今年のオークスはエリンコートが勝ちましたが,この勝利には驚かれた方がいらっしゃったかもしれません。というのもこの馬の父がデュランダルだったからです。
2歳12月のデビュー戦を勝利したものの長期休養に追い込まれ,翌年の夏にようやく復帰。そのレースは2着だったもののその後は条件戦を3連勝してオープン入り。いきなりマイルチャンピオンシップに挑戦しましたがさすがに10着。翌年の3月までに3戦し,オープン特別で1勝しました。
4歳の秋,セントウルステークスで復帰し3着。続いて出走したスプリンターズステークスを後方から追い込んで優勝。重賞初勝利が大レース制覇となりました。さらにマイルチャンピオンシップでも見事な追い込みを決め優勝。この年のJRA賞最優秀短距離馬に輝きました。
翌年は高松宮記念で復帰したものの2着。また休養に入ってスプリンターズステークスもぶっつけ。ここは馬場悪化の影響もありやや離されての2着。しかし続くマイルチャンピオンシップでは追い込みを決めて連覇を達成するとともに大レース3勝目。この後,香港マイルに遠征し,人気に推されたのですが5着。ただ大レースでの安定した成績からこの年もJRA賞の最優秀短距離馬に選出されました。
また休養が長引いて復帰戦となったのが翌年のスプリンターズステークス。ここは当時のこの路線の世界最強馬が香港から遠征してきたため2着。3連覇を目指したマイルチャンピオンシップは8着と崩れ,これが引退レースとなりました。
短距離馬ですが,時計面では明らかに限界があったタイプ。1600mだと1分33秒台が目一杯で,引退レースは32秒前半という早い時計での決着となったので崩れたものでしょう。産駒の重賞勝ち馬はエリンコートが2頭目。もちろん大レースは初。ただ,この距離での制覇は,この馬の種牡馬としての評価を変えるような面があるかもしれません。
実際のところ,『エチカ』の全体の中で,第二部定理二六が意味している事柄は,現在の考察とは直接的にはあまり関係がありません。ただ,僕が気になっているのは,もしも人間の精神mens humanaが外部の物体corpusを表象するimaginariとすれば,それはその人間の身体corpusの刺激状態を通してのみであるということ,いい方を換えれば,ある物体がその人間の身体を刺激するafficere様式を通してのみであると示されているという点にあります。そして実際にはこのことは,むしろ第二部定理一七系を経験的に考えるなら明白であるといえます。第二部定理一七系は,人間の精神がいかにして事物を想起するのかということを示しているといえますが,人間が想起することができるのは,かつて経験したことのみに限られるというのは当然といえばあまりに当然のことだからです。そして第二部定理二六が,表象の種類のうちの想起memoriaに関していっていることは,実はこのことであるといえると思います。
外部の物体がある人間の身体を刺激したとき,その人間の精神のうちにどういったことが生じるのかということを示したのが第二部定理一七であるわけですが,実際にはこれだけではありません。第二部定理三八で示されていることも生じなければならない筈だからです。いい換えれば,人間は外部の物体によって刺激されるたびごとに,その外部の物体を表象するでしょうが,同時に第二部定義一に示されている事柄を共通概念notiones communesとして十全に認識するcognoscereのではないかと思うのです。これは外部の物体は物体であるということにより,人間の身体と共通しますから,間違いないと思います。しかるにこの認識cognitioは,その外部の物体に本性naturaの上で先立つ神Deusの延長の属性Extensionis attributumの十全な認識を含んでいる,というか正確にいうなら延長の属性の認識に含まれていなければならないということはすでに明らかになっています。よって,人間の精神が外部の物体を表象するときには,同時にこの精神のうちに,神の延長の属性が十全な観念idea adaequataとして形成されているということになります。
このとき,人間の外部の物体の表象imaginatioというのが,こうした様式を通してのみ生じるのであるとするなら,人間の精神が神の延長の属性を認識する様式というのも,この様式を通してのみであるということなのではないだろうかと,僕は考えるのです。
2歳12月のデビュー戦を勝利したものの長期休養に追い込まれ,翌年の夏にようやく復帰。そのレースは2着だったもののその後は条件戦を3連勝してオープン入り。いきなりマイルチャンピオンシップに挑戦しましたがさすがに10着。翌年の3月までに3戦し,オープン特別で1勝しました。
4歳の秋,セントウルステークスで復帰し3着。続いて出走したスプリンターズステークスを後方から追い込んで優勝。重賞初勝利が大レース制覇となりました。さらにマイルチャンピオンシップでも見事な追い込みを決め優勝。この年のJRA賞最優秀短距離馬に輝きました。
翌年は高松宮記念で復帰したものの2着。また休養に入ってスプリンターズステークスもぶっつけ。ここは馬場悪化の影響もありやや離されての2着。しかし続くマイルチャンピオンシップでは追い込みを決めて連覇を達成するとともに大レース3勝目。この後,香港マイルに遠征し,人気に推されたのですが5着。ただ大レースでの安定した成績からこの年もJRA賞の最優秀短距離馬に選出されました。
また休養が長引いて復帰戦となったのが翌年のスプリンターズステークス。ここは当時のこの路線の世界最強馬が香港から遠征してきたため2着。3連覇を目指したマイルチャンピオンシップは8着と崩れ,これが引退レースとなりました。
短距離馬ですが,時計面では明らかに限界があったタイプ。1600mだと1分33秒台が目一杯で,引退レースは32秒前半という早い時計での決着となったので崩れたものでしょう。産駒の重賞勝ち馬はエリンコートが2頭目。もちろん大レースは初。ただ,この距離での制覇は,この馬の種牡馬としての評価を変えるような面があるかもしれません。
実際のところ,『エチカ』の全体の中で,第二部定理二六が意味している事柄は,現在の考察とは直接的にはあまり関係がありません。ただ,僕が気になっているのは,もしも人間の精神mens humanaが外部の物体corpusを表象するimaginariとすれば,それはその人間の身体corpusの刺激状態を通してのみであるということ,いい方を換えれば,ある物体がその人間の身体を刺激するafficere様式を通してのみであると示されているという点にあります。そして実際にはこのことは,むしろ第二部定理一七系を経験的に考えるなら明白であるといえます。第二部定理一七系は,人間の精神がいかにして事物を想起するのかということを示しているといえますが,人間が想起することができるのは,かつて経験したことのみに限られるというのは当然といえばあまりに当然のことだからです。そして第二部定理二六が,表象の種類のうちの想起memoriaに関していっていることは,実はこのことであるといえると思います。
外部の物体がある人間の身体を刺激したとき,その人間の精神のうちにどういったことが生じるのかということを示したのが第二部定理一七であるわけですが,実際にはこれだけではありません。第二部定理三八で示されていることも生じなければならない筈だからです。いい換えれば,人間は外部の物体によって刺激されるたびごとに,その外部の物体を表象するでしょうが,同時に第二部定義一に示されている事柄を共通概念notiones communesとして十全に認識するcognoscereのではないかと思うのです。これは外部の物体は物体であるということにより,人間の身体と共通しますから,間違いないと思います。しかるにこの認識cognitioは,その外部の物体に本性naturaの上で先立つ神Deusの延長の属性Extensionis attributumの十全な認識を含んでいる,というか正確にいうなら延長の属性の認識に含まれていなければならないということはすでに明らかになっています。よって,人間の精神が外部の物体を表象するときには,同時にこの精神のうちに,神の延長の属性が十全な観念idea adaequataとして形成されているということになります。
このとき,人間の外部の物体の表象imaginatioというのが,こうした様式を通してのみ生じるのであるとするなら,人間の精神が神の延長の属性を認識する様式というのも,この様式を通してのみであるということなのではないだろうかと,僕は考えるのです。