白雲去来

蜷川正大の日々是口実

札幌より同志が来訪。

2023-02-17 12:53:54 | 日記

2月15日(水)晴れ。

札幌から、雪田顕正氏が来訪。二時に中華街で待ち合わせて、盟友のO氏らと合流して食事。雪田氏の到着が少し遅れたので、馴染みの店に行くが、以前、長引くコロナ禍で従業員を大幅にリストラしたとのことで、メニューも大幅に少なくしたと聞いていた。仲良しだった女性の責任者も台湾へ帰ってしまった。お店は忙しいのだが、人手が足りず、サービスも料理も、えっと思うほど昔の味とは程遠くなった。二時に入店したが、店員曰く「2時30分にラストオーダーです」。最初に言えよ。まあ考えてみれば、長い付き合いの店だが、行かないことのきっかけとなって良かったと、ポジテブに考えることにした。申し訳ないが、料理は、「食べ放題」の店以下のような気がした。

仕方がないので、「北京飯店」に移動。このお店の「小籠包」は、中華街で一番好きだ。水餃子にナマコの炒め物、青菜炒め。美味しかった。これからはこのお店にしようと思った次第。いや、今日の話は、中華街のなどの事ではない。先月の18日から連絡が取れない、二十一世紀書院の札幌の責任者でもあり、社友会の最古参の梶浦直樹君の消息である。札幌の同志、友人が八方手を尽くしても、依然と連絡が取れないままだ。「もしや」とは思いたくない。何があったのかは、想像する以外にないが、早く元気な顔を見たいものだ。梶浦君の無事を祈るばかりである。※写真は、念願の鮭を釣って得意満面な梶浦君。

 


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戦時中の陸軍の「名将」を5人。

2023-02-16 14:18:16 | 日記

2月14日(火)曇り。

野村先生の誕生日である。先生は、昭和10(1935)年生まれであるから、ご存命であれば、今日で88歳、いわゆる米寿となる。この日に、野村一門で群青の会の代表の大熊雄二さんが「生誕祭」を行ってきたが、コロナで3年ほど中止を余儀なくされている。今年は、先生の没後30年となる。5年ぶりに、会場をお借りして追悼祭、群青忌を開催する予定でいる。

先日購入した半藤一利の『昭和史の人間学』にとても興味深いエピソードがあった。対米開戦時に東条英機の副官を努めた西浦進(陸軍士官学校34期、陸軍大学42期の首席。陸軍士官学校同期の服部卓四郎および堀場一雄と並び「34期三羽烏」と称された)は戦後になって陸士同期の堀場一雄(最終階級・陸軍大佐)と服部卓四郎(最終階級・陸軍大佐)の3人で、戦時中の陸軍の「名将」を5人選んだことがあった。その時、全員一致で1位が石原莞爾の名を上げたという。以下、2位が板垣征四郎、3位・阿南惟幾、4位・今村均、5位・安達二十三の順だったという。

不勉強ながら、安達二十三(はたぞう)の名を知らなかった。ウイキで調べると、部下思いの名将であり、終戦後、捕虜となった部下の判決が全て下るのを待ち、拘留中の部下8名の釈放が決定すると、弁護団に礼を言い、ラバウルの収容所にて自決した。作家の山田風太郎は著書『人間臨終図巻』(徳間書店)において安達の遺書を引用し、次のような言葉を記した。『終戦直後の昂奮時ならともかく、二年を経て、おのれの責任を全うしたと見きわめてから自決をしたのはみごとというべきである。太平洋戦争敗戦にあたって、かかるみごとな進退を見せた日本軍の将官はきわめて稀であった。』

石原莞爾に関する著作は数多出版されており、有名な『世界最終戦争論』は手に入れることは容易である。阿南惟幾と言えば角田房子の『一死大罪を謝す』(ちくま文庫)がすぐに浮かぶ。今村均に関しては、やはり角田房子の『責任ーラバウルの将軍今村均』(ちくま文庫)や今村自身の『幽囚回顧録』(中公文庫)がある。板垣征四郎は「板垣征四郎刊行会編」による『秘録・板垣征四郎』(芙蓉書房)が白眉であろうか。気になった軍人がいれば、是非読んでみて下さい。また、芙蓉書房から出版されている『世紀の自決ー日本帝國の終焉に散った人びと』という名著が出ている。

 

 


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自虐の蕎麦屋。

2023-02-16 13:54:13 | 日記

2月13日(月)雨。

朝食は、清風楼の焼売、筋子、ほうれん草の味噌汁。昼は、たぬき蕎麦。夜は、チキンソテー、新玉ねぎとナスの炒め物、小エビのフリッター。お供は、「日南発ひなた」。酔狂亭にて独酌。

午前中に、岐阜の酒友にご紹介された病院へ行く。どうも背中の痛みが気になるので、いつもの病院ではなく、他の医者の意見も聞きたいので紹介して頂いた。ドクター曰く「背中が痛いからと言って、背中に不具合があるのかは分からないので、胃と大腸の検査をお勧めします」。紹介状を書いて頂き、来週にも行くつもりでいる。

場所とお店の名前は言えないが、私の知る限りでは、ゲキ不味い蕎麦屋がある。何度食べても蕎麦がのびているし、丼物も、驚くほど不味い。では何で行くかと言えば、まあ自虐的な楽しみと言おうか、今度こそ、という期待もあるのかもしれない。しかし、今日も結局ダメだった。駅蕎麦より不味い蕎麦屋があることに、正直言って驚いている。それでも、そこそこ繁盛しているのだから、私の味覚の方がおかしいのかもしれない。


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不埒な読書三昧。

2023-02-16 13:24:24 | 日記

2月12日(日)晴れ。

朝食は、挽肉とナスの炒め物、うどん。ナスが好きだが炒め物にするときは、サッと素揚げするのが一番美味しい。昼は、コンビニのハムレタスサンド。夜は、すき焼き、キュウリのナムル、餃子。お供は「黒霧島」。

昼間、用事があるという愚妻を送った帰りに、伊勢佐木町の有隣堂へ行った。安倍元総理の回顧録が出ているというので探したが売り切れとのこと。それではと、沢木耕太郎さんの『天路の旅人』(新潮社)と『昭和の人間学』(半藤一利著・文春新書)にディアゴスティーニのブルーノート・ベスト・ジャズコレクションの第二弾『ハービー・ハンコック』の三点を購入。愚妻を迎えに行くまでしばらく時間があるので、コーヒーショップで、しばし読書。

沢木耕太郎さんの本は『深夜特急』以来随分と読んだ。特に、横浜の古い友人のカシアス内藤さんのことを書いた『一瞬の夏』や、山口二矢の『テロルの決算』は好きだ。内藤さんが、ボクシング・シングジムをオープンするときに、横浜の港にあるYCC(ヨコハマ・クルージング・クラブ)で有志が集まってパーティーを開催した。その席に沢木さんも来ており、一緒に写真を撮らせて頂いた。

コーヒーショップで『天路の旅人』を読み始めたら止まらなくなり、危うく愚妻の迎えに送れるところだった。大東亜戦争末期、中国大陸の奥深くまで「密偵(スパイ)」として潜入した日本人、西川一三の足跡を追ったドキュメントである。確か、本の題名や作者を忘れたが、戦前に、西域を旅した日本人の本が東洋文庫から出ていたような気がする。私の書庫にあるかもしれないので、探して見るつもり。それにしてもコーヒーショップで読書など随分と久しぶりの事だ。

 


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先輩のお墓参り。

2023-02-13 18:42:41 | 日記

2月11日(土)晴れ。紀元節。

紀元節である。神武天皇肇国の昔を偲び、橿原神宮を遥拝。オンチなので、「紀元節の歌」を上手く歌えない。若い頃は、大磯の小早川貞夫先生の主催で行っていた「紀元節奉祝神奈川県大会」に出席したものだ。私は、確か昭和47年の第二回奉祝大会に参加したのが初めてのことだ。

正午に、友人に迎えに来て貰いお墓参りへ。中学の二級先輩で、私を陸上部に誘ってくれた山崎邦雄さん。忘れられない先輩である。本日は25回忌。今日のお墓参りには6人が参加したが、そのそれぞれが違った場面で山崎さんとの出会いとお付き合いがあり、ある意味では、私よりも濃いお付き合いをした人たちばかりである。もう10年以上、御命日近くの2月に集まってお墓参りに行く。お墓について、好きだったワインと煙草を添えて、手を合わせた。

その後、直会で野毛に。野毛はどのお店も人で賑わい、まるで町中がお祭りのようだ。しかし、私は今の野毛の賑わいが好きではない。なじみの店は、同級生の経営する料理屋一軒のみ。ほとんど行かない。二軒ほど行ったが残念な店ばかりだった。最後は、自宅の近くの「浜一寿司」へ。「ここが一番良かったと」と全員が納得。八時過ぎに帰宅して、そのまま寝てしまった。※写真は、私が中学一年の昭和38年。山崎さんが初めて背広を着たと言ことで一緒に記念写真を撮った。私の胸のワッペンは、翌年の東京オリンピックの協賛のものである。

 


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