白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「台湾有事」が近いと米海軍高官が予測。

2022-10-25 13:53:09 | 日記

10月18日(火)曇り。

大したことをした訳でもないのに、疲れが取れない。日頃の運動不足も原因の一つかもしれない。産経新聞にアメリカの海軍大将で作戦部長のマイケル・ギルディという人が、「中国による台湾侵攻が今年中か来年中にも起きる可能性を排除できないとの見方を示した」という記事が出ていた。その根拠としてギルディ氏は「過去20年で分かったことは、中国は約束したことを全て予告した時期よりも早く実行してきたことだ」。私を含めた日本人のほとんどが、このギルディ氏の「予測」を「まさか」と思うに違いあるまい。

しかし、それでも多くの専門家は、「近い将来中国の台湾侵攻は必ず起こる」と予測している。その近い将来が、ギルディ氏の言うように「今年中か来年中か」は、中国の指導者次第である。もしそういった事態になれば、米軍と共に日本の自衛隊も何らかの行動をせざるを得ないだろう。まあ私のような古希を過ぎた人間には、もしそれが現実になったとしても、生きることに執着する気持ちはないが、私の子供たちや若い人たちにとっては、それこそ人生を左右する出来事になる可能性が高い。

どうしたらよいのか。政治家が危機意識をもって「台湾有事」に今から対処する以外にない。憲法9条を金科玉条のごとく「平和憲法」だと信じている政治家や、その信奉者に目を覚ましてもらう方法はないのか。「話し合い」で戦争が回避されるのならば、ロシアに飛んで行ってウクライナとの戦を終わらせて貰いたいものだ。


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朝食の会のこと。

2022-10-22 17:22:40 | 日記

10月17日(月)雨のち曇。

例年ならば、群青忌・墓前祭の翌日は、横浜に泊まった社友と中華街の「安記」で朝食の会を催すのだが、今回は群青忌の開催が日曜日となり、今日が平日ということもあり、今年は開催しなかった。群青忌が終わると、大げさではなく疲れがたまって、一週間ぐらい何もする気が起こらず、ぐたっーとなってしまう。やらなければいけないことが沢山あるのだが、情けないことに体が言うことを聞かない。起きて朝食の後に、パソコンの前に座って、メールをチェックしたり、フェイスブックを見たり・・・。またウツラ、ウツラして。まるで痴呆老人みたいだ。

フェイスブックに「10年前の今日」とか言って古い投稿がアップされる。それが、群青忌翌日の「朝食の会」の写真。サリー姐さんや岐阜の細川先生、全国の社友。長野県の伊藤明夫さんは今年亡くなられた。考えてみれば、こういった友人、社友に支えられて今日がある。感謝しなければ。※写真は10年前の朝食会。「安記」の前で、前列右端が伊藤さん。


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野村先生の29年目の墓前祭。

2022-10-22 16:52:20 | 日記

10月16日(日)晴れ。野村先生追悼29年祭。

朝6時起床。つい飲んでしまった昨夜が悔やまれる。シャワーを浴びて着替えをして7時に自宅を出た。浄発願時に集合は9時だが、もし東名が事故で渋滞でもしていたら困るので、早めに出発した。幸いに東名は渋滞がなく、海老名のSAには8時前に着。朝食を取ろうと思ったら、大熊、小川、松本の諸氏とバッタリ。食後、お寺に向かう。

『じゃあな、行ってくるからな』―これが先生の私への最後の言葉となった。時に平成五年十月二十日午前十一時四十五分。作務衣の上にグレーの和装用コートをはおり、笑みさえ浮かべて、シンポジュウムの会場から去って行った先生の後ろ姿と、あの声を忘れることができない。それから約一時間後、先生は朝日新聞社東京本社内で壮烈なる自決を遂げられた。早いもので、この日から29年の歳月が流れた。

浄発願時には全国から120余名の方々が訪れてくれた。実行委員の一人として衷心より厚く御礼を申し上げます。2時からは横浜に戻り、中華街で直会。参加は104名。来年は30年祭となります。ありがとうございました。

 


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社友との前夜祭。

2022-10-20 17:52:00 | 日記

10月15日(土)曇り。

のんびりと起きて、遅い朝食は、お粥に大好きな清風楼の焼売。昼は抜いた。夜は、明日の野村先生の追悼29年祭に参加する社友との「前夜祭」を「オアジ」にて開催した。

昨日に続き、今夜も「オアジ」へ。札幌、函館、埼玉、京都、兵庫、北九州市などから来訪した社友との一献会。コロナの影響もあり、3年ぶりに合う人や、初めて参加する人など、まるで同窓会かOB会のようだ。先生が逝きて早や29年。群青忌に参加する人のほとんどが生前の野村先生を知らない。弊社の発行する先生の本、あるいは『風と拳銃』などのDVD、様々な媒体で先生を知り、その思想と行動に学ぼうと思った人たちばかりだ。

道の先輩から教えて頂いた言葉に、「亡くなられた人が、人々の心の中に単に記憶として残るのではなく、亡くなった人の魂、あるいは生き方や言葉が次の時代を生きる人々の追憶となり、その人生を膨らませさえする」。これを「死後生」と言うそうだ。

作家の山平重樹先生や私は、昭和45年11月25日に起きた、いわゆる「三島事件」によって影響を受けて民族派運動に入った。平成5年10月20日の野村先生の自決によって民族派運動に入った人が大勢いると警視庁の公安部が証言している。この激動の時代に、野村先生が生きて在りせば・・・と思うことしきりである。※野村先生が生前愛した、ルパング島を遠望するフイリピンはマタブンカイ・ビーチの夜景。


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反省しきり。

2022-10-20 16:31:18 | 日記

10月14日(金)雨。

朝食は、赤ウインナー、目玉焼き、小さい「どん兵衛」。夜は、友人夫妻と「やまと」から「オアジ」にて痛飲。

『宗教問題』という雑誌を出している小川寛大さんはとても生真面目な人である。そして私は頭が上がらず、小川さんから雑誌や葉書が届くと、ヘェーっと平身低頭してしまうのである。過日も、月刊『文藝春秋』の10月特別号に「統一教会と創価学会」というテーマで、小川さん他、評論家の宮崎哲弥氏、宗教学者の島田博已氏、金沢大学法学類教授の仲正昌樹氏らとの鼎談が掲載されており、表紙に小川さんの名前があるものだから、雑誌に最敬礼してから読ませて頂いた。小川さんのお付き合いは、確か宝島社のムック本『軍歌と日本人ー聴けば「やまと」の血が騒ぐ、歌えばわかる「愛国心」と「人間愛」』に小川さんと私の原稿が掲載されたことがきっかけだったと記憶している。

その後、様々な会合で一緒になり、札幌で行われた小川さんの講演会にも出席したこともあった。私が発行している『燃えよ祖国』という小冊子を小川さんに送ると、必ずきれいな絵葉書にお礼と感想を書いて送ってくれる。それがとても励みになる。その『燃えよ祖国』の第276号に小川さんの「筆まめ趣味」という原稿を掲載させて頂いた。その中に、「自分で出版事業など始めてみて実によく分かったのだけれども、雑誌なり書籍なりを発行し、「関心を持ってくれるかも」と思う知己の方などに贈呈してみても、まず返事というものがこないのである。「届きましたよ」のような、簡単なメール、電話ひとつさえ、実際10人に1人から来ればいいほうだ」。というくだりがある。それを読んだときに、穴があったら入りたいと心底思った。

50代、60代の頃までは、私もかなりの「筆まめ」であったが、古希を過ぎると根気がなくなり、「つい」と自身に言い訳することが多くなった。反省しきりである。


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