白雲去来

蜷川正大の日々是口実

おはぎの思い出。

2022-09-27 13:44:32 | 日記

9月23日(金)曇り。秋分の日。

のんびりと起きて、昼食を兼ねた遅い朝食は、紅ショウガチャーハン、小鉢であんかけうどん。夜は、愚妻とリニューアルオープンした「マルエツ」にて、半額と言うことで、よさげな牛肉を買って「やき丸」を使って家族で焼肉。お仏壇に、母が好きだった「おはぎ」を供えて手を合わせた。

子供の頃、秋のお彼岸には、母が「おはぎ」を作ってくれた。あずき、黄な粉、ゴマの三種類。私はゴマのおはぎが好きで、出来上がるのが待ちきれずに、つまみ食いをしては叱られた。お仏壇に供えられた三種類のおはぎ。母は、事あるごとにお仏壇に手を合わせていたが、当時は、そのお仏壇の位牌が何であるかも理解していなかった。その位牌が母の両親、すなわち私の祖父と祖母、そしてご先祖様であることを知ったのは、中学生ぐらいの時だった。ちなみに私は、祖父と祖母の顔を知らない。

生前、「母が田舎のお墓が気になるので、一度行ってみて」。と言われ、30年ほど前に愚妻と二人で横浜から車でご先祖様のお墓のある、富山県は滑川市にある「浜の御坊」こと称永寺へ行った。道中小雨が降っていて、ふと山頭火の「雨の降るふるさとは裸足で歩く」という句を思い出した。お寺に来たのは、確か私が小学生の低学年の頃以来。お寺の入り口に「蜷川氏由来」という碑が建っており、滑川には「蜷川」という名のついた小学校や苗字の人が多いことを知った。やはり子供の頃に行った母の妹の住む家を探して訪ねた。その家から出てきた叔母は、母と瓜二つで驚いたことを思い出す。今、母は、野村先生のお墓のすぐそばに眠っている。

 


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野村先生の絶句。

2022-09-25 11:58:28 | 日記

9月22日(木)曇。

朝食は、五島うどんにナスと人参の天ぷら乗せ。昼は、「のり弁」に豚汁。夜は、エビチリ、豚肉とキャベツのみそ炒め、冷食の餃子。まるで町中華じゃん。お供は「黒霧島」。

資料を整理していたら、野村先生との最後の旅となった、モロッコでの資料が出てきた。飛行機のチケット、ホテルやレストランの領収書やメモ書き。その中に旅の最後にカサブランカのとある海岸で宮嶋茂樹さんの写真撮影の後に、詠んだ俳句を書いたメモが出てきた。

モロッコの落日を見て夏終わる

モロッコの波轟いていわし雲

モロッコの波涛激しき晩夏光

マドリッドから、ロイヤル・エア・モロッコ航空に乗り、カサブランカのムハンマド五世国際空港に着いたのは、平成5年8月の11日の午後の事だった。マドリッドでの緑豊かな景色を見慣れた私には、着陸直前に機内から眺めた、赤茶けた大地の広がるモロッコという国が、あらためてアフリカの一部であることを再認識した。私達は、まず空港から車で一時間ほど走って、カサブランカに次ぐモロッコの最大商業都市であるラバトを訪れた。モロッコと言えばカサブランカが有名であるが、首都はこのラバトである。大西洋に面したこの街は、ここがアフリカであることを忘れさせてくれる。海岸沿いのレストランで遅い昼食をとった。窓から外を見れば、何処の国でもあるような海水浴を楽しむ人達がいて、テラスに出てみれば波に戯れる子供達の嬌声が聞こえた。

食後、先生と不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹カメラマンについて街を歩いた。さすがに此処まで来ると見慣れた景色など一つもなく、目に入るものの全てが珍しく新鮮に感じる。(拙著、「回想は逆光の中にあり」)より。※ラバトのレストランにて。


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歯にしみとほる秋の夜の酒。

2022-09-23 16:43:47 | 日記

9月21日(木)曇り。

なんとなく朝起きられずに、ヨタヨタと起きたのは10時を過ぎていた。労働に勤しんでいるカタギの衆とお天道様に申し訳ない。スマン、スマンのオスマントルコである。昼食を兼ねた朝食は、先日、「菜香」のメニューにあった「紅しょうがのチャーハン」を見よう見まねで作ってみた。普通のチャーハンに紅ショウガの千切りをさらに細かく切ってチャーハンに入れただけのものだが、うまいじゃん。もう一品は、冷食の餃子。おうおう、ちょっとした町中華じゃん。

夜は、頂き物の「手延べ五島うどん」をセットで付いていた「あごだしスープ」で食べた。急いで、ちくわのてんぷらと 、小エビの天プラを作って、即席の天ぷらうどん。うどん好きとしては、この「五島うどん」は、無くなったらお取り寄せするつもり。もう一品は、レンチンした即席の「焼きナス」、紅ショウガのお好み焼き。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

毎日、毎日つまらんニュースばかりだ。唯一、明るくなるのはエンジェルスの大谷のホームランと勝利投手のニュース。それと、上原光紀さん、酒井美帆さんのニュースを読む姿を見る時か。牧水の白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり。さあ飲むか。

 


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盟友の命日、朝顔忌。

2022-09-21 17:02:46 | 日記

9月20日(火)曇り後雨。朝顔忌。

今日は、盟友だった折本満さんの御命日。今日で満六年、七回忌となる。季節外れだが勝手に朝顔忌と名付けている。何度か書いたことがあるが、忘れ難いのでまたアップしてみる。

折本さんが、今から六年前の九月にすい臓癌で亡くなられた。六十四歳だった。折本さんが、すい臓がんを患って入院手術した折に幾度か彼を見舞い、退院した時は、友人らと「激励会」を行い、何とか元気な体に戻ってほしいと願ったが、薬石の効なく、亡くなった。奥さんから、「余命二三ヶ月」ということを聞いた時は、ショックだった。最後に大熊雄次氏と一緒に、自宅に彼を見舞ったのは、亡くなられる一月ほど前の八月四日のこと。すっかり痩せてしまい、一回りも小さくなった姿を見て、不覚にも落涙しそうになった。

折本さんの寝ているベッドから見えるベランダに、大熊氏が送った朝顔の鉢植えが置いてあった。奥さんが、折本が、毎朝目を覚ますと、「ああ今日は沢山咲いている。昨日は、一つだけだった」と、いつも楽しみに見ています。と話をした時に、彼の手を握って、声を上げて泣きたかった。このお見舞いから一月余りが過ぎた九月の二十日の正午過ぎに、折本さんの奥さんより電話が入り、午前中に折本さんが家族に見守られながら、眠るように息を引き取ったと、連絡を頂いた。折本さんは、亡くなられた日の朝も朝顔を見たのだろうか・・・。

野村先生の『銀河蒼茫』から三句。

競ひ咲くどの朝顔も機嫌よし

朝顔や 母への思慕は人にはいはず

われに憤怒 あれど涼し紺朝顔

 


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事務所の片づけ。

2022-09-21 16:37:38 | 日記

9月19日(月)雨。敬老の日。台風が接近中。

朝起きて、おーいと声を掛けようと思ってやめた。そうか家には私だけか。食事を作るのが面倒なので、ホカ弁へ。「特のりタル弁」と「豚汁」。午後に、夜に帰ってくるはずの愚妻と上の子からラインが入り、「バスに乗った。もうすぐ家に着きます」。聞けば、新幹線が不通になる前にチケットを変更したとのこと。大正解である。横浜も時折、強い雨と風が吹く。

一時過ぎに、二人が帰宅。お土産は、好きなキュウリの奈良漬けと「関西限定」の「東京ばな奈ミニオン」。笑われるかもしれないが、トトロとミニオンが好きだ。置いておく場所があれば、デーンと二つのぬいぐるみを置いてみたい。なぜか癒される。あっ「猫バス」のオルゴールを持っていたが、子供に取られたままだ。

午後、志村馨、松本佳展の両君と待ち合わせて事務所へ。片づけを手伝ってもらった。本や資料を入れておいた山のような空の段ボール、捨てがたかったが思い切って処分した様々な雑誌。松本君が持ってきてくれた台車で何度往復しただろうか。二人とも大汗をかいていた。また完全に片付いたわけではないが、とりあえず足の踏み場が出来た。感謝しかない。二人と別れてから、夜の肴の買い出し。カツオのたたき、ちゃんぽん麺、ナスと豚肉の炒め物。お供は、「黒霧島」。家族で安着祝い。


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