スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

兄の遺言&具体化

2024-07-03 19:00:41 | 歌・小説
 『なぜ漱石は終わらないのか』の第八章で,小森が『それから』の代助と三千代の過去の関係について,独自の解釈を示しています。おそらくその時点で代助と三千代は相思相愛だったのですが,代助は平岡に三千代のことを譲ってしまいました。なぜ代助がそうしたのかということについての一助となるような解釈です。
                                        
 『それから』の第14節で,代助と三千代が過去を回想する場面があります。その中に,代助は美千代の動作と談話からある特別な感じを得たという意味のことが書かれています。前後の文章の脈絡から,動作というのは三千代がただ一度だけ髪を銀杏返しに結ったけれども,それ以降は代助の前ではその髪型に結わなかったということで,談話というのは,三千代が代助に対してarbiter elegantiarumという異名を濫用したことを指します。これはラテン語で,趣味の審判者という意味です。代助と三千代が知り合ったのは,三千代の兄と代助が親しかったからでした。兄と代助が会話の中でこのラテン語を使っていて,三千代はそれを覚えたのです。
 三千代の兄はその後に死んでしまうのですが,代助はこのふたつのことから,代助と三千代が結婚することを兄が三千代に対して禁じていたと解したのではないかと小森はいっています。銀杏返しというのは未婚の女の髪型で,その髪型をした三千代に対して何らかの性的関心を代助が有したから兄は代助の前でその髪型にすることを三千代に禁じたのであり,また,三千代が代助を趣味の審判者という異名で呼ぶのは,代助と三千代の関係が趣味だけのものに留まるように兄が考えて,三千代に代助をそのように呼ばせたと代助は考えたということです。実際に兄から三千代にそのような命があったのかは代助には分かっていません。ただこの兄妹の父は株で失敗して経済的に苦しくなったから,三千代をよいところに嫁がせなければならず,それには自分は相応しくないという自覚が代助にあったとしてもおかしくはありません。
 ただ,代助がそれを兄の遺言のようなものと解していたとして,平岡を三千代に周旋したのには疑問は残ります。兄の遺言の条件に,平岡なら相応しかったというようにも思えないからです。

 この考え方によって,契約pactumそのものの概念notioは,抽象的なものではなく具体的なものとなります。國分はスピノザの契約概念には弁証法的展開があると指摘していて,そのふたつのポイントのひとつに契約の具体化をあげていましたが,具体化の方が意味しているのはこのことです。スピノザ自身がいっているところによれば,至高の権力の権利jusは万事に及び,個人の自然権jus naturaeは至高の権力に譲渡されることになっていて,このことは無理せず実践できることであって,実践の方法論も,その理論に見合った形に改善することができます。しかしそうはいっても,それは多くの点で純粋な理論にとどまっているのです。いい換えれば現実的ではないのです。それがなぜかといえば,現実的に存在する人間が自身の自然権を,あるいは同じことですが自身の力potentiaを,自分が人間をやめてしまうくらいまで他人にあるいは至高の権力に譲渡してしまうということはだれにもできないからです。そしてそのゆえに,万事を思うがままに実行することができる至高の権力というのもまた,現実的には存在することができないのです。
 このようにして,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の中でも,強権的な国家Imperiumが成立することを否定するnegareことに成功しているというように國分は指摘しています。それが本当の意味での成功といえるのかどうかは僕には分かりません。少なくとも社会契約論を理論的に用いるのであれば,強権的国家の成立は必然的な結果effectusであると僕はみるからです。ですから少なくとも実践を無視した理論的側面に注目する限り,スピノザは強権的国家の発生を防いでいるとは僕は思わないです。ただ前もっていっておいたように,スピノザは哲学する自由libertas philosophandiを保守することを目指していたし,それが保守されなければ国家の安全も道徳心も損なわれるといっているのですから,強権的国家を否定する側にスピノザがそもそも立っていたということは間違いありません。それを社会契約論を利用することによって導出することが可能であるかどうかは別にして,たとえ社会契約論を利用しても,国家が強権的であることを否定することをスピノザが最初から目指していたことは間違いないといえるでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カトリック批判&反復

2024-06-26 19:07:39 | 歌・小説
 『生き抜くためのドストエフスキー入門』の第二章は『白痴』です。『白痴』ではムイシュキン公爵がカトリックのことを激しく批判する場面があります。なぜムイシュキンがカトリックを批判しなければならなかったのかということを,佐藤が詳しく解説しています。
                                        
 『白痴』のムイシュキンによるカトリック批判の要旨は,カトリックは無神論よりも悪いというものです。そしてその理由としてムイシュキンがあげているのは,無神論はただ無を説くだけだけれども.カトリックは歪められた神を説くからだというものです。ムイシュキンによればローマカトリックは信仰ですらなく,西ローマ帝国の継続にすぎず,そのゆえに民衆の大部分は信仰を失い始めています。佐藤が説明しているのは,なぜムイシュキンがこのような仕方でカトリックを批判するのかという点です。
 佐藤はその理由を,ローマカトリックとロシア正教における神と人の関係の捉え方の相違にあるとしています。ごく簡単にいうと,ローマカトリックにおける救済というのは神から人間に対する一方的な恩寵であり,この恩寵はイエスを通して神から人間へと降りてきます。これに対してロシア正教では,人間が神になるということが究極の目標とされます。つまり現実的に存在する一人ひとりの人間がすべて神になることができるということが,ロシア正教の中心的な教義なのです。
 ここでムイシュキンが,ローマカトリックが西ローマ帝国の継続にすぎないといっている点も重要です。西ローマ帝国を継続しているのは,カトリックだけでなくプロテスタントも同様であるというようにロシア正教からはみえるからです。この部分ではムイシュキンはロシア正教をロシアの国家宗教とみていて,ロシアと一体化させています。この路線でいえばロシアは西ローマ帝国の継続ではなく,東ローマ帝国,ビザンチン帝国の後継帝国で,キリスト教的東洋なのです。つまりここには西洋と東洋の対立が含まれていて,この対立は現在まで続いているといえるでしょう。

 ホッブズThomas Hobbesの理論では,自然状態status naturalisは万人の万人に対する闘争状態であるから,その状態を回避するために,万人が自然権jus naturaeを放棄することによって社会契約を結ぶということになっています。したがってこの契約pactumは一回性のものであることになります。しかし,そのような社会契約が本当に存在したのかという疑問や,自然状態において万人がそのような契約を締結するのが可能なのかという疑問は出てきます。僕はそもそも自然状態などというものが存在しなかったと考えますから,ホッブズの理論が有益であるとすれば,社会societasの成立を理念的に説明するのに役立つというように解しますから,このような疑問を呈したりはしませんが,もしもホッブズの理論が,現実的に存在する社会の成立をそのまま説明するものであると解すれば,その社会契約論がこのような批判にさらされることになるのはごく当然のことだとは思います。
 このような批判が出てくるのは,そもそも自然権を放棄するということが不可能なのに,それを可能なものと前提しているからだというのは,ひとつの見解opinioとして出てくるでしょう。スピノザの国家論はその観点からホッブズの国家論を修正したものだといえます。このためにそこでは,ホッブズの社会契約が一回性のものであるのに対し,スピノザの社会契約はいわば反復されるものとして提示されることになります。つまり何らかの社会契約が締結されているということが,現にその社会契約が履行されているということによって保証されるというようになっています。そしてこのようにすれば,少なくともその社会契約を履行している人びとが,その社会契約を締結している集団,たとえば国家Imperiumの中で生きているという現実を説明することができるでしょう。少なくともホッブズの社会契約論は,集団たとえば国家の始原となるような,絶対的な起源の説明でしかないのに対し,スピノザが引き継いだ社会契約論が,そのようなもの,國分のことばを借りれば,神話的なものとなっていないことは理解できると思います。
 ただし,このような仕方で社会契約の理論を引き継いだとしても,なお解決しなければならない問題は確実に残ってしまうのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャートフのキリスト教&希望の有用性

2024-06-17 19:04:25 | 歌・小説
 『悪霊』の第二部7節で,シャートフは自身の神観を語っています。それは独特のものといえます。
                                        
 シャートフによれば,国民のすべての運動の目的は自身の神の探求でしかあり得ないしそれを唯一真実のものとして信仰することにほかなりません。したがって,国民というのは神の肉体のごときものであり,ほかの神を妥協せずに排除する限りにおいて国民であることができるのです。いい換えれば,自身の神によってほかのすべての神を征服し,追放することができる限りにおいて国民なのです。
 このシャートフの演説に耳を傾けていたスタヴローギンは,シャートフは神を民族の属性まで引き下ろしたと言います。これに対してシャートフは,スタヴローギンがいっていることは逆で,シャートフがしていることは国民を神に引き上げることであると反論します。
 さらにシャートフは,真理はひとつであるから,諸国民の間で真実の神をもつことができるのはひとつの国民だけであって,それがロシア国民なのであると主張します。
 『ドストエフスキー 黒い言葉』では,シャートフのこうした主張について,民族との一体性の中にその最大の意義を認めているという点に大きな特徴があると指摘されているのですが,これはその通りであるといえるでしょう。つまりシャートフのキリスト教というのは,聖書でいわれているような唯一の神を信仰するということとは,大きな隔たりがあるのです。いい換えればそれはシャートフに独自のキリスト教であるといえるでしょう。
 ただし,シャートフがいっていることが全面的に誤っているというようにも僕には思えません。たとえばシャートフの説に従えば,神が共通のものとなれば国民は死ぬし,他の神を排除しようとしている間は国民は国民でいられるということになるでしょう。そのことの中には,一定の真理も含まれているように僕には思えるのです。

 スピノザは第四部定理五四備考においても,希望spesと不安metusが表裏一体の感情affectusであるということを重視し,どちらの感情も害悪より利益を齎すといっているのですが,備考の全体の文脈を通していえば,希望を否定的に,不安を肯定的に評価しているといえます。つまり,個人だけを抽出していうなら,不安を感じるより希望を感じる方がよいのであって,僕もその種のアドバイスをしますが,人間が協働して生活するものであるという点まで踏まえれば,不安の方が希望より有用である場合もあるのです。ですから何でもかんでも希望をもてばいいというものではないのであって,社会的紐帯のためには,諸個人がある程度の不安を感じていた方が好都合であるときもあるということは,僕も否定するnegareものではありません。
 ただし,このことが一般的に成立するのかといえば,そういうわけではありません。いい換えれば,不安は社会的紐帯のために常に有用な感情であって,希望はそれを阻害する感情であるというわけでもないのです。これは,賞賛lausを求めるような欲望cupiditasは,基本的に第三部定理五五備考でいわれているような,相互に不快を齎す欲望ではあるものの,この欲望によって結果effectusとしてよいことも生じ得るというのと同じように,希望が結果としてよいことを齎すという場合もあるのです。
 たとえば,現代の日本において,異人種や異民族に対して過度な不安をもつということは,世界における日本全体の力potentiaを低下させるような効果しか齎さないのであって,はっきりとマイナスの感情です。そうであるならば異人種や異民族との共生生活に希望を見出す方がまだましなのであって,その方が最終的には日本という国家Imperiumに対してよい結果を生じるでしょう。つまりこの場合には,希望の方が社会的紐帯にとってプラスに働くのであり,不安はかえってマイナスに作用してしまいます。ですからこの場合にも,一般論が個々のすべてのケースに妥当するというのではないのであって,希望にせよ不安にせよ,個々の感情を個々のケースに応じて評価するという必要があります。何といっても第三部定理五六でいわれているように,感情というのはすべてが個別の感情だからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三四郎と代助&第三部定理五五備考

2024-06-08 19:05:31 | 歌・小説
 『なぜ漱石は終わらないのか』の第八章で,『それから』の代助が三四郎の後身であるということが語られています。『三四郎』,『それから』,『』は三部作といわれていて,それぞれの主人公といえる三四郎,代助,宗助がそれぞれ似たところを有しているのはある意味では当然のことといえます。ただこの部分では,それが独特の観点から指摘されているのです。
                                        
 『それから』の平岡は新聞記者という設定になっています。ここでは新聞というのが隠されたモチーフとして設定されているのだと小森が述べています。これは説明すると長くなってしまうので,ここでは省略します。しかし代助はその新聞の役割というのを具体的にはまったく理解していません。というか,理解していないように書かれています。これは代助がボンボンであって,世の中のことをよく理解していないからです。平岡の方はこのことに自覚的であって,だから自分の立場を利用して代助に脅迫めいたことまでするのですが,代助はそのあたりの事情がよく分かっていないのです。
 こうした代助の設定が,三四郎によく似ているというように石原はいっています。『三四郎』には新聞のモチーフは出ていませんが,三四郎は熊本から出てきたばかりであって,世の中のことをよく理解できていない,抽象的にしか理解できていないという点で,代助と共通します。ボンボンであるというところも一致しているといっていいでしょう。しかしただそれだけではなく,『三四郎』には三四郎にはよく分からないことが,小説の地の部分には書かれているように,『それから』では代助には分からないようなことが小説の地の文章に表出しているのであって,新聞を巡るプロットはそのひとつを代表するようなものなのです。つまりこのような点においても,小説の主人公として,代助は三四郎の後身であると石原は指摘しています。
 代助が三四郎の後身であるのは,単に恋物語を巡る文脈の中でそうであるといえるのではありません。小説を書く技術の側面からも,代助は三四郎の後身なのです。

 ここで國分が第三部において重要な定理Propositioのひとつとしてあげていた,第三部定理二八に着目します。ここから僕たちは,喜びlaetitiaを希求し悲しみtristitiaを忌避するということが分かります。第三部定理五三系でいわれている賞賛lausは喜びですから,僕たちによって希求されることになります。いい換えれば僕たちは,他者からの賞賛を欲望するようなコナトゥスconatusあるいは同じことですが現実的本性actualis essentiaを有していることになります。
 このことの否定的な側面をこれから論考していくことになりますが,この現実的本性は,否定的な側面だけを有しているわけではないということを,前もっていっておきましょう。というのは,僕たちは他者からの賞賛を欲望するがゆえに,他者に賞賛されるようなことを実際になすということがあり,そうしたことのためになす行為のうちには,他者に喜びを齎すことも含まれるであろうからです。単純ないい方をすれば,褒められたいがためにいいことをするということは僕たちには生じ得るのであって,このような効果が賞賛を欲望する現実的本性から生じるのであれば,この現実的本性は結果effectusとしてよいことを僕たちに生じさせるでしょう。ですから賞賛を欲望するということは,人間の現実的な生活の上で,全面的に否定的な要素だけ含んでいるというわけではありません。
 それから賞賛は,自己満足acquiescentia in se ipsoあるいは自己愛philautiaという別の喜びを強化する感情affectusでもあります。したがって,ほかの条件が同一であるならば賞賛はほかの喜びよりも強く希求されることになります。いい換えれば一般的に喜びを希求するというよりも強く,僕たちは賞賛を希求するのです。
 ではこの現実的本性の否定的な側面は何かといえば,それはスピノザ自身が第三部定理五五備考の中で語っています。スピノザはこの備考Scholiumの中で,自己愛と自己満足を分けているのですが,それに続けて次のようにいっています。
 「そしてこの喜びは人間が自己の徳あるいは自分の活動能力を観想するたびに繰り返されるから,したがってまた各人は,好んで自分の業績を語ったり,自分の身体や精神の力を誇示したりすることになり,また人間は,このため,相互に不快を感じ合うことになる」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戸主&活発

2024-05-29 19:00:36 | 歌・小説
 『夏目漱石『心』を読み直す』の第Ⅲ章で,先生が下宿した先の事情が,当時の民法と関連付けて説明されています。そこから,先生が下宿を開始した時点では.,こうした状況が特異なものであったことが分かります。
                                         
 この下宿は,先生の手記では奥さんといわれている,戦争未亡人の家屋でした。戦争というのは日清戦争です。つまり,日清戦争で夫を失った未亡人が,それまで暮らしていた家を売った上で,新しく購入した家屋です。そこに,奥さんとお嬢さんが一緒に暮らしていて,このふたりはおそらく遺族年金で生活していたのですが,それでは心もとないからということで下宿人,といってもそれはお嬢さんの結婚相手を同時に意味していたわけですが,そうなり得る下宿人を探し,そこに先生が舞い込んだのです。
 ところが,奥さんがこのように戸主としていることができたのは,日清戦争が終わって少し後までであったそうです。正確にいうと,1898年までだったそうです。日清戦争が終わったのは1895年ですから,3年後ということになります。1898年までは明治民法典という法律の下,奥さんのような未亡人が戸主になることは許容されていたのですが,明治民法典は1898年に廃止され,新しい明治民法が制定されました。この明治民法の下では,家督を相続するのは基本的に長男であり,長男が死んだ場合は次男という具合に,戸主である男の男の子だけが戸主となることができました。したがって女は未亡人であろうと子どもであろうと,戸主になることができなくなっていたのです。
 『それから』でも民法の規定というものを意識して漱石は小説を書いたものと思われます。したがって『こころ』の場合もそれと同様であったのでしょう。実際に『こころ』が書かれたのは1914年であって,明治民法が制定されてから16年が経過しています。したがってこの時期には女の戸主というのは存在しなかったか,存在していても明治民法典のうちに許容されいたごく少数になっていた筈です。だから奥さんが戸主になっていることが,読者には不自然に感じられたかもしれません。しかし日清戦争の未亡人であった奥さんは戸主になれたのであり,この設定は法的にも成立するのです。

 同じく第4章3節で,國分はねたみinvidiaという感情affectusについて分析しています。これは,スピノザの哲学における能動actioと受動passioの関係を説明するための一例です。この説明はスピノザの哲学を理解するために有益だと思いますので,詳しく紹介します。
 第三部諸感情の定義二三で示されているように,ねたみは憎しみodiumの一種とされています。憎しみというのは第三部諸感情の定義七から分かるように,悲しみtristitiaの一種です。つまり,第三部諸感情の定義三により,より大なる完全性perfectioからより小なる完全性への移行transitioを意味します。ねたみという感情が負の感情であるということ,いい換えれば否定的な感情であるということについては,特段の説明は不要だと國分はいっていますが,それと同時に,あらゆるねたみが,なぜより大なる完全性からより小なる完全性へと人を移行させる感情であるのかということについては,説明が必要であると國分は指摘しています。というのは,現実的に存在する人間は,ねたみの感情をばねにすることによって,熱心に何事かに取り組むということがあり得るからです、僕も現実的に存在する人間にそのようなことが生じることがあるということについては,國分に同意します。しかしこうした活動は,より大なる完全性からより小なる完全性への移行というより,より小なる完全性からより大なる完全性への移行という方が相応しいのではないでしょうか。少なくともその人間はその事柄については熱心に取り組むのであって,これはその人が活発に活動していることになると思われるからです。
 國分もまた,実際にそういうことが生じること自体についてはあり得ると認めています。しかしいかにその活動が活発であるようにみえるとしても,それは受動であるといいます。なぜなら,活発にみえるその人の活動が何を最もよく表現しているのかといえば,それは活発に活動するその人の力potentiaなのではなく,その人にそれほど活発に活動させるほどのねたみを感じさせた相手の力であるからです。すなわち,完全性の移行というのは,あるいは能動と受動というのは,単に現実的に存在する人間が活発に活動しているかいないかということとは無関係なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂人と聖人&ホメオスタシス

2024-05-23 19:11:34 | 歌・小説
 『生き抜くためのドストエフスキー入門』の第一章で,『罪と罰』の中で,ソーニャがラスコーリニコフが聖書の一節を読み聞かせる部分に触れています。これは『罪と罰』の第四部4節のプロットで,新約聖書のヨハネによる福音書の中の,ラザロの復活といわれる部分です。
                                        
 読み聞かせの前にラスコーリニコフは,ソーニャのことをバカな女だ,狂信者だと思い,それを何度も腹の中で繰り返します。その後にラスコーリニコフが新約聖書を発見し,当該部分を読むようにソーニャに依頼します。この聖書はソーニャの聖書ですが,ソーニャがリザヴェータからもらったものでした。リザヴェータというのは,ラスコーリニコフが金貸しの老婆を殺したときに,その場に居合わせたためにやはりラスコーリニコフによって殺されてしまった女です。そしてソーニャは,殺されたリザヴェータは神様に会うだろうとラスコーリニコフに伝えます。するとラスコーリニコフは,ソーニャだけでなくリザヴェータもばかな狂信者であって,伝染病のように自分もばかな狂信者になってしまうのではないかと思います。
 ここで狂信者といわれているのは,実際には神がかりに近い意味なのだと佐藤は指摘しています。つまり,狂信者というと単に狂人というような意味に受け取ることができますが,ロシアでは狂人といわれるような人間は神との繋がりをもつことができる特殊能力をもっているとみなされることがあり,したがってダブルスタンダードかもしれませんが,そこには聖人というような意味が含まれているのだそうです。つまりこの部分は,ラスコーリニコフはソーニャおよびリザヴェータを狂人と思っていて,自分も狂人になってしまうのではなかと恐れていたという意味があるのと同時に,ソーニャもリザヴェータも聖人であって,自分も聖人になってしまうのではないかと恐れていたという意味合いも含まれているのです。よってここには,自分は聖人などにはなりたくないというラスコーリニコフの思いが含まれていると佐藤は指摘しています。
 狂人になりたくないと,聖人になりたくないでは,受け取る意味合いが異なるでしょう。そしてラスコーリニコフという人間のキャラクターとして,ここは後者の意味合いの方が強いのではないかと思われます。

 欲望cupiditasと意識conscientiaに関連する考察はここまでですが,この考察は,人間の現実的本性actualis essentiaと大きな関係をもっていました。第三部定理七にあるように,個物res singularisの現実的本性は,自己の有に固執しようとするコナトゥスconatusとされています。考察の中で指摘しておいたように.これはすべての個物に適用される現実的本性で,人間も現実的に存在する個物のひとつであるという点で,この現実的本性が適用されるのです。ですから,國分も欲望と意識を巡る考察の中で,コナトゥスに触れています。その中で,スピノザがいっているコナトゥスをどのように理解するべきかということを國分は説明しています。この説明に関して,その部分だけを抽出して,僕の方から加えておきたいことがあります。
 第三部定理六に関しては,現代の生理学でいわれるところのホメオスタシスの原理に近いものと理解して不正確ではないと國分はいっています。ホメオスタシスというのは生物に特有の原理で,第三部定理六というのは,現実的に存在するすべての個物に妥当する定理Propositioなので,ホメオスタシスよりは広きに渡ります。なので生物に限定していえばというように國分はいっていて,そのことは間違いないものと思います。ただ僕は,現代の生理学でいわれるホメオスタシスというのを,『エチカ』の第三部定理六でいわれていることを,生物に適用した原理であるというように解する方が自然であると思います。もちろんこの原理は,スピノザの哲学を念頭に置いて構築された原理ではないでしょうが,自然科学の原理というのはそれを支える形而上学というのが必ずあるというように僕は考えていて,現代の生理学の一部は,スピノザの形而上学によって支えられているというように僕は解するからです。
 ただし,なぜ現実的に存在する個物は自己の有に固執しようとするのかということ,あるいは同じことですが,なぜ現実的に存在する個物にはコナトゥスがあるのかということについて,スピノザは十分に説明していないと國分はいっています。十分であるかないかというのは受け取る側の観点なので,この指摘は正しいとも正しくないとも僕にはいえませんが,そういわれる面があるのは事実です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャートフ&アムステルダム滞在

2024-04-22 19:29:57 | 歌・小説
 『ドストエフスキー 黒い言葉』の第十一章3節で,シャートフにとってのキリスト教がどのようなものであったのかということに関する考察がなされています。『悪霊』に登場する人物のうち,シャートフについてはこのブログではまだ詳しく説明していませんから,先にシャートフがどのような人物として『悪霊』に登場しているのかということを説明しておきましょう。
                                        
 『悪霊』の主人公はスタヴローギンですが,スタヴローギンというのは裕福な家庭の育ちであって,下僕がいます。シャートフはスタヴローギンの一家に使える下僕の息子という設定になっています。物語上の設定での年齢ははっきりとしませんが,亀山は27歳か28歳であるとしています。これは何らかの根拠があってのものだと思われますので,僕もそのように解釈します。学生時代に社会主義思想に接触したシャートフは,その思想の虜となります。つまり学生時代は社会主義者であったと理解して間違いありません。ただし後に転向して,亀山がいうところのロシア・メシア思想に心酔するようになりました。僕の解釈ではシャートフは民族主義者なのですが,亀山がいうロシア・メシア思想というのは,ロシア民族の他民族に対する優越性を含んでいると解することができますから,亀山によるシャートフ像と,僕のシャートフ像の間には,相違よりも一致が多くみられるというように理解してもらって大丈夫なのではないかと思います。このシャートフの民族主義が,神と結びついていくのですが,このことはまた別にみていくことにします。
 このロシア・メシア思想というのが重要なのは,ドストエフスキー自身の思想と関係していると思われる点です。ドストエフスキーはロシアの大地ということを自身の思想としてもまた小説の中でも力説することがあるのですが,それはある意味ではドストエフスキーによるロシア・メシア思想であるといえなくもないからです。亀山はシャートフという人物はドストエフスキーの最晩年の思想的境地を先取りするといっていて,この時点ではドストエフスキーはそうした境地に達していなかったとみているわけですが,僕は必ずしもそうとはいえないのではないかと思います。たとえば『罪と罰』でソーニャがラスコーリニコフに大地にキスをするように要求するとき,地球の大地ではなくロシアの大地という意味が含まれているとみることもできると思うからです。

 テムズ川で足止めされてしまったライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは,その間に言語,自然学,数学についてのいくつかの小論を執筆し,スピノザとの面会に備えて一連の覚書と質問事項を準備したと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』には書かれています。ナドラーSteven Nadlerは,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausは何らかの方法で『エチカ』の手稿をライプニッツに見せたので,ライプニッツはその内容のほとんどを知っていたと想定しています。ただ,ナドラーは史実として確定している出来事に関しては断定的に記述するのですが,この部分はそうとしか思われないという記述になっていますので,史実として確定する必要はありません。実際にナドラーはこの部分に注解をつけていて,そこにはフリードマンGeorges Friedmannによる,この頃にはライプニッツは『エチカ』の内容にほとんど精通していなかったという見解が示されています。僕はナドラーよりもフリードマンの見解に近く,チルンハウスはライプニッツに『エチカ』の手稿を見せなかったどころか,それを自身が所持しているということさえ教えなかったのではないかと想定していますが,僕の想定もあり得るということは,ナドラーは全面的には否定しないと思われます。
 ライプニッツはこの後でオランダに到着したのですが,すぐにスピノザと面会したわけではなく,アムステルダムAmsterdamに1ヶ月ほど滞在しました。ナドラーはその間にライプニッツがフッデJohann Huddeと会ったこと,そしてシュラーGeorg Hermann Schullerと会ったことを確定的な出来事として記述しています。このときにシュラーは書簡十二をライプニッツに見せ,ライプニッツは後にそれに批評を加えています。書簡十二はマイエルLodewijk Meyerに宛てられたものですが,この書簡は「無限なるものの本性について」という副題がついた有名なもので,少なくともスピノザと親しかった関係にあった人たちの間では回覧されていたものでした。このときにシュラーが見せたのは,マイエルに宛てられた書簡そのものではなく,その書簡を書写したものだったと推測されます。それをシュラーが所持していることは何ら不思議ではありません。
 ライプニッツはこの後,デルフトDelftに向かって,レーウェンフックAntoni von Leeuwenhookを訪問したことも確定的な出来事として記述されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森&超越

2024-03-30 19:00:55 | 歌・小説
 『虞美人草』の中に,小野と藤尾が大森に遊びに行く約束をしていたのに,宗近に説得された小野がその約束をすっぽかすというプロットが含まれています。遊びに行く先の大森というのは貝塚で有名な現存する地名ですが,この地名にはコードが含まれているということが『なぜ漱石は終わらないのか』の中で触れられていました。
                                      
 『虞美人草』が書かれていた当時の大森は歓楽街で,連れ込み旅館なども林立していたそうです。つまり大森に遊びに行くというのは,そうした旅館に行くということを意味するのであって,要するに小野と藤尾は密会して肉体関係を結ぶ約束をしていたという意味に解せるそうです。これは当然ながらその時代に『虞美人草』を読んだ人には,たちどころに理解できたのでしょうが,現在の大森はそうした歓楽街とは認識されていませんから,僕たちが読んでもそういう意味があるということはよく分からないということになります。
 この約束がなされた頃,小野と藤尾は相思相愛といっていい状況で,互いにできれば結婚をしたいと思っていました。ただ周囲の反対を受けていたため,結婚がかなわなかったのです。そこでふたりは,結婚することを周囲が納得するような既成事実を作ってしまおうと考えました。そうした既成事実として最もよいのは,ふたりの間に子どもができること,つまり藤尾が小野の子どもを妊娠するということだったのです。だから小野と藤尾の間には,ふたりの子どもを作るという動機が確かにあったのであり,なので大森に行って肉体関係を結ぼうと意図してもまったくおかしくありませんでした。だから確かにここで大森に遊びに行くというのは,ふたりで肉体関係をもとうとしていたという意味であって,そういう意味が大森という地名のコードに含まれていたわけです。
 地名がコードになるということは,文章表現としてはよくあります。ただそのコードは永続するものではないので,時代背景が変ずるとコードが通用しなくなる場合もあります。この大森というコードはそうしたコードのひとつといえそうです。

 スピノザは,神Deusは超越的原因causa transiensではなくて内在的原因causa immanensであるといっているのですが,この訳出について國分は不適切であると指摘しています。このラテン語には超越あるいは超越するという意味が含まれていないので,他動原因と訳すのがよいだろうといっています。ただしここでは内在的原因とのバランスから,他動的原因という訳がよいと國分は指摘しているとします。國分はこれとは逆に,他動原因とのバランスを図るため,内在的原因のことを内在原因といっています。したがって,國分が内在原因および他動原因というのを,僕は内在的原因および他動的原因というということです。
 この指摘について私見を示せば,僕は國分のような訳も畠中のような訳も,それなりの理由があると思います。國分がいうように,そこに超越するという意味が含まれていないということを重視するなら,それを超越的原因と訳すのは不適切であるということになるでしょう。スピノザはおそらくヘーレボールドAdrianus Heereboordの分節に倣ってそういっているのであり,それによればこれは結果effectusをその外に産出するproducere原因ということなのですから,そのような原因についてそれを超越的原因というのは,そもそも超越するということの意味からしていささかオーバーであるともいえるでしょう。
 畠中もそうしたことは理解していたのではないかと僕は推測します。それでもあえて超越的原因と訳したのは,哲学の世界では内在に対立するのは超越であるという事情があったからだと思うのです。この部分はすでにいったように,読者は神が超越的原因であると思っているかもしれないけれども実際は内在的原因なのであると解せるような文章になっていて,内在的原因と対立するものとしてスピノザが超越的原因,國分に倣えば他動的原因をみていたのは間違いありません。したがって内在的原因に対立するような原因を哲学的に示すとするならば,その語自体に超越するという意味は含まれていないとしても,超越的原因と訳出する,つまり意訳するというのは,意図としては理解できるものだと僕は考えます。
 なのでそれが内在的原因に対立するという前提があれば,訳はどちらでもよいと僕は思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利子&別の問題

2024-03-23 19:20:59 | 歌・小説
 『夏目漱石『心』を読み直す』の中で,先生が下宿部屋にKを同居させる際の,先生の経済的事情が語られています。
                                       
 先生は叔父に相続した財産を騙し取られました。とはいえ先生は,自身が受け取ることができた財産の利子のみによって生活していくことができたのです。騙し取られてなおそれだけのものが先生に残されていたわけですから,これは先生の父がいかに財産家であったのかということを示すエピソードであって,このことは僕も理解していました。この当時はイギリスではこうした利子生活者というのが少なからず存在していたようで,イギリスに留学していた漱石はそのことを知っていました。だから『こころ』にも利子だけで生活する先生を登場させることができたのでしょう。
 僕が読みそこなっていたのは,先生は利子だけで生活することができたのですが,必ずしもその利子のすべてを使って生活していたわけではないということです。先生は洋書とか着物といった,日常生活には必ずしも必要でなかったものも購入していたのですが,それでも利子のすべてを使っていたわけではなく,利子の一部でそうした暮らしを送っていたのです。先生は利子の半分で生活していたと遺書の中でいっています。したがって残りの半額の利子はすべて預金の方に回り,預金額はさらに増大していくのですから,先生が生活していくための利子というのは,先生が生活していけばいくほど増えていったことになります。
 このゆえに先生は,Kの下宿代を自身で負担しても,預金の元金を減らさずに暮らしていくことができる余裕があったということになります。たぶんそれがなければ,いくらKが経済的に困窮していたとしても,Kを同居させるだけの決断はできなかったと思われます。むしろ先生は,使いきれずにいる利子の使い道を考えていたのかもしれず,そうなるとKを同居させるというのは渡りに船であったのかもしれません。
 利子の半分だけで生活していたということは,受け取る利子の額がさらに増額されていくということを意味します。このことを僕は見落としていました。

 ここでは『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』が未完に終わった理由を探求しようとしているわけではありません。僕はドゥルーズの見解には賛同しませんが,このことについては繰り返して探求はせずに,先に進めます。
 『エチカ』では,知性intellectusの道具instrumentumとしての真理veritasに関する無限遡行は解消されています。所与のものとして現実的に存在する人間には共通概念notiones communesという真理があるということになっているからです。ただし,このことはこのことで別の問題を発生させます。僕たちのうちに所与のものとしての真理があるのだとしても,それが僕たちにとって真理として知られるのがなぜかということは,このことのうちに含まれていません。とくにスピノザの哲学の場合,現実的に存在する人間は必然的にnecessario諸々の事物を表象するimaginariことになっています。これは第二部自然学②要請三および第二部定理一七から明白であるといえます。つまり現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちには,共通概念と諸々の表象像imaginesとが必ず存在しているのです。このとき,共通概念は十全に認識される思惟の様態cogitandi modiなので真理なのですが,表象像というのは混乱した観念idea inadaequataですから真理ではなく虚偽falsitasです。したがって,たとえ共通概念が所与のものとして僕たちの精神のうちにあるのだとしても,表象像もあるのですから,それらを選別して前者を真理,後者を虚偽として認識するcognoscereことができるのでなければ,単に所与のものとして僕たちの知性のうちに真理があるというだけにすぎず,僕たちはその真理を道具として用いることはできないでしょう。よって,真理にはそれを真理として教えるようなしるしsignumないしは標識が必要なのであって,それにより僕たちはそれを真理と認識し,真理であると知ることができるがゆえにそれを道具として用いることができるようになるのです。つまり,無限遡行の問題が解消されても,真理の標識ないしは真理のしるしという新しい問題が発生してくるのです。
 『知性改善論』では,無限遡行の問題が解消されていないので,それを解消する方法として真理のしるしが探求されるという順序になっています。ただ,無限遡行の問題をスピノザは軽視していましたので,その解釈でいいのかは微妙です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き抜くためのドストエフスキー入門&偶然と空虚

2024-03-09 18:57:54 | 歌・小説
 先月のことになりますが佐藤優の『生き抜くためのドストエフスキー入門』という本を読み終えました。前々から佐藤優が書いたものを読みたいと思っていましたので,とりあえず簡単に読めそうで価格も手頃なこの本を選択しました。2021年11月1日に新潮文庫から発行されたものです。佐藤は同年の6月に,新潮社で3回に分けて講座を行いました。この本はその講座の内容を文章化したものです。そのまま文章化していますので,どちらかといえば話しことばに近い内容で書かれています。
                                        
 本の内容は題名からおおよその類推ができます。特徴はふたつあって,ひとつはドストエフスキー入門といわれているように,入門書的な内容であるということです。これはおそらく元が講座であったためで,ドストエフスキーに詳しくない人にも分かるような内容でなければなかったからでしょう。もうひとつが,生き抜くための,とあるように,この本は文芸評論であるよりは,実用書的な内容をもっています。少なくとも佐藤はそれを目指しているといっていいでしょう。なお,この題名自体は講座の名称とは異なっていて,講座は21世紀に長編小説を読む意味という副題で行われました。ただその講座の時点で佐藤が実用的な内容を目指していたのは間違いありません。これもおそらくそれが講座であったからで,講座であるからにはそうした内容を持たせた方が,受講者の関心を高めるだろうと佐藤が考えたからだと思います。
 あとがきで佐藤は自身がドストエフスキーを読むとき,3つの利点をもっているといっています。第一に基礎教育がキリスト教神学であったという点です。第二に外交官としてモスクワで7年8ヶ月の生活を送ったことです。そして第三に,自身が所属する国家の暴力性と温かさの両方を身にもって知っているという点です。最初の2点はドストエフスキーの小説を理解するために役立ち,第三の点はドストエフスキーと佐藤の人生における共通点です。確かにこの3点を有する人間は稀で,佐藤にとって有利に働いていると思います。

 國分はこの部分でふたりの思想家の名前をあげています。ひとりは古代ローマの末期の哲学者のボエティウスAnicius Manlius Torquatus Severinus Boethiusです。そしてもうひとりが中世の神学者であるトマス・アクィナスThomas Aquinasです。僕はアクィナスの方は知っていましたが,ボエティウスの方は知りませんでした。またアクィナスの方も知っているというだけであって,思想の詳しい内容を知っているわけではありません。なのでこれから示すことは,國分がそのようにいっているということであって,僕がそれについて確証を得ているわけではないということを前もっていっておきます。
 國分によれが,このふたりは偶然というのを,複数の異なった系列の因果関係の出会いとして規定しています。したがって,自然Naturaのうちに偶然が生じるためには,現にそれらの間では連絡が生じない複数の因果関係の系列が存在するのでなければならないことになります。それが可能になるための条件が,真空vacuumすなわち空虚vacuumが存在することであると國分はいいます。ここのところは,ボエティウスやアクィナスがそのようにいっていると國分がいっているというようには僕には解せないので,國分がそのようにいうと僕はいいます。ただ,ボエティウスなりアクィナスなりが,直接的にそのような主張をしているという可能性を否定するものではありません。
 AとBが真空すなわち空虚で隔てられているというのは,AとBの間に何らかの関係が存在しないということを意味します。これは真空すなわち空虚をここでどのように規定しているのかということから自明です。したがって,真空すなわち空虚を否定するnegareということと,必然性necessitasを肯定するaffirmareということは,一貫した立場であることになるでしょう。空虚が存在しなければ偶然が発生する余地はなく,すべては必然的necessariusであるということになるからです。だからスピノザはそもそも自然には偶然は存在していないという意味でも偶然を否定しているのだと國分はいいます。この結論に関しては僕も一致しているということは,すでに述べた通りです。
 國分は空虚の否定を物理学,必然性の肯定を哲学として,スピノザの物理学とスピノザの哲学は一貫しているというようにいっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美&確実性の指標

2024-02-23 18:59:28 | 歌・小説
 『ドストエフスキー 黒い言葉』の中で『白痴』の主人公であるムイシュキン公爵と,それを描こうとした作者であるドストエフスキーについて語られているのですが,それについてなるほどと思うことがありました。
                                        
 ドストエフスキーは,『白痴』を書くにあたって,この上なく美しい人物を描こうとしました。それが主人公であるムイシュキンとして結実したのです。そして同時に,ムイシュキンというのはキリストになぞらえられる人物であったわけです。つまりこの上なく美しい人物を描くということは,現代のキリスト,現代といってもそれはドストエフスキーが『白痴』を書いている時代の現代ですが,その現代におけるキリストを描こうという意欲をドストエフスキーはもっていたということになります。
 一方,美という概念は,それ自体が『白痴』の中で,あるいはムイシュキンにとって,意味のあるものになっています。ムイシュキンは美が世界を救うという確信を持った人物であるとされているからです。もちろんこのムイシュキンの考えには,作者であるドストエフスキーの考えが反映されているとみていいでしょう。ただしムイシュキンは,観念的に美が世界を救うと考えていたのではないと亀山は指摘します。これはむしろムイシュキンの信念なのであって,美が世界を救うというのは,神に変わって美が世界を救うのだという考えだったのだと亀山はいっています。
 この信念はドストエフスキーにもあったのだと考えることができます。ただしそれは,僕などからみれば,やや屈折した面をもっているようにみえるのです。ムイシュキンはキリストになぞらえられる人物だったのですから,先述したようにドストエフスキーの本来の意図はキリストをその時代によみがえらせることにあった筈なのです。しかしそれを,美と関連させてドストエフスキーは描きました。他面からいえば,美という観念がなければ,キリストをよみがえらせることはできないという思いが,同時にドストエフスキーのうちにはあったということになるからです。

 このデカルトRené Descartesとスピノザの間の相違は,確実性certitudoのしるしsignumとか確実性の指標といったものを想定し,それはそれぞれにとって何であるかというように考えれば,より容易に理解することができるでしょう。デカルトにとって確実性の指標は,知性intellectusのうちにある神Deusの十全な観念idea adaequataであって,それ以外ではありません。したがって,現実的に存在するAという人間の精神mens humanaのうちに,Xの観念があるというとき,仮にそのXの観念が十全な観念であるとしても,AはXについて確実であるとはいえません。しかしもしもAのうちに神の十全な観念があるのであれば,AはXについて確実であることができます。他面からいえば,Aの精神のうちにXの十全な観念があるとしても,神の十全な観念がないのであれば,AはXについて確実であることはできないのです。そしてこのことが,不確実性にも妥当します。Aの精神のうちにXの十全な観念があっても,神の十全な観念がないのであれば,AはXについて不確実であることになります。そして逆に,Aの精神のうちに神の十全な観念があって,Xの混乱した観念idea inadaequataがある場合にも,AはXについて不確実であるということになります。とくにこの場合は,Aは自身がXについて不確実であることを知ることができるということになるのです。
 スピノザの哲学の場合は,確実性の指標というのは単に観念対象ideatumの十全な観念です。したがって,現実的に存在するAという人間の精神のうちにXの観念があって,その観念が十全な観念であるのなら,それだけでAはXについて確実であることができます。そして同時に自身がXについて確実であるということを知ることができるのです。しかしそれがXの混乱した観念であるなら,この限りにおいてAはXについて確実であることはできません。ただし指標はあくまでもXの十全な観念なのですから,AはXについて不確実であるということは必ずしもできないのであって,AはXについて確実であるか不確実であるか分からないということになります。それが分からないので,AはXについて疑い得るのですが,疑い得るということと不確実であるということが,スピノザの哲学では一致しないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売と朝日&同様の仕方

2024-02-15 19:04:25 | 歌・小説
 『なぜ漱石は終わらないのか』のⅡ章で,漱石の朝日新聞入社の経緯について触れられています。漱石は先に読売新聞から入社を誘われ,それを断ってから朝日新聞への入社の依頼を受け,それに応じました。僕はこのことについて,読売新聞が提示してきた条件は漱石には受け入れることができず,朝日新聞は漱石が満足することができる条件を提示したのでそれを受けたというように解釈してきました。しかしこの部分ではこのことが,それとは別の文脈において説明されていますので,ここでも簡単に紹介しておきましょう。
                                        
 ひとつは,朝日新聞の主筆であった池辺三山との関係です。池辺が漱石に注目したのは,漱石が知的商品になり得るからだったと小森はいっています。そして漱石はそういった注目のされ方に心を動かされたのではないかという見方です。漱石と池辺との間にある特別な信頼関係があったのは間違いありません。というのは,後に池辺は朝日新聞を退社することになるのですが,そのときに池辺に誘われて朝日新聞に入社した自分は残ってのよいかという主旨の,事実上の進退伺を漱石は提出しているからです。この場合,たとえば池辺が朝日新聞ではなく読売新聞の主筆であったら,漱石は朝日新聞ではなく読売新聞に入社していたであろうということになります。
 もうひとつ,読売新聞は尾崎紅葉を中心とした硯友社という文学結社系であったという点があげられています。漱石は硯友社の小説には批判的で,たとえば『草枕』では『金色夜叉』を批判しています。この当時の漱石は自身が写生文派の小説家であると自認していて,硯友社系の小説が掲載される読売新聞には入社したくないという気持ちがあったのではないかとのことです。この場合は,当時の読売新聞が,現に硯友社系の小説家を抱えていた新聞社であった以上,漱石はどのような条件を提示されようと読売新聞に入社することがなかったということになるでしょう。
 どの見方が正しくてどれが誤っているということではないと思います。それぞれの状況が輻輳して,漱石は朝日新聞への入社を決断したということなのでしょう。

 ある観念ideaとその観念を観念対象ideatumとする観念の観念idea ideaeは,平行論における同一個体の関係を有します。なのでここでの説明は,やや厳密さを欠くことになります。ある知性intellectusの本性essentiaを構成する限りでの神Deusと,ある知性を観念対象とした観念の本性を構成する限りでの神は,必ずしも同一の神であるということはできないからです。ただ,たとえばある人間の身体humanum corpusとその身体の観念であるその人間の精神mens humanaは,同一個体であるから,ある人間の身体の本性を構成する限りでの神とその人間の精神の本性を構成する限りでの神というのは異なった神であるという場合ほどの差異はありません。なぜなら,これらふたつの神は,前者が神の延長の属性Extensionis attributumを指すのに対して後者が延長の属性を観念対象とする神の思惟の属性Cogitationis attributumを指しますから,実在的にrealiter区別されなければなりません。しかしある人間の精神の本性を構成する神とその人間の精神の観念の本性を構成する限りでの神は,同じように思惟の属性を意味することになるので,身体と精神が実在的に区別されるというのと同じ意味で実在的に区別されるという必要はありません。これは,人間の身体と人間の精神は同一の秩序ordoおよび連結connexioで発生するとしても,前者が延長の属性における秩序および連結で説明されなければならないのに対し,後者は思惟の属性における秩序および連結で説明されなければならないという点に留意すれば,容易に理解することができるでしょう。ある人間の精神とその人間の精神の観念は,同一の秩序および連結で発生しますが,それらはどちらも思惟の属性における秩序および連結で説明することが可能だからです。だからスピノザは第二部定理二〇で,これらが同様の仕方で神の中に生じ,同様の仕方で神に帰せられるといっているのです。
 このことから,もしも現実的に存在するAという人間の知性のうちにXの観念があるのであれば,Aの知性のうちにはXの観念の観念もまたあるということが帰結します。ある人間の知性とその人間の知性の観念が同様の仕方で神の中に生じ,同様の仕方で神に帰せられるのであれば,それはこの条件の下でXの観念とXの観念の観念の間にも適用されなければならないからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏目漱石『心』を読み直す&弁明

2024-02-03 18:53:08 | 歌・小説
 昨年10月に小森陽一の『夏目漱石『心』を読み直す』という本を読み終えました。かもがわ出版から2020年9月20日に発売されたものです。僕が入手したのは第2刷なのですが,なぜか2020年5月31日となっていて,これでは第1刷の前に第2刷が出ていることになっておかしいです。たぶん2021年5月31日なのではないでしょうか。
                                        
 小森は30年以上にわたって文学講座を続けていました。ところが新型コロナウイルスが流行することによって会場の都合がつかなくなり,その文学講座を継続することができなくなりました。そういう状況の中で,たびせん・つなぐという旅行サイトの事業者から,オンライン文学講座の開催の申し出がありました。小森はオンラインの技術には疎かったのですが,サイトの方からの開催の申し出だったので引き受けることにしました。そのとき,オンラインでの文学講座をするのであれば,多くの人が読んだことがあるであろう『こころ』を教材にするのがふさわしいだろうと考えたのです。この本は,その講座をまとめたものです。
 オンライン講座というのは題材に対してどの程度の知識がある人が受講するのかということが分からない面があります。なので内容はそこまで難しいものとはなっていません。まえがきの中で小森は,中学・高校生の皆さんも読み直しに挑戦してみてください,と書いていいます。ここから分かるように,中学生や高校生が読んだとしてもその内容は理解することができるようなものになっています。
 ひとつだけ特徴があるとすれば,このオンライン講座は,新型コロナウイルスの流行によって開催されることになったものです。このために,感染症というのがその中心を貫くひとつのテーマになっています。読み直すというのは現代的に読み直すということであって,講座が開かれた現代というのは新型コロナウイルスという感染症が大流行した現代です。つまり感染症を通して,『こころ』の時代と現代を関連付けることを目指しているといえるでしょう。

 僕自身の見解opinioを先に述べておけば,僕もスピノザと同様に,方法論的懐疑doute méthodiqueに対しては疑問を有しています。もっとも僕はスピノザ主義者という立場から発言しているので,ある意味では僕がそのような見解を抱くのは当然といえば当然です。ただ僕は同時に,このことに関してはデカルトRené Descartesのために弁明しておきたいという気持ちもあるのです。
 方法論的懐疑というのは,あくまでも方法のひとつであって,何らかの問題に対する解答そのものではありません。すでにいっておいたように,デカルトが問いたかったのは,絶対的に正しいといえることは何であるのかということなのであって,絶対的に正しい事柄を導き出すための最善の方法は何かということではないのです。それに対して僕が,あるいはスピノザが,方法論的懐疑に疑問を呈するのは,絶対的に正しい事柄は何であるのかということに対して直接的に答えようとすることからではありません。むしろデカルトの方法論を踏襲した上で,知性intellectusが真理veritasを認識するcognoscereとはどういうことかという別の問いを立てることで生じてくる疑問なのです。少なくともデカルトは,大真面目に自身がまったく疑い得ないことは何であるのかということを検討することによって一切の疑いを有することができないものとしての絶対的な真理を発見しようとしたのであって,その営為自体は何ら否定されるべきではないと僕は考えます。
 次に,絶対的に正しい事柄,それがデカルトにとってはデカルトが一切の疑いを有し得ない事柄であったのですが,デカルトが哲学を開始するにあたってそれを求めたことは,方法論そのものとして正しいと僕は考えます。スピノザの哲学にひきつけていえば,デカルトはこうした営みを開始したとき,第二部定理四〇で示されているような公準に従っていたのです。すなわち,もしも十全な観念idea adaequataが十全な観念からしか発生しないのであれば,哲学を開始するにあたって何よりも必要とされるのは,与件としての十全な観念です。もしもそれが与えられていなければ,導出される観念もまた十全な観念であるということが保証できなくなってしまうからです。その場合,その哲学は真理性を失ってしまうでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罪の意識&2023年9月の通院

2024-01-26 19:43:38 | 歌・小説
 『ドストエフスキー 黒い言葉』では,かつて僕が小説の中に入ることというテーマで読解しようとしたことと関連することがいわれています。
                                        
 亀山郁夫によれば,ドストエフスキーは処女作の『貧しき人びと』から『虐げられた人びと』に至るまでは,物語の作り手として物語の外部に立っていました。『貧しき人びと』は手紙のやり取りがそのまま小説になっています。また『虐げられた人びと』は主人公が作家であって,その意味ではドストエフスキーに近いということはできますが,この作家はかつて僕がいったように無能な作家なのであって,ドストエフスキーが自己投影しているような作家ではありません。
 ところが次の『死の家の記録』およびその次の『地下室の手記』になると,ドストエフスキーは積極的に作家としての私という存在を小説の内部に組み入れるようになったのだと亀山はいいます。とくに『死の家の記録』というのはかなり変わった小説構造をもっています。この小説には主人公がいて,ゴリャンチコフといいます。このゴリャンチコフが小説の第一部では自ら語る形式を採用しているのですが,第二部に入ると,小説の語り手としての役割を放棄し,作者であるドストエフスキーに譲るような形式となっています。この小説は監獄の中の出来事の一部始終であって,基本的にドストエフスキーが監獄で体験したことがベースとなっていますから,このこと自体は不自然ではありません。むしろドストエフスキーは小説という形態を採用せず,単に自身の手記ととしてこれを書くということもできたからです。ドストエフスキーが小説として書いたのは,この中には実際には創作が混在しているからですが,書き連ねていくうちに,それでは収まりがつかないようになったのではないかと推測されます。
 亀山はこれを,書いているうちにドストエフスキーに罪の意識が顕在化してきたからだというようにみています。そしてそれは,ゴリャンチコフが自身の罪に対して罪の意識を感じていないことから明らかだといっています。ゴリャンチコフは妻を殺したことで服役したのですが,そうした罪の意識は,その罪を犯していないドストエフスキー自身にはなかったからです。

 9月23日,土曜日。午後2時20分にお寺の奥さんから電話がありました。これは翌日の彼岸会の連絡でした。
 9月24日,日曜日。彼岸会の当日でしたので,お寺に行きました。
 9月25日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後2時25分でした。この日は中央検査室で僕の前に採血を待っている患者が11人もいました。これくらいの時間に行きますとだれも待っていないというケースもあるくらいですからこれは異例です。どうも,順番を表示する機器に故障が生じていたようで,その影響で採血ができないという時間帯があったため,その間に採血を待っていた患者が滞留してしまったようです。当然のようにまず採尿をしてそれから注射針の処理,そして採血という順番にしましたが,診察の予約は午後3時でしたので,僕の採血が終わったらもうその時刻が迫っていました。いつもは缶コーヒーでも飲んでゆっくりしているのですが,この日はそのまま内分泌科の受付に向かいました。
 診察が始まったのは午後3時半でした。これは僕の前に診察を待っていた患者が多かったというよりも,採血の終了が診察開始時刻の直前になってしまったので,その結果が出るのにいくらかの時間を要したという影響が大きかったように思います。
 HbA1cは6.7%でした。8月の通院のときよりも低下していたことになります。インスリンの注射量については何も変更していませんから,やはり気候の影響が大きかったように思います。低血糖は全体の4.3%で,これはやや多めです。最も割合が多かったのが朝食前だったこともあり,また持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を1単位減じることになりました。7月に12単位から11単位にしていますので,この日の夜からは10単位,0.1㎎にしたことになります。
 ほかに出ていた異常はひとつで,アルブミンです。下限の4.1g/㎗を下回る3.9g./㎗です。8月は異常がありませんでしたが,7月以来またこの異常が出たことになります。
 薬局に寄って帰りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時45分でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥さんの真意&送迎

2024-01-17 19:08:46 | 歌・小説
 Kがお嬢さんを好きになったことは,先生にとっては成功体験でした。しかしそれは成功体験であったと同時に悲劇でもありました。先生はお嬢さんに性的魅力を感じているのに,性的交渉をするということはできなくなってしまったからです。先生は自分のお嬢さんに対する恋は神聖な恋であったと振り返り,神聖さと性欲を対極的なものとしてそのようにいっているのですが,実際に先生のお嬢さんに対する恋が神聖な恋になったのは,Kが介在していたからだと解する方がよいように思えます。そもそも神聖な恋という形容は,先生の恋よりもKの恋にとって適切な形容であって,先生はそうしたKの恋のあり方を模倣しただけであるといった方が的確でしょう。
                                          
 こうした事情をお嬢さん,後の奥さんは知らなかったわけです。いい換えれば,なぜ先生が自分と性的交渉をもとうとしないのかということを,奥さんは知らなかったのです。そしてそうであったとすれば,上の八で私に対して子どもでもあると好い,といった奥さんのことばには,それとは別の意味があったとみなせるのではないでしょうか。
 奥さんはこのとき,私に対して子どもがあるといい,つまり子どもが欲しいと言ったのです。でも状況として先生は奥さんと性的交渉をもとうとしていませんでした。したがって実はこのことばは私に向けられたものではなく,それを聞いているであろう先生に向けられたもので,先生に対して子どもが欲しい,率直にいえば先生と性的交渉がしたいと言ったのです。実際にそのことばに対しては私ではなく先生が答えているのですから,たぶん先生はその真意を汲み取っているのです。汲み取った上で,わざと「一人貰って遣ろうか」と答えたのです。
 奥さんは貰った子どもでは意味がないという主旨のことをいいます。奥さんの真意は子どもを産むことにあるのではないのですから当然でしょう。これに対して天罰だから子どもはできないと先生は答えています。これは天罰だから自分は奥さんと性的交渉がもてないという意味なのです。

 疑問に感じる方がいらっしゃるかもしれないので,簡単に説明しておきましょう。
 僕は依頼を受けましたので,現在の送迎は,迎えはほとんどが通所施設で,送っていく場合は通所施設とグループホームが半々になっています。どちらの場合も,家から行くという場合は,バスで上大岡駅まで行って,そこで別のバスに乗り換えます。通所施設に行く場合は市営バスを使い,僕は市営バスの定期券を持っていますので,これまでは通所施設に送っていました。グループホームに行く場合は,神奈川中央交通のバスもありますが,上大岡駅で降車したところから乗り場までの距離の関係で,京浜急行のバスを使います。迎えに行くときは僕ひとりで,送っていくときは妹も一緒です。逆に帰りは,迎えに行くときは妹が一緒で送っていくときは僕ひとりになります。
 上大岡でマイナンバーカードを交付してもらう場合,妹と一緒のときに行くということは考えられません。これはいつも以上の移動をしなければならないことになり,妹にとって大変ですし,妹を連れていく僕にとっても大変だからです。したがって,妹を迎えに行った帰りとか,妹を送っていく中途で交付してもらうことはできません。次に,妹を迎えに行く中途は僕ひとりですが,このときに交付してもらうとすると,交付にどれだけの時間が掛かるか分かりません。したがって,妹を迎えに行く時間に間に合わないということがあり得ます。よってこのときも交付してもらうということはできないのです。
 ですから,交付してもらうとすれば,妹を通所施設なりグループホームに送っていった帰りということになります。このときは僕ひとりですし,あとは帰るだけですから時間を心配する必要もありません。ただ,交付は予約が必要ですから,予約する時間を設定しておかなければなりません。送迎に掛かる時間はある程度は決まっていますが,何かアクシデントが生じるとその予約時間に間に合わないことがあり得ます。グループホームや通所施設で何らかの話があることもありますし,バスで送った後,バスで戻った上大岡ですから,バスの運行に遅れが生じるということもあるでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする