昨日の第27回かきつばた記念。
先手を奪ったのはエートラックス。ロードフォンスとシャマルが2番手でサントノーレとペイシャエスが4番手。6番手のサンライズホークまでが集団。2馬身差差でサヴァ。マスクトライとメルトが並んで追走し,6馬身差の最後尾にセイヴァリアントで発馬後の正面を通過。ミドルペースでした。
向正面で内からロードフォンスが上がっていくと外からシャマルも応戦。3コーナーで逃げたエートラックスを間に挟んで3頭が併走になりましたが,エートラックスに挟まれる不利があったようで後退。ロードフォンスのさらに内からサンライズホークが追い上げてきました。サンライズホーク,ロードフォンス,シャマルの競り合いからはシャマルが脱落。2頭はフィニッシュまで競り合い,外のロードフォンスが制して優勝。サンライズホークがクビ差で2着。シャマルのさらに外から追い込んできたペイシャエスがクビ差の3着でシャマルは1馬身半差の4着。
優勝したロードフォンスは重賞初制覇。重賞初挑戦だった前走の根岸ステークスは離されたとはいえフェブラリーステークスを勝ったコスタノヴァの2着。前々走はオープンを勝っていたこともあり,実績馬を差しおいて1番人気の支持を集めていました。快勝とはいきませんでしたが,初めてとなる小回りコースに対応できたのは大きく,今後の展望が広がりそうです。父はロードカナロア。母の父はダイワメジャー。
騎乗した横山和生騎手と管理している安田翔伍調教師はかきつばた記念初勝利。
表象像imagoの連結connexioは『エチカ』の中でいくつかの仕方で説明されているのですが,ここでは考察の便宜上,感情の模倣imitatio affectuumとはあまり関係を有さない部分として,第二部定理一八備考を援用しておきましょう。

この備考Scholiumでいわれている様式によって,現実的に存在する人間の表象像は,Aの表象像からBの表象像へ,そしてまたCの表象像へと次から次へと移り変わっていくことになります。このような仕方でたとえば最後にDの表象像に至ったとして,そのDを表象するimaginariことによって何らかの感情affectus,たとえばXという感情に刺激されたとしましょう。この人間がXという感情に刺激されるafficiのは,Dを表象したからです。なのでXの感情に対してDの表象像だけがその人間の中で原因causaを構成しているかといえば,必ずしもそうはいえないことは明白でしょう。なぜならこの人間がXという感情に刺激されたのは,いい換えればDを表象したのは,まず最初にAを表象したからであり,そのAの表象像から次々と表象像が移行し,最終的にDの表象像に至ったからだといえるからです。なので,たとえこの人間が最初にAを表象したときにはXという感情には刺激されていなかったとしても,もっと分かりやすく何の感情に刺激されていなかったとしても,Aの表象像はこの人間がXという感情に刺激されるときの原因である,少なくとも原因の一部を構成しているということができるでしょう。そしてこのことは,AからDへと至る間のすべての表象像にも妥当するでしょう。このようなわけで,単一の表象像がある定まった感情の原因であるという場合よりも,複数の表象像がひとつの感情の原因を構成するということが,現実的に存在する人間の場合には多くなるのです。僕が第二部自然学②要請三を原理的説明の主要部分であるといったのはこのような意味においてです。
それでは吉田の探究に戻ります。
実際の現実的に存在する人間の感情というのは,ひとつの原因に絞れるものではなく,僕が示したようなもっと複雑な原因が錯綜しているのであって,あまりにも錯綜しているため,感情に刺激されている当人にも,本当の原因が分からなくなってしまうということがあり得ます。
先手を奪ったのはエートラックス。ロードフォンスとシャマルが2番手でサントノーレとペイシャエスが4番手。6番手のサンライズホークまでが集団。2馬身差差でサヴァ。マスクトライとメルトが並んで追走し,6馬身差の最後尾にセイヴァリアントで発馬後の正面を通過。ミドルペースでした。
向正面で内からロードフォンスが上がっていくと外からシャマルも応戦。3コーナーで逃げたエートラックスを間に挟んで3頭が併走になりましたが,エートラックスに挟まれる不利があったようで後退。ロードフォンスのさらに内からサンライズホークが追い上げてきました。サンライズホーク,ロードフォンス,シャマルの競り合いからはシャマルが脱落。2頭はフィニッシュまで競り合い,外のロードフォンスが制して優勝。サンライズホークがクビ差で2着。シャマルのさらに外から追い込んできたペイシャエスがクビ差の3着でシャマルは1馬身半差の4着。
優勝したロードフォンスは重賞初制覇。重賞初挑戦だった前走の根岸ステークスは離されたとはいえフェブラリーステークスを勝ったコスタノヴァの2着。前々走はオープンを勝っていたこともあり,実績馬を差しおいて1番人気の支持を集めていました。快勝とはいきませんでしたが,初めてとなる小回りコースに対応できたのは大きく,今後の展望が広がりそうです。父はロードカナロア。母の父はダイワメジャー。
騎乗した横山和生騎手と管理している安田翔伍調教師はかきつばた記念初勝利。
表象像imagoの連結connexioは『エチカ』の中でいくつかの仕方で説明されているのですが,ここでは考察の便宜上,感情の模倣imitatio affectuumとはあまり関係を有さない部分として,第二部定理一八備考を援用しておきましょう。

この備考Scholiumでいわれている様式によって,現実的に存在する人間の表象像は,Aの表象像からBの表象像へ,そしてまたCの表象像へと次から次へと移り変わっていくことになります。このような仕方でたとえば最後にDの表象像に至ったとして,そのDを表象するimaginariことによって何らかの感情affectus,たとえばXという感情に刺激されたとしましょう。この人間がXという感情に刺激されるafficiのは,Dを表象したからです。なのでXの感情に対してDの表象像だけがその人間の中で原因causaを構成しているかといえば,必ずしもそうはいえないことは明白でしょう。なぜならこの人間がXという感情に刺激されたのは,いい換えればDを表象したのは,まず最初にAを表象したからであり,そのAの表象像から次々と表象像が移行し,最終的にDの表象像に至ったからだといえるからです。なので,たとえこの人間が最初にAを表象したときにはXという感情には刺激されていなかったとしても,もっと分かりやすく何の感情に刺激されていなかったとしても,Aの表象像はこの人間がXという感情に刺激されるときの原因である,少なくとも原因の一部を構成しているということができるでしょう。そしてこのことは,AからDへと至る間のすべての表象像にも妥当するでしょう。このようなわけで,単一の表象像がある定まった感情の原因であるという場合よりも,複数の表象像がひとつの感情の原因を構成するということが,現実的に存在する人間の場合には多くなるのです。僕が第二部自然学②要請三を原理的説明の主要部分であるといったのはこのような意味においてです。
それでは吉田の探究に戻ります。
実際の現実的に存在する人間の感情というのは,ひとつの原因に絞れるものではなく,僕が示したようなもっと複雑な原因が錯綜しているのであって,あまりにも錯綜しているため,感情に刺激されている当人にも,本当の原因が分からなくなってしまうということがあり得ます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます