スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

金鯱賞争奪戦&メカニズム

2025-03-04 17:01:03 | 競輪
 名古屋記念の決勝。並びは新山‐大槻の北日本,小林‐武藤の関東,郡司‐深谷の南関東に笠松‐山内の愛知で山田は単騎。
 山田,郡司,武藤,笠松の4人が誘導を追い,郡司が誘導の後ろに入って前受け。5番手に小林,7番手に山田,8番手に新山で周回。残り3周のバックを出ると新山が上昇。ホームで郡司を叩いて前に。すぐに小林が巻き返していき,バックで新山を叩いて先頭に。引いた郡司が5番手,動かなかった山田が最後尾の一列棒状で打鐘。ホームの手前から新山が発進。ホームの出口では小林を叩きました。ここから郡司が発進。苦労しましたが直線に入るところでは新山を捲りました。直線はマークの深谷が郡司を差して優勝。郡司が4分の3車身差で2着。両者の間を割ろうとした山内でしたが最後は閉められる形となって半車身差の3着となり,このラインの上位独占。逃げた新山が半車輪差の4着で最終コーナーから外を追い込んだ山田が8分の1車輪差で5着。
                            
 優勝した静岡の深谷知広選手は静岡記念から連続優勝で記念競輪23勝目。名古屋記念は初優勝。この開催は出場選手の力量にやや偏りがあり,事前から南関東勢が有利だろうと想定されました。そのふたりが順当に決勝まで進出し,この開催の経緯から地元勢が後ろを回りましたのでラインの厚みでもかなり有利に。郡司が捲りに回ったことで優勝もできるような走行とはなりましたが,無風で番手を回った分だけ深谷が差せたというところでしょう。配当通り,きわめて順当な結果になったと思います。

 このように連想associtatioが数珠つなぎになっていくと,そのうちに何かと何かが横並びに表象される必要がなくなってくる場合があると吉田は指摘しています。これは僕には斬新な指摘でした。何かと何かに何らかの共通項があるなら,連想のメカニズムが容赦なく働くagereことになるというのが吉田の指摘です。顔立ちがそっくりだとか喋り方がよく似ているとか,職業が同じだとか国籍が同じだとかいった理由によって,その人と別のだれかに対してその人と同じ感情affectusを抱く場合があるというのがその具体的な内容です。吉田はここでは嫌いになるという例,すなわち感情でいえば憎しみodiumの例で説明していますが,これはその逆すなわち愛amorの場合も成立することになるでしょう。つまり僕たちはこうした連想の効果によって,自身とはまったく関係がないような人に対して,憎しみを感じたり愛を抱いたりするようになることがあるのです。よってこのような様式によって,人間関係において中立というような状態は狭まってしまい,僕たちは多くの人に対して愛を感じるかまたは憎しみを感じるかするようになってしまうのです。
 さらにこの中立的な状態,つまり愛も感じないし憎しみも感じないという領域を狭めるほかの要因があります。それが感情の模倣imitatio affectuumだと吉田はいっています。連想と感情の模倣の間にはメカニズムの相違があります。連想というのは自分以外のだれかとだれかを結び付けて,前者に感じている感情を後者にも感じるようになるというメカニズムですが,感情の模倣というのは,ほかのだれかの感情を直接的に自分と結びつけるようなメカニズムを有しています。このようにそのメカニズムに相違はあるのですが,感情的に中立という領域を狭めるという効果を有する点で,連想も感情の模倣も一致しているのです。
 スピノザは連想については『エチカ』の定理Propositioの中では詳しく示していないのですが,感情の模倣の方はいくつかの定理で示しています。そのうち,最も原理的といえる定理は第三部定理二七です。この定理にあるように,僕たちはだれかのことを表象して,その人が何らかの意味で自分と似ているという意識を有すると,その人の感情を模倣するのです。
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