9月23日(金)曇り。秋分の日。
のんびりと起きて、昼食を兼ねた遅い朝食は、紅ショウガチャーハン、小鉢であんかけうどん。夜は、愚妻とリニューアルオープンした「マルエツ」にて、半額と言うことで、よさげな牛肉を買って「やき丸」を使って家族で焼肉。お仏壇に、母が好きだった「おはぎ」を供えて手を合わせた。
子供の頃、秋のお彼岸には、母が「おはぎ」を作ってくれた。あずき、黄な粉、ゴマの三種類。私はゴマのおはぎが好きで、出来上がるのが待ちきれずに、つまみ食いをしては叱られた。お仏壇に供えられた三種類のおはぎ。母は、事あるごとにお仏壇に手を合わせていたが、当時は、そのお仏壇の位牌が何であるかも理解していなかった。その位牌が母の両親、すなわち私の祖父と祖母、そしてご先祖様であることを知ったのは、中学生ぐらいの時だった。ちなみに私は、祖父と祖母の顔を知らない。
生前、「母が田舎のお墓が気になるので、一度行ってみて」。と言われ、30年ほど前に愚妻と二人で横浜から車でご先祖様のお墓のある、富山県は滑川市にある「浜の御坊」こと称永寺へ行った。道中小雨が降っていて、ふと山頭火の「雨の降るふるさとは裸足で歩く」という句を思い出した。お寺に来たのは、確か私が小学生の低学年の頃以来。お寺の入り口に「蜷川氏由来」という碑が建っており、滑川には「蜷川」という名のついた小学校や苗字の人が多いことを知った。やはり子供の頃に行った母の妹の住む家を探して訪ねた。その家から出てきた叔母は、母と瓜二つで驚いたことを思い出す。今、母は、野村先生のお墓のすぐそばに眠っている。