れて、湯豆腐のお湯で濃さを調整してから、豆腐を入れて食べる。秋も深まったなぁーと思う瞬間である。

昼は、小さなおにぎり二つ。夜は、おでん、鶏の手羽元の塩麹漬けの後に蒸した。お供は「黒霧島」が切れたので。思い切って「村尾」を開けた。牧水ではないが、白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の酒は しづかに 飲むべかりけり。牧水の歌をもう一つ。わが顔は酒にくずれつ友の顔は神経質にくずれいけり。鏡を見ると、本当に、酒に崩れた老人の顔があって、嫌になる時がある。明日は朝から胃カメラ手の検査がある。よって酒は夜八時までにして、さっさと寝た。

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天下の秋を知る。

2019-11-15 13:25:31 | 日記
十一月十三日(水)曇り。

朝食は、柳カレイの干物、牛筋煮。昼は、おにぎり一個。夜は、お友達と元町「ふじまつ」から関内へ。中国の淮南子に有名な「一葉落ちて天下の秋を知る」がある。「一葉」と言っても何の葉なのか分からないが、近代俳句の世界では「桐の葉」と決まった。大きな桐の葉が落ちると、いよいよ秋だと言う感じが深まることから、「衰亡のきざしをあらわすときや、わずかな前兆から、どんなことが起こるだろうかを予知するときに使われる」(「楠本憲吉歳時記」)

「潯陽江頭に夜客を送れば 楓葉荻花 秋瑟瑟たり」。から始まるのが、白楽天の「琵琶行」である。楓葉荻花(ふうようてきか)と言うのは、カエデの葉とオギの花のこと。カエデは分かるが「オギの花」とはと思って調べてみたら、何とススキとそっくりな花で、素人には見分けがつかないとのこと。「秋瑟瑟(しつしつ)たり」とは、風が寂しく吹くさま。瑟瑟、カエデの葉やオギの花に、秋のもの寂しい風が吹いてくる様子を表現している。

桐も楓も荻も、秋になって色づき葉が落ちるのは、何か自分の人生と照らし合わせて物悲しく映るのは、中国人も日本人も同じ感慨に耽るのだろう。私的には、少ない髪の毛が抜け落ちる方が悲しいのだが。

同じ花でも「桜を見る会」が揺れている。自分たちが政権を取ったならば同じことをやったのだろうに、他人がやることは許せない。セコイというか、ひがみっぽい連中が多いなぁー。
 

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屈辱の日。

2019-11-14 13:08:07 | 日記
十一月十二日(火)晴れ。

昭和二十三年の今日、二年間にわたって行われた極東軍事裁判において東条英機元首相ら七名(松井石根、広田弘毅、土肥原賢二、木村兵太郎、板垣征四郎、武藤章)に絞首刑が言い渡された。そして木枯しの吹きすさぶ十二月二十三日に刑が執行された。霜の夜を思い切ったる門出かな。は武藤章の辞世である。こんな理不尽な裁判はない。この人たちが「戦犯」であるならば、原爆投下を許可したトルーマンも各都市を焼き尽くしたカーチス・ルメイも戦犯として断罪されなければならない。福岡に行った折には、広田弘毅の銅像に手を合わせてみたい。

恩師の野村先生は、自決の際にしたためた檄文の末尾にこう書いている。「いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真の意味が何であったかは、後世の歴史家が明らかにしてくれるであろう」。

朝食は、サバの文化干し。ローソンで買った「日本蕎麦」百円也。まあ値段通りだった。昼はあんころもち一個。夜は、牛筋の煮物、鶏の手羽の「塩麹」蒸し。お供は「黒霧島」。

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パスポート申請。

2019-11-14 12:25:56 | 日記
十一月十一日(月)晴れ。

先日、何気なくパスポートを見たら来月の九日で期限が切れる。早いもので、もう十年が過ぎたのか。パスポートを入れてあるバツクを開けると、旅行用の財布の中に様々な国の紙幣がある。人民元、台湾円、米ドル、タイ、フイリピンのペソ、韓国のウォン。香港ドルが何枚かあったが、もう使えないだろう。そう言えば、色々な国の硬貨も沢山あって缶の中に記念にとってある。子供が小さい頃には、外国の硬貨をお土産に渡すと、珍しいので喜んでくれたが、今は、そんな事では騙されなくなった。

午前中に愚妻と一緒に、区役所に行き戸籍謄本を取ってから山下町の産業貿易センターにあるパスポートの手続き所へ。写真を撮って貰い手続きを済ませた。十日ほどで出来上がるとのことで、手数料は一万六千円。昼食を兼ねて中華街の「安記」へ。車なので酒は飲めないが、モツ皿、焼売をつまんでから「五目粥」を食してから帰宅。

食後とあってか、パソコンの前に座っていたら眠たくなって、椅子に座ったまま一時間程度の午睡。カーテン越しに入ってくる陽射しに起こされた。夜は、酔狂亭にて月下独酌。

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令和の美。

2019-11-13 10:49:26 | 日記
十一月十日(日)晴れ。

今日は、天皇陛下のご即位に伴う「祝賀御列の儀」が行われた。沿道には、約十二万人の人たちが両陛下を祝福した。とても感動的ではあったが、何か芸能人を見るような一般の人たちの反応には、正直言って、素直には喜べなかった。某テレビ局のコメンテイターの男は、「雅子さまはお綺麗でした。ティアラも素敵で」。他に言うことはないのかよ。日本の皇室の何たるかを全く分かっていない、自分の無知を晒してどうするのかと、あ然とした。

そうは思っても、これだけ多くの国民が皇室を敬愛している証拠だし、尊いことだと思うしかない。教育勅語の一節に「世々厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ」と言うくだりがある。勝手な解釈ではあるが、我が国には、その時代、時代の美しさがある。令和の御列の儀に見る一般国民の皇室への接し方もまた「令和の美」かもしれない。我々がどうあがいても「戦前」は戻ってこないのだ。

FBで知ったのだが、私服で奉迎している人が多い中で、同志の人たちが礼装している姿を見て、嬉しくなり、頭が下がった。

午後から、今年の忘年会の会場となるお店に打ち合わせを兼ねて食事に行った。日曜日とあって席に着くまて十五分ほど待たされたが、従業員の接客態度も良く、さすがに老舗は違うと思った次第。食後は、腹こなしのために、横浜港沿いを歩いた。大桟橋、赤レンガ倉庫。目を閉じると、森鷗外や大仏次郎が描いた明治の横浜が浮かんでくる。三時間近くも歩いたのでさすがに疲れた。

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