白雲去来

蜷川正大の日々是口実

固定電話はほぼセールス。

2022-10-18 18:25:06 | 日記

10月13日(木)晴れ。

朝食は、上の子供が好きな「きくらげ」をたっぷり使った中華丼、モズクの味噌汁。昼は、京急井土ヶ谷にて友人とお茶の後に、近くの蕎麦屋で天丼。夜は、少し寒かったので、うどんをメインにした鍋、キャベツのコールスロー、ナスのレンチン焼き、お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

家の固定電話にかかってくるのは、ほとんどがセールスの電話である。着信を見て0120で始まるものは無視して出ない。始末が悪いのは090や080でかかって来るもの。友人、知人であることはまずない。どこで知ったのか、私の携帯にもまれに、セールスの電話が入ることがある。「電話料金が安くなります」「金融商品の勧め」から「屋根の工事」、「壁の塗り替え」、庭もないのに「庭木の処理」から、「畳の張替え」。

パソコンには、持ってもないカードの会社から「本人かどうか分からない使用がありますので連絡ください」とか「国税庁です」、「〇〇が当たりました」など、ほとんど詐欺(多分)のようなものばかり。ダイレクトメールは、年末に向かって「蟹」関係が多くなった。買った記憶もないのに「上得意様へ」は笑わしてくれた。蟹と言えば、先日札幌に行った折に土産物屋を覗いたが、とても庶民の口に入る値段ではなかった。健康食品のメールやダイレクト・メールも多い。一時、飲んだ後に良いというので「〇〇習慣」とやらを一年間ぐらい取ったことがあった。しかし、「効いた感」が全くないのだ。それで止めた。ゴマだとか、サメの肝油、すっぽんにお酢、全部飲んだら100歳ぐらいまで生きられるのか。誰か挑戦してほしい。

ちなみに私は「タピポ」という健康茶を毎日、2リットルほど、10年ぐらい愛飲しています。この歳で、ほぼ毎日、酒が飲めるのは、盟友が送ってくれるこのお茶のおかげと思っています。


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時雨忌。

2022-10-14 15:59:11 | 日記

10月12日(水)曇り。芭蕉忌(時雨忌)

芭蕉は元禄七年(1694)の今日没した。享年51歳。絶句は有名な「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。命日は「時雨忌」と名付けられている。時雨の多い季節であること、また芭蕉が時雨を好んで句作に用いたことにちなむという。好きな芭蕉の「時雨」の句は、「笠もなき われを時雨るるか こは何と」。時雨、秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨。

野村先生の句集『銀河蒼茫』の「秋の句」に、「拝啓と書いてしばらく聴く時雨」がある。「時雨」は様々の俳人の俳句に引用されているが、私が好きなのは、山頭火の「うしろすがたのしぐれていくか」。この句は旅を続ける自分自身が、降ったり止んだりする小雨の中を寂しげにとトボトボ歩く姿を詠んでいる。と解説にあった。

芭蕉のお墓は、滋賀県大津市の義仲寺にあるという。野村先生の『銀河蒼茫』の「秋」の「俳句日記」には、その義仲寺について少し触れている。そのお寺の住職でもあり俳人の斉藤石鼎氏の句集が『無韻と三上卓』。その出版の打ち合わせのために新勢力社の毛呂清輝先生が寺を訪ねたことや、お寺の復興に三浦義一先生や保田與重郎先生らがご尽力したこと、そして小林一茶の句に「義仲寺へ急ぎ候初しぐれ」という句があり、先生は「私も晴れて出獄の暁には、是非一度『急ぎ候初しぐれ』と洒落て見たいものだ」。とある。先生は、その後、義仲寺を訪ねたであろうか。

朝食は、ナスと豚肉の炒め物、筋子、モズクの味噌汁。昼は抜いた。夜は、カツオの刺身、クリームコロッケ、キャベツとカニカマのコールスロー。お供は「佐藤の黒」。酔狂亭にて独酌。

  


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「乗り鉄」ではないが、旅の本が好き。

2022-10-13 18:11:18 | 日記

10月11日(火)晴れ。

朝食は、煮込みハンバーグ、寿雀卵のTKG、ナスの味噌汁。昼は、ソースチャーハン、朝の残りのナスの味噌汁。夜は、手羽餃子、手羽蒸し、キュウリのナムル、お供は「佐藤の黒」。酔狂亭にて独酌。

産経新聞に連載されている乾正人さんの「令和阿房列車で行こう」を楽しく読んでいる。「阿房列車」の元祖は内田百閒先生の紀行文シリーズで、随分前に読んだことがあった。確か阿川弘之先生もいわゆる「乗り鉄」で、『南蛮阿房列車』という著書がある。NHKの六角精児さんの「呑み鉄本線日本旅」も好きな番組で録画してはいつも見ている。こう書くと私も「乗り鉄」と思われるかもしれないが、旅の本、旅の番組が好きなだけで、鉄道そのものには全く興味がない。飛行機か電車かと聞かれたら、電車と答えるが、さすがに北海道や九州まで電車で行く暇と時間はない。

人生の中で一番電車で長旅をしたのは、今から35年も前のこと。上野から、仙台経由で青森へ、青函トンネルが開通前だったので、青森から青函連絡船の「摩周丸」に乗って函館。そこから「北斗」という電車で札幌。札幌から釧路まで行き、釧網線に乗り換えて網走まで、上野を発って思い出したくない一日半の旅だった。次は、家族で行った小樽から札幌を経由して函館へ。一泊して函館から弘前で乗り換えて愚妻の里の深浦まで、というのが2番目に長い電車の旅。3番目は、その深浦から横浜。正直言って飽きた。電車も三時間ぐらいが私にとっては我慢の限度である。


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スポーツの日。何だかなぁー。

2022-10-12 13:56:55 | 日記

10月10日(月)晴れ。スポーツの日だって。

朝食は、紅鮭、伊勢原の寿雀卵でTKG、ほうれん草の味噌汁。昼は抜いた。夜は、機関誌の完成祝いで「やきまる」をつかって焼肉、レタスのナムル、ほうれん草のおしたし、シイタケ焼。お供は「佐藤の黒」。酔狂亭にて独酌。

午後三時、機関誌『燃えよ祖国』を発送。ホッとする。現在279号。300号までは何とか頑張ろうと思っている。暇を見て機関誌のバックナンバーの整理をしている。各2部を残して後は廃棄するつもり。勿体ないが仕方がない。

昭和三十九年の今日、東京でオリンピックが開催された。私は中学の二年生で陸上部に所属していた。努力すれば、いつかはあの大観衆の中で走ることが出来ると信じていた。その時の、国立競技場の上に広がっていた澄んだ秋晴れの空を今も思い出すことが出来る。聖火の最終ランナーが聖火台の横に立って聖火を高く掲げた時の息づかい、競技場に響くファンファーレ。源田サーカスと言われた自衛隊のジェット機が空に描いた五つの輪。整然と行進する選手団。生まれて初めて日本人であることを誇らしく思った。

このような感動を懐かしむのは、恐らく六十過ぎの人に違いあるまい。体育の日は、たまたま今日になったが、体育の日は「十月の第二月曜日」となった。アジアで初の、そしてあの終戦からわずか十九年をして、このような大会を開けるまでになった当時の人たちの努力に敬意を表し、小中学校の運動会は、この日にすべきだと思う。バカな文科省の小役人が、二学期制にしたために、私の子供が通っている学校では、運動会は春に行なわれる。このように、日本の伝統と文化が少しづつ壊されて行く。きっとそういう意図を持った人間が、画策しているに違いあるまい。※中学二年生の私。後ろは学校のプール。一学年上で水泳部のイノセN子さんに淡い思いを抱いていた。


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まためぐる秋のさみしさ  天の濃さ>

2022-10-12 13:33:44 | 日記

10月9日(日)曇。

朝食は、最近お気に入りの紅ショウガチャーハン、ウエイパーを使ったほうれん草のスープ。自宅のすぐ近くに出来たカトパンスーパー、いやロピアで細かくぶつ切りにした紅ショウガを売っていたので、さっそく買ってチャーハンに使った。家族にも評判が良かった。昼は抜いた。夜は、自宅近くの魚屋で買ったマグロの刺身、エビチリ、冷食の餃子。円安は魚屋までにも影響しているのか、マグロが高くなった。色々な物が値上がりするし、便乗値上げもあるんじゃないの。と勘ぐってしまう。

野村先生のお墓の清掃に行っていた松本佳展君や義勇軍の中西さん、中山マスターの三人に事務所に寄ってもらい16日の墓前祭の折に配布予定の先生の写真集を運んでもらった。ニュースを見たら東名の町田ICの近くで車両火災があり、大渋滞で、お墓に行くのに3時間近くもかかったとのこと。ご苦労様でした。

そのまま事務所にて機関誌の編集。明日には発送できそうだ。群青忌・墓前祭まで一週間となった。先生の句ではないが、まためぐる秋のさみしさ  天の濃さ。を実感している。


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