白雲去来

蜷川正大の日々是口実

市長選挙。

2021-08-25 13:34:11 | 日記

8月22日(日)晴れ。

朝食後に家族そろって市長選挙の投票へ行く。投票所は、我が家から歩いて10分ほどの小学校。二人の子供が出た学校でもある。入り口で手を消毒してから、投票用紙を貰う。家族には、「自分が良いと思う人に入れなさい」と言ってある。自宅に戻り、のんびりと読書。夕方、先輩からのメールで、「開票を待たずとも、〇〇候補の当確が出る」との情報。下馬評でも、その候補が有利と言われていたが、そんなに圧勝するのかと、ちょっと驚いた。

林元市長、小此木氏、松沢氏皆保守系の人たちだ。当然ながら票が割れる。また選挙がIRの是非からコロナ対策へと移行した感があり、選挙の焦点がぼけた。菅総理の応援する小此木氏が敗れたならば、秋の衆議院選挙に影響するだろうなぁー。と思いつつ、夜は、ナスと豚肉炒め、レタスのナムル風サラダ、マグロの刺身を肴に「伊佐美」で家族を相手に飲む。気が付けば、一人去り、また一人。結局は、ダラダラと一人酒。退廃という衣に包まれて、気が付けば「伊佐美」が空になっていた。


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コロナは人を疎遠にする。

2021-08-25 13:09:41 | 日記

8月21日(土)晴れ。

「コロナは人との関係を疎遠にする」と何度かブログに書いた。私だけではないと思うが、コロナ前までは、特別に用事がなくとも親しい人たちと、飲み会や食事会をお互いが負担にならない程度に行ってきた。しかし、コロナ禍の今では、特別な用事がない限り、誘いにくいし「ちょっとお茶でも」とも言いずらい。まだその程度ならコロナ禍で仕方がないと思うが、困るのは、法事や葬儀への出席である。こちらが参列をしたいと思っても、お寺や葬儀場が「密」を敬遠するし、当事者も友人、知人に案内することを、良い意味でためらう。まあ、そんなことを気にしない人もいるのだろうが、気にする人がほとんどだ。

もちろん私も気にする方で、私以外の家族がワクチンの接種が出来ていない時に、なるべく不特定多数の人との接触は避けたいと思っている。このままコロナの感染の広がりが収まらなかったならば10月の群青忌も考えなくてはならなくなるだろう。大変な時代になったものだ。

昭和40年の後半、「核拡散防止条約」の反対運動からのお付き合いのある池袋在住の同志の奥様が亡くなられたことを知った。本来ならば、多くの同志、友人が参列したに違いあるまいが、「家族葬にて送りました。コロナ禍ゆえ、色々不便でした。別れの言葉を交わす時間が足りませんでした」とメールを頂いた。歳のせいか涙腺が緩んだ。合掌。


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アナログな時代の頃。

2021-08-24 16:32:58 | 日記

8月20日(金)晴れ。

昨日の、ポスターの話の続き。昭和の時代の民族派運動の主流は、街宣車による街頭活動とポスター戦が主流だった。当時は、主要駅等での停止街宣は比較的自由に行うことができた。最も、私がこの運動に参加した昭和46、7年頃は街宣車は神奈川県に大磯の大日本殉皇会の一台しかなかったと記憶している。月に一度、大磯から平塚までの各駅での停止街宣や走りながらの「流し街宣」(尊皇攘夷街頭宣伝)に精を出した。覚えているのは、小早川貞夫先生が、「この軟弱な時代に、軍歌を流して聞かせることで、世の中に喝を入れるんだ」。と言ったことをよく覚えている。当時は、珍しかったのか街宣車に向かって手を振る人がかなりいた。

街宣車は現在でも活発だが、中々、主要駅での停止街宣が交通事情や、道路使用などの問題で限られてきた。更に、ポスター貼りは、昔は現行犯でなければ逮捕されなかったが、現在では、貼ったと思われる団体に「被疑者不詳」で家宅捜査が入ったり、貼った個人が特定されると、20万、30万(各県によって違うらしい)などという法外な罰金を科せられる。また電信柱などは、ポスター除けの特殊なゴムが巻いてあり、貼れなくなった。従って、都内はもとより各地に民族派の街頭ポスターがほとんど見られなくなった。もちろん左翼とて同じだ。

今でもたまに、まっさらな電信柱を見ると、「ポスターを貼りたい」という思いが脳裏をよぎる。ポスターが、SNSやユーチューブ、フェイスブック、ブログ等に代わり、民族派も文明の利器を利用するようになった。しかしアナログな時代も懐かしく思える今日この頃でもある。

夜は、マグロの刺身、「王将」の水餃子、肉じゃが。お供は「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。

※写真は、昭和48年頃、私が主宰していた横浜青年政治研究会のポスター。当時、私は「一誠」と名乗っていた。


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貴重なポスターの保存。

2021-08-24 15:25:25 | 日記

8月19日(木)晴れ。

コロナにアフガン情勢に横浜市長選挙。全く繋がりはないけれど、当然ながらそれぞれ気になることばかり。といって浪人風情の私はただの傍観者でしかない。私以外の家族がやっと来週にワクチンの接種の予定が入った。二回目は9月とのことだが、今の所コロナに対抗するのはワクチンの接種以外にない。

随分前に、古い同志の永尾隆美さんんから貴重なポスターのスクラップブックをご恵送頂いた。保存状態も良く貴重な運動の資料としてデーター化するつもりでいた。ポスターりサイズは「A3」である。以前、A3まで取り込むことの出来るスキャナーを買って事務所に置いておいたが、しばらく使っていなかったこともあって調子が悪い、メーカーに問い合わせをしたところ、新しいのを買った方が良いかもしれない。とのこと。この時期に頭が痛いが、何とか導入して、弊社の「民族派情報」という誰でもがアクセスできるサイトを作って、研究者のために公開したいと思っている。

ポスターといえば、やはり以前、大日本愛国党の舟川孝さんから愛国党のポスターをまとめた写真データーを頂いた。愛国党のポスターはそのまま日本の戦後史を象徴している。植木等が主演した映画「無責任シリーズ」に、植木がガールフレンドと丸の内を歩くシーンの中に愛国党のポスターが映っていたこともある。東京のガード下に愛国党のポスターがあると、何の説明がなくても、それはそのまま「昭和の下町」のシーンであることがわかる。愛国党のポスターの写真集を作ってみたいと思うこともある。

切るほどの髪の毛もないが、一応たしなみとして久しぶりに床屋へ。その後事務所にて郵便物の確認。夜は、もずく天、親子丼の頭、キャベツと挽肉炒め。お供は「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。


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維新運動の資料館の実現なるか。

2021-08-22 17:43:36 | 日記

8月18日(水)曇りのち雨。

若い頃に、民族派関係の本や機関誌・紙、先人の書、様々な事件の資料などを集めた「資料館」を作ろうと思ったことがあった。「大宅文庫」の民族派版である。随分と本や資料を集めたが、自分が生きることに追われ、事務所を借りる余裕のない時代が長いこと続いた。野村先生関係の資料を保存、保管するのが精一杯で、仕方なく、保存しておいた他団体の機関誌や多くの資料を泣く泣く廃棄した。

先輩や同志の方が亡くなると、その人たちが持っていた本や資料は、民族派運動を引き継ぐ遺族のない家にとっては不用のものとなる。随分前のことであるが、川崎の古書店に行った折に、野村先生の本を見つけた。頁を開いたら、先生の揮毫があった。最近亡くなられた方に贈ったものだ。かなり名の通った方だが、運動を継ぐ人のいない家庭では、蔵書は場所をとるし、重いし、始末に困る。恐らく、業者に頼んでまとめて引き取ってもらったのに違いない。そういった本や資料を引き受けて、後世に残そうと、志だけはあったのだが、何といっても浪人暮らしで先立つものがない。この歳で実現出来ていないものが、この先、出来るわけがない。

そう思っていたところ、岐阜の花房東洋先輩が、有志らと「一般財団法人・昭和維新顕彰財団」というものを立ち上げ、来年には資料館が完成予定と聞く。私も役員の末席を汚しているので、どういう形になるのか、まだ詳細は分からないが、野村先生に関する資料をすべて寄付させて頂こうと思っている。

一日自宅にいた。久しぶりに中村武彦先生の『尊皇攘夷』を読む。夜は、頂き物の「伊佐美」を独酌。


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