白雲去来

蜷川正大の日々是口実

国民の祭典に涙した。

2019-11-12 19:04:13 | 日記
十一月九日(土)晴れ。陛下のご即位を祝う国民祭典。

テレビで国民祭典の模様を見る。感動して涙が出たが、陛下の前で安倍総理も「内閣総理大臣・安倍晋三」などと言わないで「臣、晋三」と言って欲しかったなあ。吉田茂は、和二十七年(一九五二)十一月の明仁親王の立太子礼に臨んだ際に、昭和天皇に自ら「臣茂」と称した。これは「時代錯誤」とマスコミに批判されたが、吉田は得意のジョークで「臣は総理大臣の臣だ」とやり返した。安倍さん頼むよぉー。

陛下のお言葉にも感動したが、芦田愛菜ちゃんの言葉も良かったなぁー。さすが、偏差値七十の私立中学に合格しただけもある。また、父親から教えてもらった王貞治(元プロ野球選手)の言葉『努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない』に感銘を受け、自身の座右の銘としていることを明かしている。大したものだなぁー。嵐の歌も良かったが、陛下を友達のように言う詩には、ちょっと抵抗があるが、まあ「君が代」の「君」と思えば、腹もたたないか。寒いのに、ノースリーブでオーケストラの指揮をした菅野ようこさん。いっぺんにファンになった。

天皇弥栄、弥栄、弥栄。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一の酉。

2019-11-12 18:47:29 | 日記
十一月八日(金)晴れ。

今日も秋晴れ。昼が短くなった分、この爽やかな晴れの日が嬉しい。浪人暮らしの身、ただ天気が良いと言うだけで嬉しくなる。そんな時の朝食は、ロースハム、赤インナー、目玉焼きに卵スープ。昼は、小さめのおにぎり二個。夜は、友人と、近くの「浜一寿司」にて一献。

「浜一」で時局を肴に一杯やって、そろそろお開きにしようかと思った時に愚妻と上の子供から連絡があって「お酉さまに行こう」。そうか今日は一の酉の日か。何を買う訳ではないのだが、お酉さまの喧騒に身を置かないと、師走を迎えられないような気がする。いつもはほとんど参拝する人のいない大鳳神社も凄い人の列だ。私が、子供の頃は、この神社の脇に、白衣を着てアコーディオンで軍歌を弾きながら、寄付を募る「傷痍軍人」がいた。今でも、お酉さまと言うと、その風景がセットとなって甦る。

横浜は、秋になれば、中華街に「上海蟹入荷」のポスターが溢れ、いそいそと出かける。そして一の酉が終わる頃には、ボージョレー・ヌーボーが解禁となり、その渋さを味わう。二の酉が終了すれば、横浜も時折、木枯らしに包まれる。そして、大晦日には、港に停泊している船の汽笛で一年が終わる。幾つになっても、この汽笛が好きだ。

お酉さまが凄い人出で、屋台によるとも出来ずに、仕方がなく、自宅近くのお好み焼屋に寄り軽く飲んで帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東の尾花、西の野田岩。

2019-11-11 17:46:15 | 日記
十一月七日(木)晴れ。

さして飲まない日は体調は良いが、寝つきが悪くて困る。ダラダラと六時に起きた。朝食は、ナポリタン、ロースハム、豆腐の味噌汁。昭和のおじさんは、昔ながらのナポリタンは立派にご飯のおかずになるのだ。今なら笑い話のようだが、スパゲティーを炒めずに、茹で上がったものをに味をつける。何て言うことは、私が若い頃には常識の外だった。茹でたものが冷めてもくっつかないようにサラダオイルをまぶして冷蔵庫に入れておく。食べたくなったら、ウインナーやピーマン、玉ねぎを炒めてから、スパゲティーを入れてケチャップで味をつける。これがナポリタンである。スパゲティーをパスタと言うのが一般的になったのはいつの頃からだろうか。まっどうでも良い話ですけれど。

夕方、上のから日比谷線に乗り換えて南千住へ向かった。三本菅啓二先生のご厚意で、ミシュラン一つ星の鰻の名店の「尾花」へご招待いただいた。都内では「東の尾花、西の野田岩」とも並び称される老舗である。同行は、大行社の丸川、菅原の両氏。私はこのお店を訪れるのは二度目である。初めて来たときはお座敷だったが、久しぶりに来てみたらテーブルと椅子に代わっていた。このお店は、予約を受け付けないので昼時や夕食時に行くと、二、三十人が並んでいるので、その時間をはずして行かなければならない。

うな重の前に、うまき、うざく、白焼きでを肴に燗酒。こんなに品の良い「白焼き」はめったにない。最後に「うな重」。スペシャルサンクスな夜でした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牧水の酒。

2019-11-11 17:02:01 | 日記
十一月六日(水)晴れ。

「へえ、毎晩の晩酌に三本も空けるのですか、そりゃ大した酒豪ですぞ!」私たちが結婚して間もなくの頃、私たちには未知だった或人からこんな事をつぶやかれた事があった。それは私か二十五、牧水が二十八歳の時の或日であった。それを聞いた時私は、たった三本位の酒を飲むのがどうして酒豪などと云われるのか、さっぱり解らなかったのであるが、それが追々に解るようになって行くにつれ、次第に並々ならぬ覚悟を強いられる立場に在る自分を知る事になって行ったのである。(『酒と作家たち』浦西和彦編・中公文庫)
 
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり。などの酒の歌で有名な若山牧水は、アルコール依存症で度々病院の世話になっていた。嵐山光三郎センセイの『文人悪妻』(新潮文庫)によると、死ぬ三週間前の九州めぐりの旅では、五十一日間の旅で、一石三斗飲んだと述懐し、朝起きて四合、昼に五合、夜は一升以上という飲酒が連日続いたとある。牧水はつらい青春時代を過ごし、失恋し、貧乏に苦しみ、酒を覚えた。牧水にとって酒を飲むことは、生きながらにして自分を葬ることだった。と嵐山センセイは書いている。私は、健康と日々の楽しみのために飲んでいる。ここが天才と凡人の差かもしれない。

凡人の一日は、朝は秋刀魚の塩焼き大根おろし添え、明太子、シジミの味噌汁。昼は、シチュー。夜は、ピーマンとタケノコと豚肉炒め、鶏手羽の塩麹漬けの蒸し物。お供は「黒霧島」。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗い港のブルース。

2019-11-09 13:05:48 | 日記
十一月五日(火)晴れ。

今日も秋晴れの良い天気である。朝食は、紅鮭、納豆、大根の味噌汁。納豆と言えば、水戸の「舟納豆」が私は一番だが、最近取り寄せていない。そろそろ食べたくなった。昼は、昔ながらのナポリタン。夜は、シチュー、ロースハム。「黒霧島」には合わないが、たまには良いかも。

横浜の著名な写真家である森日出夫先生に、おねだりして写真を頂いた。九月の四日から約二週間、横浜の高島屋にて森先生の写真展が開催された。横浜の人と街に拘り「記憶を記録する」その写真には見る人を魅了する。横浜駅の通路や様々な場所で森先生の写真に遭遇する。高島屋の写真展に行った折に、一枚の写真に釘付けとなった。横浜港の夕暮れの写真である。明治時代に出来た通称「旧赤灯台」が印象的で、ツインマンションの上の夕日、正に横浜港の今昔を象徴しているようだ。

昇る朝日と沈みゆく夕日とは、当然ながら同じ速さであるに違いない。しかし六十の半ばを過ぎて「晩年」と言う言葉を実感するとき、夕日の方が早く沈むように思えてならない。文字通りの落日である。

様々な場所で夕日を見た。シチリア島の四月九日広場から見たイオニア海に沈む夕日、ソレント、パリ、モロッコの砂漠の夕日、そしてフイリピンはルバング島の彼方に沈みゆく夕日・・・。夕日が幾つもある訳もないことを分かっていながら、ふとこれが皆、同じ夕日なのだろうかと思うことがある。

森先生が額装してくれたその写真を見ていて、すぐに、この景色に合う曲を思いついた。トランペットが奏でる『暗い港のブルース』である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする